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1番欲しいものに手を伸ばしていいよ。


すごく久しぶりにnoteを開いた。
最近は、本を読んだりノートに書いたりモーニングページを書いたり、アナログな生活をしている。使っている手帳にはたくさんの文字やインクが染みて、表紙の紙質にもよるけれどパタンと閉じると端と端が合わなくなった。(心地はよくない。)

今朝もいつものようにモーニングページを書いた。そうして今日浮かんできた苦い想いと、そして出てきたひとつの信念。無意識に思い込んでいたのだと自覚したこと。

「わたしには1番欲しいものを、欲しいと言うだけの価値がない。」

思えばたしかに、あの時もあの時も、1番欲しいに手を伸ばすのは、すごく怖かった。
なんであんなに怖かったのかわからないけれど、笑って他のクラスメイトに道を譲ることで、自分を守り、保っていた。

プールの授業では、全然泳げなくて、泳げる子に道を譲った。本当はみじめだったけど、それを認めたら心が耐えられなかった。だから笑っていた。

中学校の修学旅行の班決めでは、いつも仲良くしている3人組の中から、ひとりまだグループに入れていない、当時あまり好かれていなかった女子と組まないといけない状況になって、すすんで手を挙げた。本当は、その子と組むのはいやだった。その子は、体育の授業でわたしとペアになると、わざとボールを遠くに飛ばしたり、雑なパスをしたり、わたしが人気者のグループにいる時は声色や態度を変えたり、とにかく大嫌いだった。同じ部活で、座る場所が隣りなことも、練習が同じグループになることも、気持ち悪かった。幸い個人のレベルを極めることに集中もできる部活だったので、黙々と自分の技術を磨いた。そんな子だったけど、自分の幸せには手を伸ばすことはその時も出来なかった。

そうしたらその日の放課後、担任の先生に呼ばれて、「なんであの時あんな行動をしたのか。」と怒られた。なんでみんなの、クラスのために、平和的解決を選んだ英雄のわたしが怒られなければならないのかと、その先生を睨みにつけながら話を聞いたのを覚えている。後から考えれば、きっと色々わかっていて、もどかしかったり、やるせなかったのだと思う。全体の幸せのために、自分は犠牲になってもいい存在だと思っていたことが、きっとバレていたのだろう。その先生も、少し泣いていた気がする。

他にもある。高校時代。一目惚れした憧れの先輩から告白された時、それまで「1番欲しいもの」に手を伸ばした経験のなかったわたしは、とても狼狽えた。友達に「どうしたらいいか」と聞いたし、姉にも相談した。そうして、断ってしまった。付き合うことが初めてで、その先の未来も怖かったし、心の中で思っている本当のこと、例えば不安や心配、杞憂を、その時その先輩に伝えることも出来ず、ただその時わたしが安心できる選択は、理由をみつけて冒険を避けることだった。だって、怖すぎる。でもたぶん、先に書いたパターンの思い込みも影響していたのだろうと思う。親の表情が穏やかなことが、当時のわたしには1番の生命線で、それに基づいて生きていた。わたしの1番の幸せがなにかは当時はわからなかったけど。というか、学校生活って、「勉強しないといけない」とか、「友達と同じ教室にいなきゃいけない」とか、なきゃいけないのオンパレードで、ゆっくり自分の時間とスペースを確保するなんて、至難の業じゃないか?

そんなことをモーニングページを書きながら思い出した。そして思った。
たぶん、当時のわたしみたいに、「学校」という場所のなかで、本当のきもちを言える人がいなかったり、自分の心がどこか置いてけぼりになりながら、毎日や集団生活をただこなすのに必死な子がいる気がした。

だから、その子に言いたい。それで、今これを書いている。

あなたは、1番欲しいものを手にいれる価値のあるひとです。1番欲しいものに、「欲しい」と手を挙げていいひとです。わたしも大人になって、心のことやいろんなことを勉強したり、いろんな人と関わって知ったけど、あなたは、人は、幸せになるために生まれてきたんだよ。

だから、最初から、あなたは1番に手を伸ばしていい存在として生まれてきたんだよ。

今が苦しくても、大丈夫。なにが自分にとって幸せか、わからなくても大丈夫。もやもやしていても、大丈夫。ただ「今」を、こなしていること、今その場所で、あなたが今いる場所、家や学校、コミュニティで、生きている、そのことが、もう十分素晴らしいから。がんばっているから。だから、大丈夫。今、目の前にあることを、ひとつひとつやる、で、それで大丈夫。そのままのあなたで大丈夫。出来なくても大丈夫。失敗しても大丈夫。親に怒られても大丈夫。グループに馴染めなくても大丈夫。みんなと同じじゃなくても、大丈夫。

ただ、今を生きて。今日を生きるを続けて。
そうしたら、ちゃんと日々は過ぎていくから。
辛い時は、学校に行かなくてもいいし、フリーススクールとか、ネットで調べれば、いろんな安心できるコミュニティもあるから。

学校って、わたしにとっては苦しい場所だった。でも、大人になってたくさん救われたから、だから、今がすべてじゃないこと、あなたの今思うこと、感じることがあなたの世界のすべてではないのだと、知っていて欲しい。そして、生きている今のあなた自身を、本当によくやっているね、ってハグしてみてあげて欲しい。

あなたは、1番欲しいものを、欲しいって言っていい存在です。それが手に入るか、入らないかは実はさほど重要ではなくて、自分が「1番に手を伸ばすにふさわしい」ということだけを、わかっているだけで、きっと心が楽になるから。でも、それを思えなくても、大丈夫。だんだん色んなことが変わっていくから。変わらないものは、ないから。

読んでくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。

安心してね。わたしでも、今は自分の「欲しい」を「欲しい」と言えるようになったよ。救いの手がやってきて、軌道修正ね!って言われてるみたいに、導かれているような時間や、安心して心の内を話せる存在と出会っているよ。未来はそうなっていくからね。あなたが今ただ「今をこなす」しか考えられなくても、それで大丈夫。ひとりでどうにかしようとしなくて大丈夫。まだまだ「子ども」でいい。大人だって、不完全なんだから。だめだめなんだから。大人になろうとしなくて大丈夫だよ。ものわかりのいいふりしなくて大丈夫だよ。悲しい時は泣いて、悔しい時は怒っていいよ。

また浮かんだら書きます。
読んでくださってありがとうございました。


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