今の日本に大都市はない
僕は最近、自分が1つ夢をかなえていたことに気づいた。それほど大きな夢ではないが、叶えるまで5年半の時がかかった、大事な夢だった。
それは、大都市で生活すること。
高校1年の時、僕は自分が通う、地元の市のはずれに位置する山の麓のど田舎高校が大嫌いだった。そこを卒業したら、最低でも地元よりは大きな都市に住みたい。地元の大学なんて行ってたまるかと強く心に誓っていた。その割に勉強に力を入れ続けていたかというとそんなこともなかったけど、(夏は部活に力を入れ、その分冬は多少勉強を頑張った。多少。)とにかく、大都市へのあこがれはひと時たりとも僕の頭から消えなかった。地元の大学を目指している奴らを内心バカにし、それを志が低いのだと決めつけていた。
そんなこんなで、1年の浪人生活はあったが、千葉県の大学に進学した。 大学1年生の時は、千葉県にいることがほとんどで、(千葉駅周辺は当時の僕には十分大きかった)言うほど東京に行くことはなかったが、大学2年になるときに引っ越した場所は、ほぼ東京と言っていい場所で、(1駅で東京に入れる)春は東京の下町でバイトしたりしていたが、夏からは品川でバイトすることになり、いよいよ日常的に東京の中心街に行く生活を送るようになった。それが9月の中旬。
品川でのバイト後、そのまま1人で山手線で色んな駅に降りる。
渋谷、新宿(歌舞伎町)、新橋、銀座、上野、秋葉原、原宿に表参道。
昼までバイトし、それから友達と池袋に集まってボウリングをやったり、飲みに行ったり。もちろんなんもない日にも遊びに行く。自由に東京の主要都市に行ける。高1の時から渇望していたことが、何の気なしにできるようになった。
自分が夢をかなえてしまったことに気づいたのは、ごく最近になってからだ。気づいたきっかけは、喪失感だ。
昔は年に1回家族旅行で行けるかどうかの大都市、東京はすでに当たり前の日常になった。今より敏感で今と同じくらいひねくれだった中学校のころは、その巨大な建造物群に圧倒された。池袋のホテルから見る夜景は、壮大だった。大都市の空気感、ところ狭しとせかせか歩く大勢の人、何でも売ってある、何でも存在している夢の世界。ここに自由に行けるようになったら、、、それは今になって実現されたのに、実現されたとたん、今では新宿や渋谷でさえ、巨大な街だと思えない。いや、客観的に見れば世界的な大都市なはずだ。それは間違いないのに、今よりはるかにガキだったころに感じた高揚感や、憧れや、そびえたつような壮観さは、今は感じることができない。どの駅で降りても、「まあ、こんくらいの大きさだよな」となってしまう。やはり夢は追い続けているからこそ夢なのか。日本に東京以上の大きさの都市はない以上、これからは日本のどの都市にいっても、大きさという観点ではなにも感動しないだろう。
それが少し寂しくもあり、同時に新たな自分の始まりだなとワクワクする気持ちも、少しはある。
これからの自分は、何に強く憧れて、何を目指すのだろう。巨大な街に感動することはなくなったが、それでも無数の人が集まるような場所には様々な楽しみ方がある。次は、俺が東京で、何ができるか、何を生み出せるかにフォーカスしていく。それに女体、恋、そして愛。これを探求し、自分なりの答えを導き出したい気持ちもある(きもいですか?)
かつての夢をかなえ、次のステージに行く。次の夢もまた、簡単に成し遂げられるわけないから、様々な努力をする必要があるだろう。叶えるまでに数年、もしくは数十年かかるだろう。かなえられない夢もあるだろう。自分も高校時代、部活でチーム1上手くなることや、陽キャになること、学校で一番身長が高くなること、受験勉強マジックで彼女作って彼女の部屋のこたつで勉強中に、二人とも息が荒くなっていって自らの欲望を抑えられず、受験に集中しなきゃとは思っていたけどあいつの胸や疼く肢体を想像して悶々とする日々から、今だけは解放されたい。そして、それはすぐ隣で今にも破裂しそうなぐらい顔を紅潮させてるあいつも同じだった、、、、 みたいな
様々な夢があったが、それはすでにリミットが来て叶えられずじまいだった。大小さまざまな夢。それをかなえるために、僕らは今日もFulfill.
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