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オトコ「が・の」問題、かもしれない

トランスジェンダーの性別移行に、手術による身体に生殖機能・生殖器の改変を必須とすべきか否か…諸外国では命に関わる病気(悪製造植物を取り除く必要があるとか、出血を止めなくてはならないとか…)では無いのに「身体にメスを入れる」という侵襲性の高いことを強要することで「人権侵害」が起きていないだろうか…という反省から、本人の申告で移行できるようになる方向が「主流」になりつつあります。


身体の性と心の性を一致させ、身も心も心の性で生きることを望む人

身体の性と心の性が一致していなくても、「装い」で心の性を生きることが可能ならそれがいいという人

一言で「トランスジェンダー」と言っても、人それぞれだから、違いは尊重したいし、して欲しい。

それが「自己申告でOKにしましょう」というもの。

すると、「男性の身体の自称女性が『 女性専用の空間(入浴施設、更衣室、トイレ)』を利用して、女性の安全が脅かされる」と心配する人が出てきます。

その心配を口にするとこんどは「トランスヘイトだ!」と差別したことになってしまう。

実際、更衣室で不意に男性器を見ることになり「恐怖」を感じた人がいます

女性刑務所への移転を希望して、性暴力を働いた人もいます。

そうした現実に起きたエピソードは、センセーショナルに全世界に報道されます。


これは、トランスジェンダーの問題、話なのかどうか、考えてみました。


この世には「女人禁制」の場と「男子禁制」の場があります。

「女人禁制」は修行の場であったり、神聖とされる場が多いようです。他の理由でそうしている例は、あるのでしょうか。

なぜ、修行や神聖な場から女性を排除する必要があるのでしょうか。

「穢れ」ているからだそうです。

月経やお産といった血なまぐさいものを「穢れ」とする文化は、男性が作ったものです。

今も時折話題になる理不尽な校則に「ポニーテール禁止」というのがあります。なぜ禁止するのか。その理由は「男子生徒の劣情を刺激するから」だそうです。

修行や神聖な場から女性を排除するのは、女性がいるとムラムラして修行にならないとか、特権を女性と分かち合うつもりは無いという、男性都合の理由。

性欲を女性のせいにして排除。
既得権益を男で独占するために排除。

それが男がやってきた「女人禁制」。

では、男子禁制はどのような理由で存在するのでしょう。

わたしが子どもの頃は、公共の施設、学校でも、トイレが男女別でないところがありました。男性用の小便器の列と背中合わせに個室が並んでいました。混雑すれば、用を足すために個室に入るには、小用をたす(排尿中)男性の後ろを通り、て用を足して個室から出れば小用中の男性の背中を見ることになります。嫌いでした。
個室のドアに背を向けてしゃがむタイプだと恐怖でした。空いている時間帯に利用しに行ったら、閉まったドアの隙間から覗いている男性がいたからです。

今どき、このような構造のトイレ新設されることがないのは、女性の安全安心を考慮してのことだと思います。

入浴施設は明治期にキリスト教圏の文化の影響を受けて男女別になったと言われますが、そうでなくても遅かれ早かれ別になったと思います。

男子禁制の尼寺は、男性の暴力から逃れてきた女性のための駆け込み寺(シェルター)

男性による危害が及ばない「安全」空間としての男子禁制

女子校は「男子を排除」したのではなく、男性に優先的に「教育の機会」が与えられ、女性の教育や学問を妨げる家父長制に抗う形で創設されました

男性を排除して作られたのではなく、男性「に」排除されたことへの「抵抗」としての男子禁制

男子禁制の甘味処がわたしが若い頃はありました。これは、飲食店で女性が「ひとり」でも安心してくつろぎ、男性の「女性を品定めするような眼差し」から解放されるために「女性のみ」入店を許可されたものでした。

女性専用車両は混雑した車内での性暴力から避難するためのいわばシェルターです。「加害」があったから「安全」のために設けられたのです。男性を排除するのが目的ではなく、加害者がほぼ全て男性だから「女性専用車両は安全」が成り立つのです。

女人禁制は「男性の性欲を刺激しないため」と「既得権益の独占のため」に設けられ
男子禁制は「女性の安全と安心及び機会」を確保するために設けられた
……という歴史的な違いがあります

男性とはそれほどまでに「性欲」のコントロールが難しく、暴力的、支配的に女性を扱わなくては欲求が満たされない生き物なのでしょうか。

性犯罪の加害者の99.9%が男性だという統計

こちら

を読めば日本がいかに性犯罪・性暴力の加害者に寛容で、加害行為を娯楽として楽しむ文化に執着し、加害性は本能だから被害者が自衛せよと被害者落ちどを支持し、社会全体で性暴力を減らす取り組みよりも「我慢」を強いることを選んでいるようです。

学校の制服を着た女性を性的志向消費するすることにお墨付きを与える文化は健在。
性犯罪の加害者が「抵抗しなさそう」という理由でターゲットを選ぶことを知ってなお、制服は変わらない。
男子生徒が欲情しないようにポニーテールは禁止する一方で、「抵抗しなさそう」なアイコン「性的に消費可能」な記号として作用し性犯罪のターゲットになっているのに、制服を変えない矛盾。

制服を変えても「女子高生」を性的な記号として扱う文化が変わらない以上、加害は止まらないのでしょうが、男にとって都合の良い社会は、若い女性を性暴力から守るつもりは無さそう……に見えるのです。

制服、痴漢、ポルノチックな萌え絵のゾーニング、包括的性教育、避妊、中絶、夫婦同姓、DV 、賃金格差、養育費の不払い、……意思決定の場に女性がいたら、ここまで放置され続けただろうかと思うような問題がたくさんあります。

トランスヘイト
とされる差別で
女性への加害可能性が問題になるのは
M to Fで適合手術を受けていないor未完了の人(と言われています)

M to Fで、心身ともに女性として暮らしている人は、生来の女性同様の不安を感じています

F to Mの人は未完了でも完了でも、加害可能性をとやかく言われることはあまり無いようです(わたしは聞いたことがありません)

Not All Men!
という声が聞こえそうですが、性暴力の加害者の99.9%が男性で、女性の8割が何らかの性被害を経験している……という現実にある非対称性。

その非対称性が是正されなければ、「自称女性」への恐怖は無くならなと思います。

 「〈トランス〉とは性を〈移行すること〉です。身体を変化させる人もいれば、社会的なあり方を変えてゆく人もいます。抱えている問題は個々に違うし、〈不合〉の状態も人それぞれ。トランス当事者の多くは、社会に広がる『男女二元論』の世界で、自分の状態に応じて、周囲と摩擦を起こさないよう気を使いながら、慎重に日々を送っています。一律にどうこう言うのは実態に合いません」

仲岡しゅんさんが語るトランスヘイトの現実 問い直すべきものは何か

これが当事者の声。

「周囲と摩擦を起こさないように気を使いながら、慎重に日々を送っています」というフレーズからもわかるように、といまだに「男女二元論」が大前提で回っている世界とどのように折り合いをつけるかを「個々に」様子をみつつ「自分自身が安全安心・自由・尊厳」を持って生きることに精一杯で、攻撃や排除をされないように注意はするけど、性的な加害に割くエナジーなどないのかもしれません。

なりすましトランスジェンダーの性犯罪というと、イギリスの刑務所で起きたこの事件が有名です。

イギリスの司法も揺れに揺れて、「自称女性」の服役者を女性刑務所に収監したのは誤りだったと認めました。かといって「性別不適合」の「女性」を自認する身体男性の人を男性の刑務所に入れておくのは明らかな人権侵害です。M to Fの人だけの別棟を用意する案があり、一筋縄ではいかないようです。

現在は

At present more than 90% of transgender women are housed in men's prisons and most do not request a move to the women's estate. There is currently no obligation to place a transgender prisoner according to their preference, and where individuals are held is based purely on risk.
現在、トランスジェンダーの女性の90%以上が男子刑務所に収容されており、そのほとんどが女子刑務所への移動を希望していない。現在、トランスジェンダーの受刑者を本人の希望通りに収容する義務はなく、どこに収容されるかは純粋にリスクに基づいている。(翻訳はDeepl)

英国政府

男性器を有しているor性犯罪歴があるトランスジェンダー女性は、女性刑務所の安全のために、本人が希望しても女性刑務所へ移ることができなくなっています。犯罪者としては「男性器or性犯罪歴がある」場合は「自称女性」は通用しない。そして「男性受刑者」として扱われる、と。

なりすましのトランスジェンダー女性が犯罪を犯す可能性はいまのところゼロにするのは困難…Yes

加害行為のためになりすましたトランスジェンダー女性と、そうではないトランスジェンダー女性を見分ける方法はあるか…No

この葛藤が、トランスヘイトが生じる原因になっているということであってますか?

でも、です。こうして文章にしてみて、落ち着いて読めば、
性加害するのはトランスジェンダー女性ではなく
男性」だということがはっきりとわかります。

だって、性犯罪のために女性になりすますのは、トランスジェンダー女性ではなくて「男性」です。

見分けることができなくても、加害するためにトランスジェンダー女性を自称する人は「男性」です。

トランスジェンダー女性が、女性だけの安全空間で問題を起こすのではなく、「男性」があの手この手の一手段として「トランスジェンダー女性になりすまして犯行に及ぶ」のです。

トランスジェンダーを排除したって、どんな手段を使ってでもって「加害」したい男性がいなくならない限り、「男性からの性暴力」はなくなりません。「加害」したい男性はどんな手を使ってでも「加害」したいのです。そして本能のせいにし、勝手な解釈をして相手が誘ったと思い込み、同意していないのに「喜ぶはず」と勝手に想像し、被害が届けられなければ、検挙されなければ、繰り返すのです。

M to Fの人たちを序列化するような適合手術を完了させ戸籍上も女性になった人を「ホンモノの」というような表現が存在するのは、男性が持つ「加害可能性」への恐怖が、そのまま「男性の身体」への恐怖とつながっているからだと思うのです。実際に男性から女性への性暴力の武器として用いられるのですから…。

性犯罪を犯した人の99.9%が男性で
女性は男性の40倍の確率で性犯罪に遇う。

この不均衡がある以上、女性は男性を警戒します。
警戒されないように「女性になりすまし」て犯行におよんだとしても
それは「女性」ではなく「男性」の犯行。

性別変更が「自認」だけで可能になると
身体にメスをいれたくないトランスジェンダーの人は
M to Fであれ、F to Mであれ恩恵を受けます。

「自認」だけで性別変更が可能になろうがなるまいが
「加害」したい男性は「なんとしてでも加害する」のです。
中には「利用」する人もいるのでしょうが、
「加害」のニオイがしただけで通報されるかつまみ出されるでしょう。

わたしたちは
性犯罪の99.9%を男性が起こしている
という事実にしっかり向き合って
「加害しない男性」
「加害を許さない社会」
「加害を繰り返させないしくみ」を育てる必要があると考えます。

トランスヘイトをしても性犯罪は防げないでしょう。
トランスジェンダー女性を排除しても性犯罪は防げないどころか、差別という暴力に加担することになります。

もういちど繰り返します。

わたしたちは
性犯罪の99.9%を男性が起こしている
という事実にしっかり向き合って
「加害しない男性」
「加害を許さない社会」
「加害を繰り返させないしくみ」を育てる必要があると考えます。

なりすまして性加害をするのは「男性」であって
トランスジェンダー女性ではないのだから
加害する男性の問題であって
男性の加害可能性が問題なのです。

包括的性教育、しないなんて選択肢はありえない!


<追記>
手術を必須とすることで起きる当事者への人権侵害についてタイムリーに記事が出ました

手術要件の撤廃で
現在進行形で起きている当事者への人権侵害は解消に向かうこと
そして
新たに起きる「かもしれない」非当事者への人権侵害の責任を
当事者に課すのは筋違いだということがわかります

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