このやり取りで、Aは馬鹿にされていると感じ、Bに見下されていると解釈した。また、知人がこのように話していたのを聞いたことがある。
Dは割と強めに怒ってたらしい。
少しくらいの皮肉が含まれていればまだしも、Bにも、Cにも悪気は微塵もない。ゼロである。しかしながら、受け手はそれを自身への攻撃であると感じ、極端に不快な方向へ解釈する。
コンプレックスが強いのか、想像力に欠くのか、触るものみな傷つけてララバイしたいのか、はたまた、そういう自身にとって不快な解釈をすることを無意識に好んでいるのか。
そんな中、納得した視点がある。
メッセージの受信者には、自分にとって最も不快な解釈を選択する権利がある。
なるほどな、たしかにな、と。
不快な解釈を定常としている人と会話すると、不用意に敵意がこちらに向くので、極力不快の量を減らそうという力が働いてしまう。
すなわち接点を減らすという。
全方位的な分断は望むところではない。
少なくとも、自身が深くかかわることのできる人々とは共に、物事を適切に理解する力をもって、発信者の意図を汲み、適切な解釈を行えますことを。