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帰省するにはPCR検査が必要?思い知らされた正常性バイアスの存在

こんにちは。たまです。

新型コロナウイルスの影響で、良くも悪くも、誰しもが行動変容を余儀なくされましたね。今回は、地方遠方に住む両親との会話から、自分が持っていた正常化バイアスについてお話ししてみたいと思います。


▼状況
・都内外問わず爆発的に感染者数を更新中の2021年8月中旬
・私(妊娠後期):都内在住、会社員。ワクチン1回接種済み
・両親(後期高齢者):地方在住、自営業。ワクチン2回接種済み
・兄夫婦(40代):地方在住、両親とともに自営業。ワクチン未接種


コロナ禍になり、1年以上帰省していないんですよね。妊娠してからも電話連絡のみ。さすがに、産む前には両親に会いたいと思います。両親も同じ気持ちでいていてくれているようで、電話するたびに

いつになったら会えるかね~

という話をしていました。8月も、ご多分に漏れずこの話題になり、

そろそろ帰りたいな~

と話していました。


娘が帰省する場合


すると、父親が

横浜に住む知人の娘は、PCR検査をしてから帰ってきたんだって。簡単な検査だし、お前もそうしたら?

と、PCR検査をしてからの帰省を提案をしてきたのです。

え・・・それって、バイキン扱いみたい。確かに感染していても無症状の人もいるし、リスクはリスク。だけど、なんで私だけが検査しなければならない前提なんだろう?田舎の人だって無症状の可能性はあるし、私も妊婦でリスクなのに。

本音はこう。でも、実際には悲しい気持ちをすっとばして怒りに似た感情、

そこまでするなら帰らなくてもいいわ!

と突き放してしまいました。


両親が上京する場合


娘の感情を察した父親は、とっさに

もう少し流行が落ち着いたら、俺たちは2回接種済みだから、そっち(東京)行こうか?

と提案。

それはそれでありがたい話ではあるものの、ワクチンを接種したからと言って罹患しないとは限らないし、東京の感染者数は全国見てもいつもぶっちぎりの一位。後期高齢者の両親にそんなリスクを踏んでほしくない。

いや、コロナに罹らないとは言い切れないし、こっち来ない方がいいよ


破談。そして被害者意識に支配される心


話は平行線。出産前に会えそうにありません。

この電話の直後、私はイライラ・もやもやの感情に支配されて、しばらくは両親と電話したいとも思わなくなりました。

田舎でも流行っているコロナ。東京→田舎は検査すべき、と提案するのに、田舎→東京に来るときはPCR検査しないの?とも思ってしまう意地悪い娘。

とにもかくにも、両親にバイキン扱いされたという被害者意識が強かったのだと思います。


自己矛盾から正常性バイアスに気付く


どうしても、もやもや・イライラが止まらなかった。なので、会話の内容を思い出して、事実と意見を分解してみました。

まず、この会話によって得られた両親との共通認識は、

・コロナに罹りたくない
・会いたい
・東京=ハイリスク

ということ。

両親が東京から帰ってくる娘に対してPCR検査を提案することは、冷静に考えれば至極まっとうな理論です。

それでも、バイキン扱いされたという被害者意識、意見を持ってしまった娘。

両親が東京に来るのは怖い。つまり「東京=ハイリスク」と認識しているにもかかわらず!一個人として検査を求められたことに反発を覚えたのです。

…あれ、これって、典型的な正常性バイアスかもしれない。

▼正常性バイアス
社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で[1][信頼性要検証]、自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりするという認知の特性のこと。
自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい[2]、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる[3][2][4]。「正常化の偏見」[5]、「恒常性バイアス」とも言う。
引用元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


私にとっては、ただ、東京という土地に住んでいる私。東京ではずいぶんコロナが流行っているようだけど、私はコロナに罹ってなんかない。私は大丈夫。という評価を下していたんですね。


でも、両親にとっては、私はワンオブ東京。

冷静にコロナ禍下を生きてきたつもりだったけど、全然そんなんじゃなかったんです。



難しいのは、正常化バイアスは悪ではないといこと


ここまでの流れだと、正常化バイアスって、ちょっとネガティブな印象を持ってしまいますよね。でも実は、正常化バイアスは人間にとって必要な心の動作なんです。周囲の変化に過剰に反応せず、安定した日常を過ごすことができるのですから。一長一短あるんですね。

私の正常化バイアスと、両親にもある正常化バイアス、それぞれがちょっと違う濃さで動いたんです。どっちが正解で、どっちが不正解という世界でもない

だからこそ、答えのない、もやもやする問題になったのです。


たぶん、大切なのは「正常化バイアスの認識」


「私は大丈夫」という無意識的下にあった評価・判断を認識する。まずはこれが一番大切なんだと思います。それをもって、自分はどう行動すべきか?主体的に、意識的に考え、判断できるからです。

意識的に考えることは、事実ベースでの情報を仕入れ、自分がとった行動の行く末を想像すること。その結果を踏まえてでも、自分は今、その行動をすべきなのか?そうでないのか?今できることは何なのか?

将来の見通しを設計して、行動できるようになるでしょう。


そろそろ電話してみようと思う


このノートをまとめることで冷静になったので、久々に両親に連絡を取ってみたいと思います。自分の未熟さと、得られた気付きの大きさに感謝して。

ちっぽけな被害者意識で疎遠にならぬよう。また、限られた両親との時間を大切にするよう。

「将来のために、今何ができるか」を考えていきます。




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