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落ちこぼれシニアのリベンジ読書~『苦界浄土』石牟礼道子著~

<<感想>>
苦海浄土(くがいじょうど)。
「苦海」とは「苦しみの絶えないこの世を海にたとえていう語。苦界 (くがい) 。」(goo国語辞典)のことをいう。「浄土」と正反対の言葉がつながったタイトルはかねてより興味深く感じていた。
帯POPでも「苦悩と絶望の深さゆえ、彼らにとって、“苦海”は“浄土”となった」とあった。
この一文がこの著のテーマのひとつであると思う。
水俣病患者の方とそのご家族のルポではあるが、「なぜ水俣病が起こり、被害がかくも拡大し、救済が遅れたのか」についての企業と行政だけではなく、国民全体への問題提起をしている著である。
 
家族介護者である立場として、患者・ご家族の方々に目がいく。
患者の方のコメントには悔しさや家族に対する申し訳なさがにじみ出ている。嫁に入ってまもなく発症してしまったことに対する患者の方のコメントには読みながらも涙がでてしまう。
また、献身的に介護されるご家族。高齢となりながらも一生懸命に介護されていた姿には頭が下がる。その一方で「介護はもう限界と!」と患者である奥様から離れてしまった方もおられた。結局離婚されることになった。が、それをどこまで攻められようか。
 
もっと早く救いの手を差し伸べることはできなかったものか。
ひとえに企業・行政の「怠慢」しかないだろう。
補償交渉も滞る。患者側に「会社をつぶす気か」という心無い言葉・誹謗中傷まで寄せられた。
最終的に政府が被害者たちに解決策を提示したのは、水俣病が正式発見されて40年もたってからというからこれまた驚きである。
それだけではない。新潟県の阿賀野川水域で「第二水俣病」という問題も発生してしまった。
企業や行政の対応の鈍さが新たな水俣病を引き起こすことになった。
 
「どうしてこげんな身体になったとか」。患者の多くの方から同じような言葉が発せられていた。
苦悩と絶望の中で亡くなっていった多くの方々の無念そして悔しさ。
「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に水銀母液ば飲んでもらおう」。
この患者の言葉に強い怒り、心の叫びを感じた。
 
「人間の尊厳とは何か」。改めて考えさせられた。

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