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ワクワクリベンジ読書のすすめ~『戦争と平和 エピローグ』トルストイ著~

第二部は、いわゆる「あとがき」なのだろうか。
トルストイの歴史哲学的な考え方が書かれているが、とても難しくて感想を形にすることはできない。
おそらくニコーレンカの最後の言葉「そうだ、ぼくは、お父さまでさえ喜んでくだされるようなことをきっとしてみせるぞ・・・・・・」(新潮文庫P553)で作品を終わらせる予定だったが、それだけではトルストイ自身の思いが消化できなかったのだろうか。
歴史に「if」はない。歴史は必然であり、その主人公は民衆である。そして人間は神の下で平等である。
それくらいしか読み取れなかった。なかなか本編(物語部分)とのうまい関連性を見いだすことができない。難しすぎる。とてもついてゆけない。
 
強いて言えば、死生観だろうか。「人間にとって身近な存在の死」は大きなストレスである。個人の歴史の1ページに深い悲しみとして記憶に残る。
往々にして軍の上層部や権力者のエゴが先立ち、「個人」の悲しみという何より大切なところが見過ごされがちとなる。
この作品は、そこを当事者やその家族の視点から鋭く突いているように思う。それがトルストイの主張のように思う。
ちなみに「ライフイベントとストレスの程度」の関係をみても、「配偶者の死」はストレス値100でライフイベント中第1位、「親族の死」はストレス値63で第5位と高い水準である。結局、戦争は死をぐっと身近に引き寄せることになる。
その裏返しが、平和であり愛である。
 
そもそもこの作品は、タイトルだけではなく、愛と裏切り、生と死など、相反する言葉をキーワードとして読むことができる。その特徴はエピローグ第一部でもみられる。
空想家のピエールと現実派のニコライ。社会変革を夢想するピエールと足元の事業を徹底的に掘り下げようとするニコライ。そして夫を盲目的に支持するナターシャと、夫の言動を冷静に判断しアドバイスできるマリア。
 
どちらが正しいというものではない。どちらもそれぞれの新しい人生として育まれていくということなのだろう。
そうした個々人の人生の積み重なりが、国全体の新しい歴史になる。
そう考えると、確かに歴史は偶然ではなく必然である、ということができる。

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