今週の日記#4(年末の話)
あっという間に年末年始、という文章を毎年なんらかの媒体で投稿している気がする。
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『そういえば年末年始なんてものもあったなと2月くらいに思い出す感覚』、『旅行の翌週くらいの記憶の朧げさ』と似ている気がする。(考えるには時期尚早な話題だけど)
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「冬はつとめて」に共感できる現代人、少なそう。
布団から出る瞬間が1日で1番苦痛だから。
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『自由律俳句』というものが気になった。個人的な趣向にビビッとくる文化。国語とか現代文の授業をちゃんと聞いていればもっと早く出会えていたかもしれない、と高校生の頃の怠惰な自分を少し恨んだ。
けれど、まだ好奇心の残っているときに出会えて本当に良かった。短歌という存在に心がときめかなくなる瞬間が今後の人生のどこかにきっとあると思うから。
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クレカ払いしようとして「暗証番号のご入力を〜」って言われたとき、接客業バイト経験の条件反射で機械から顔を背けてしまった。お前が入力するんだよ。
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寿司が食いたい。好きなときに寿司が好きなだけ食べられる人間になりたい。ただそれだけなのに。
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車を運転する夢を定期的に見る。運転免許の取得前はふんわりとしたイメージだった運転席の設備も、取得してからはアクセルとブレーキの位置やハンドルを回す感覚のリアリティまで格段に上がっているのがとても面白い。夢の中でも「真ん中がブレーキペダル、右がアクセル……」としっかり現実での自動車学校の記憶を思い出している。それでも夢の中では、ブレーキが効かなくなることが多い。だって大抵は悪夢だから。
現実はペーパードライバーだ。もう運転できる自信はないのに、夢の中ではペダルの踏み込み具合もハンドルの回す力も鮮明に感覚として残っているというのが人間の脳の面白いところだと思う。
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おやつにみかんを食べる。いつもだいたい2個。みかん2個って、あっという間に無くなる。次のひとくち……あれッもう無い!?!?と毎回びっくりしている。江戸時代だったら「妖怪みかんつまみ(人間が目を離した隙にみかんを食べてしまう)」とかが生まれていただろうし、水木しげる氏の図鑑を見ればなんかそういう奴が居そうな気もする。
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コップに注いだ野菜ジュースを飲んでいたら、脳内でたまに考える「絶対やらないけれど突然気が狂ったらやりそうなこと」のレパートリーがひとつ増えた。
「いま飲んでいるこの濃厚なオレンジ色の野菜ジュースを、クローゼットの中の衣類にぶち撒けたら大変なことになるだろうな」。絶対やらないけれど。
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「金曜日の夕方〜夜はアクティブユーザー数が多いのでスキを貰いたいならそこが狙い目」という文言を信じて投稿した記事はさほど伸びず、それを忘れいて適当な土日とかに投稿した記事の方が承認欲求を満たす程度にスキをいただいた。もう、わからん。
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ツイッターって不思議だな、「来月全国で見られる光景」とか言って今年の西暦の下1桁を次の年の1桁に上手いこと書き直したような手書きの画像を貼るだけのツイートが毎年のようにバズる文化がある。
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学校も会社も皆勤賞に近いような人が社会人になって「辞めるわけにはいかない」って思った結果、心身ともにキャパオーバーしてぶっ壊れて元に戻れなくなる、みたいなケースがあまりに多いように感じる。
私は学校からも実家からも労働からも逃げ続けた社会不適合者だけれど、現代社会においての生存率はそういう人らよりも高いかもねとポジティブに捉えている。
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押し入れには出席数不足で評定なしと書かれた中学の成績表、LINEのブロック欄は辞めたバイト先の人たち、突然辞めたために貰えなかった給料を思い出しては守銭奴の私は悔しくなるけれど。
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納豆卵かけご飯をするとき、納豆に付属するカラシを今までなんとなく入れずにいたけど、入れると風味が出てすごく美味しいということに気付いた。ただ余らせた場合は、付属カラシを有効活用するレシピなどがクックパッドに沢山あるので参考にすると良いと思う。
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寿司に入ったわさびが食えるようになったのがいつかは覚えていないし、家での一人称が自分の名前から「あたし」に変わったのも〈いつの間にか〉だった。
けど、こういうものの積み重ねで、幼稚園卒園記念の手形よりもゴツくて大きくなった私の手は形成されているんだろうなぁと思った。
(実家で寿司を食べました。美味しかったです。)
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雲もまさか、富士山の白い部分を隠す存在に自分がなるなんて思ってもみなかっただろうな。急にカメラを沢山向けられて「あれがなければ綺麗に富士山が見えただろうに」「富士山の白い部分と比べたら雲って意外と黒いんだな」「あの小さい雲ふーって吹き飛ばしてしまいたい」などと(主に私の脳内で)言われて、少し気の毒に思う。
◆終◆
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