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神様の正月やすみは邪魔してはならない(と知ったときのおはなし)

神様は山に住んでいる。だから、お正月の時期が終わるまで山に入ってはいけない。神様もお正月休みをとっているのだから、人が関わってはいけない。だって、家族でそろっているお休みに、外からお客さんが来たらゆっくり休めないでしょう。

そう、先生は教えてくれた。

先生は、学校の先生ではない。地域みんなの先生。人生というか言い伝えと言うか、たくさんのことを知っていて、いろいろなことを覚えている。そして、みんなにものことを教えてくれる。

幼いころは、先生は仙人だと思っていた。人が見ていない場所では、ふわっと天にのぼって。わたしたちがテレビを見ているみたいにして、この世界を見ているのだと思っていた。

我が家は谷の入り口にある。そこからは山に上がるけもの道の入り口も谷の奥に広がっている集落への一本道もよく見える。

山に上がるけもの道は、小さなほこらへと続く。そのほこらは、集落の恵みを守ってくれるという山の神様がまつられている。山や集落にむかって見知らぬ人が入ってこないか。じっと見ているのが我が家の務め。

ある年の年末、濃い霧が谷に出たことがあった。いつもなら、昼頃には消えてしまう霧が午後になっても、谷の中に居座る。うすく青く、しっとりとした霧は人を冷たく凍えさせる。風もぴたりと、おさまっている。

その霧が出た日のお昼前。隣の谷から子どもがふたり、入っていくのを見たと思い出した。手にしていたのは、お供えの米と酒だったし。もうじき正月になるからそれほど気にしていなかった。午後になっても消えない霧に、ふと、自分が神隠しにあったとされた日のことを思い出した。

あのときは、晴れていた気がするけれど。外からは霧が出ていたのだろうか。あの子どもも神隠しになったかもしれないと、大急ぎで先生の所へ走る。

話を聞いた先生は、大急ぎでカレンダーを確認し、手に線香と鐘をもって山に向かう。その後ろをわたしもついていった。

山に向かい、鐘をならし。道の入り口で線香に火をつける。線香の香りがまわりへ広がっていく。いつのまにか、冷たく凍えた空気がおさまり、ゆるく風が吹いていた。山から下りる道の向こうから、小さな影がふたつ、大人の影に見守られるように降りてきた。

小さな影は、わたしが見た子どもたちだ。お供えはほこらに置いてきたようで、手には何も持っていない。子どもの顔を見て先生は「今日から山に入ってはいけないと知らなかったのかね」と聞いた。

山はもうお正月休みの神様の世界につながっている。だから、人が近づくと霧を出したり雪を降らしたりして、人を山の奥へと入れないようにすると、先生はいう。

「たとえ、お供えを持って行くのだとしても。暦は守らねば」

無事に帰ってきた子どもふたりを連れて、鐘を鳴らしながら先生と山を下りた。山を下り始めると、そこまで近づいてきていたはずの大人の影は溶けるように山に消えた。大人の影を見ていた人は、わたし以外になかった。神隠しでなかったことに、わたしはほっとした。

先生と山の入口へ行ったときの話は、その後もすることはなかったけれど「正月休みの山に入ってはいけない」ことだけは、みんなでもう一度、約束をした。霧の出た年末があけた正月のお供え物は、いつもより多く持って山に上がった。

昨年の秋の終わりに、その先生が亡くなった。先生がいなくなって、はじめての年末、霧は出なかった。

今年も、正月の山に入った人はいなかった。

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