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マラソン大会で下から10番からTOP10になれた秘訣

珍しく気合の入ったタイトルですけど。
 僕、小学校の時のマラソン大会では、同学年の男子70人中60位台の常連でした。いつも必死に走って、僕の下に何人かいるくらい。当然、人間苦手なことは大抵好きになれるはずもないので、1年の行事でもダントツでマラソン大会が嫌いでした(みんなそうか)。
 中学校の時はマラソンなかったんだけど、高校ではまた復活して、1年に1回の悪魔のお祭りでした(でもその日午前の授業なくなるのでうれしくもあった)。そこで、高3の時、同学年の男子140人中9位でした。嬉しかった。その時の順位表は、今でもスマホに残してある。
 今回の企画は、もろ過去の栄光にすがってますけど、もしマラソン大会に苦しめられている人たちを1人でも救えたら、という思いで文章に残しておきます。運動音痴だった僕が、どうやって「悪魔の行事マラソン」を克服したか、それでは、見ていきましょう。

~小5までの自分


運動は嫌い。体育は嫌い。外遊びは嫌い。昼休みの鬼ごっこは、自分が鬼になったら誰も捕まえられないので、鬼に見つからないことに全力を傾けていました。週2回スイミングスクールに通っていて、3年やって、ようやく100mメドレーを完泳できる程度。
体育の体力テストも、小5の時にシャトルラン34回と、女子の平均も大きく下回る記録。ほぼすべてが全国平均を下回る記録だったと思います。
当時のマラソンの順位は、70人中68位、62位とか、60位台ばかりでした。

小6の自分


小5の終わりにバスケを始めまして、今まで運動習慣0だった自分が、いきなり週5で練習に参加することに。最初は、ボール使う前のフットワーク練習でヘロヘロになって、コーチは厳しいわ、同級生も下手な自分にイライラして怒るわで、練習は毎回地獄でした。体力的にも限界ギリギリのメニューを、コーチにもスタメンにも気を使いながらこなさないといけなかったので、メンタルも鍛えられました。そんな強烈なリハビリを経て、僕は小学校最後のマラソン大会に臨みます。
 結果は、36位。約9カ月の練習のおかげで、僕の持久力は、学年平均くらいにはなっていました。ここから分かる、順位を上げるための一つの法則。
「きつい練習しまくって、地獄を見ろ」これです。
小学校のバスケチームは、本当にキツかった、、、、。
小さい時なんて、自分の意志なんて律せなくて当然なんで、自分より優れた人ばかりの集団の中に放り込むのが一番手っ取り早い。当時は、親に「辞めたいです」と言えずに、毎日、職場飛ぶ3日前くらいの社会人のような気持ちで練習していました。今だったら、1週間で辞めます、あんなクソチーム。

中学校の自分


中学はマラソン大会なかったんで、具体的な数値はないんだけど、普通に運動音痴の部類でした。バスケ部に所属して、体育館使えない時間は4~8㎞走ったり、冬は階段を駆け上がったり、片足で登ったり。走る系の練習は多かったけど、結構手は抜いていた。部の雰囲気も緩かったので、べちゃくちゃしゃべりながら走ってた。なので、持久力は徐々についていたけど、それ以外は全然でした。中三で、シャトルラン110回ぐらい。とはいえ、運動部なら100は普通に行けると思うので、その時にマラソン大会やったとしても、平均ちょい上ぐらいだったと思います。

高校生の自分


 硬式テニス部に所属して、緩く練習していました。テニスは好きだったので、練習サボったりはしなかった。コートでの練習はそんなにハードではなかったんだけど、雨でコート使えない日は、15分間走をガチっていました。野球部もサッカー部も陸上部も、雨の日はみんな同じコースで走るんだけど、たぶんあの学年で一番早く走ってたのは、硬式テニス部だった。とにかく、他の部には負けないように走ってた。陰キャ特有のイキリに近い。けど、とにかくそれのおかげで、大分体力はついたと思います。冬とかは雪で外練できなかったので、ほぼ毎日15分間走してました。そこでガチって、その後の筋トレメニューはこっそり手を抜くというのが僕の流儀。

 今まで、ただただグダグダ、本気を出さずに練習に取り組んでいた自分が、唯一「本気」でプライド懸けてやっていた15分完走。バスケ時代は、毎日続けていたのは、部活だから、顧問に怒られるから、といった外発的要因によるもの。そこに、「他の部に負けたくない」、「同級生に負けたくない」といった内発的要因が、初めて加わりました。

 それでも、小学校の倍の140人になった同級生男子。それに、強い運動部なら当然、僕以上に練習に取り組んできていたはずです。高1、高2の時は、学年30位にも入れず、「やっぱみんなすげーなあ」という感想しか出てきませんでした。

コロナ禍での自分


 高2もそろそろ終わるな、という時に、コロナ禍で休校措置が取られ、約3か月に渡って、ニート生活が始まりました。僕も最初はグダグダしてしまったんですけど、さすがにこれじゃダメだと思い、非効率な受験勉強と一緒に、毎日運動することにしました。テニスの素振り、フットワーク、そしてランニング。誰に決められることなく、自分でメニューを考えて、毎日30分~1時間ほど、運動しました。決して無理な時間していたわけではありません。あくまでも、自分にできることを、できる時間にやっていました。

学校が再開しても、土日は走ったり、夏休みは毎日運動の時間を取ったりして、受験勉強の中でも、運動習慣が途切れないようにしていました。特に、マラソン大会でいい順位を取りたかったわけではなく、ただただ健康と体力を維持したかったからです。

 結果、3年生のマラソン大会では、学年9位を獲得しました。
これが僕のマラソン大会での唯一の1ケタ台です。小学校の友達にこれを伝えても、誰も信じてくれないと思います。ホントにただの運動音痴だった僕が、そこから長い時間を掛けて、少しずつ苦手だったことを克服していった結果でした。

どうすればいいか

①何らかの団体やスクールに所属して人を巻き込み、やらなければいけない状況を作る(小中の部活)
②グダグダでもいいから、やる気なくていいからとりあえず始める。続ける。
③できるだけ、内発的にできる環境を作る。(テニス部)

て感じです。自分は、高校でテニス部に入るまでは、完全に①と②でやっていました。そこで土台が出来てきていたところに、③が加わったことで、成長が速くなったのかなと思います。

 今回は、まごうことなき「運動音痴」だった自分でも、なんだかんだやってたら気づいたら、けっこう克服できてたよ、という話でした。

ちなみに、短距離は高3時点でもクソ遅かった。(100m15秒)

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