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若者よ、よく考えてから動くな


考えてるだけでは意味や価値は生まれないから、考えるのは行動し終わった後や、考える暇があるスキマ時間にできればそれで十分だよ。なぜなら、考える≒「ある事象に対してその是非を判断したり、分析したりすること」は、オールドな人たちに比べて人生経験の少ない若者にとって難しいから。若者は自らの人生に次々降りかかってくる問題に対して解答を作るための公式やテクニックが不十分、もしくは特定の分野に対しては皆無だったりするから、時間を取って考えても答えなんて出せないんだよ。ハップス・ギュルタンの定理も、傘型分割のやり方も知らない僕ら若者は、
ひたすら効率悪く計算に計算を重ねていくしかないからね。
鍵の開け方は分かんないのよ、鍵も持ってないし。
だから、毎回蹴ったりタックルしたりして破るしかないわな。

可能性のドアは
施錠(ロック)されたまま
やれやれ… 今度も
壁をブチ破る

限界突破サバイバー  氷川きよし

若いうちはやりたいことを全部やりなさい、挑戦を怖がるなって1億回ぐらい言われるのは、効率のいいやり方を知らない不器用な僕らは、こうするしかやり方がないっていうことと、若いうちに行動にチャレンジに駆け抜けてこないと、社会的にも本当の意味で大人と言われるような年齢になった時に、若さを失ってしまったのに経験や老獪さもない、無力な人間になってしまうよ、それでもいいの?ってことだね。竜宮城で他力に任せて遊んでただけの浦島太郎も、気づけば自分以外の現実世界では数十年の時が立っていて、そして玉手箱を開け、心は子供のまま体はじいちゃんになってしまった。
だから、浦島太郎のアフターストーリーは結構悲惨な話になってくるんじゃないかな。
幼少期、ウジウジすることが多かった子は、大体そこまで楽しくない幼少期を送ってきた人ばかりだと思うし(ウジウジすることが少なかった人に比べて)、ウジウジして、なんか理屈をこねくり回し、まだよく考えてないって言って行動を先延ばししても、なんもいいことない。だってよく考えても分からないもん。そうやって時間だけが過ぎてって、それで勝手に結論付けてやっと行動したとして、致命的欠陥なんてすぐに見つかるよ。そうなったときに、すぐに行動した奴とうウジウジしてたやつじゃ、ミスに対するリカバリーに使える時間が全然違うからな。ミスをしないように見えてただただ行動を先延ばしにしてただけの奴と、ミスを覚悟で前に出て、ミスしても挽回できる時間がたくさんあるやつじゃ送る人生が全然違うはずだ。

人生でウジウジが発動するたびに、僕はこう思うことで自分を勇気づけている。酒の力でも、バカの力でも、他の人の力でもなんでも使えばいい。手段はなんでもいいから、得られたものじゃなく、踏み出したその一歩を誇れ。


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