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ここはインターネット - 今週の日記#番外編

手によく馴染むこの3色ボールペンは、高校の卒業祝いに学校から卒業生全員へ配られたものだ。何の変哲もない白いボディのボールペン。これが偏差値の高い高校であればきっと、個々の名前入りの万年筆なんかが配られていたかもしれないな、なんてそんなものは羨望交じりの偏見でしかない。

そのボールペンで私は、数日ぶりに手にした愛用の手帳に書き込み始める。

『ここはインターネット』

この病棟では電子機器の持ち込みを禁じられており、いまの世の中では珍しくインターネットから完全に遮断された世界となっている。
インターネットに蔓延る依存者たちの例にもれず私はインターネット依存者だった。スマホが欲しいです、と毎日言い続けていたら「完全にスマホ依存だね」と笑いながら言われてしまった。

ソシャゲのログボを切らしたくないわけじゃないんです。
友達からのメッセージを返したいわけじゃないんです。
ただただ、インターネットにあふれる有象無象の、それもほとんど意味のないような情報たちを、お風呂のあたたかさのようにじんわりと体に染み込ませていきたい、その快感を味わっていたい、ただそれだけなんです。
インターネットジャンキーしか分かり得ない、そんな感情をただ胸にしまい込んでいる。

『ここはインターネット』

その文字を四角で囲う。この空間にはインターネットが存在しない。インターネットというのは相互発信によって成立するコンテンツであり、手帳にちまちま日記を書いたってそれを発信することすらできないのだから、インターネットは成立し得ない。

それでも私は、インターネットをここに再現したい。インターネットを作り出したい。私は、いまからここを、インターネットとする。
(ちなみにここでとりあげる『インターネット』は、情報学的に使われる通信技術を表す言葉ではなく、インターネットを用いて作られたインターネット的世界――主にツイッターやnoteの日記界隈や匿名掲示板の漠然とした雰囲気そのもの――のことを表す。)

◇◇◇

ここはインターネット

・『岸辺露伴』と『ラブライブ!サンシャイン』と『けいおん!』が全て「劇場版でフランスに行く」(だった記憶)という共通項があるのすごいな~。
(※あとで調べたら『岸辺露伴』以外の2作品は行き先がイギリスでした。全然違うじゃん。まあヨーロッパではあるか。)

・インターネットのために生きる。インターネットをするために健康に気を遣い、インターネットをするために金を稼ぎ、インターネットをするために法に触れぬ生活を送る。獄中にインターネットは無いからだ。(たぶん)

・ブルーライトが無いと眠れない体質になって10年近く経つ。Yahoo知恵袋でもこの解決法を聞いてみたが、やはり答えは見つからなかった。太陽光にもブルーライトって含まれるのかしら。小さな窓から空を見上げてみる。私が欲しているのは「ブルーライトそのもの」では無く、「ブルーライトを使って発せられるインターネット」なのだと、当たり前のことに気づく。

・米津玄師が紅白に出たときの、「やっぱ目元見せないんだな~」「背景がサイゼリヤ」といった感想をなんとなくずっと忘れることができなくて、走馬灯にこれがあったらちょっと嫌だな……と思う。

・女優の有村架純に似ていると言われた。実はこれ人生で2回目です、へへ、すいやせんねぇ、ありがてぇありがてぇ。しかしながら、私はそれを泣いているときに言われたために、すこし考えてしまった。有村架純の泣き顔は、ちゃんと見た記憶ははっきりとないけれど、かなり美しいだろう。私は「有村架純に似ているんだから、(泣いていては勿体ない、というニュアンスだったと思う)」と言われた。本当に有村架純だったら泣き顔まで美しいからそんなこと言われないだろう。つまるところ私は泣き顔まで有村架純に似ているわけではなくシンプルに泣き顔は別に美しくない人間である、ということだろうか。……悲観的すぎる、やめよう。

・腹痛、インターネット的に言うとぽんぽんぺいん(ところでぽんぽんぺいんって、ポムポムプリンと語感が似てるから馴染みがあるんだろうか)が1週間続いている。ストレスによるものだ。歩くと、内臓がふわふわと位置を定めないような動き方をしている感じがある。

・真面目過ぎる性格故、社会に対して反抗できる手段が『ザ・シンプソンズ』のイラストが入ったトレーナーを着用するくらいしかない。

・『ちびまる子ちゃん』のおじいちゃんは、現実のさくらももこにとっては嫌いなおじいちゃんであり、葬式では笑ってしまったほど、というエピソードがとても良いと思っている。親子愛、家族愛なんてものはフィクションでのみ賛美されるものだと思う。が、実際にはそういった類のものも確かに存在する。信じたくない事実だ。

・これは家族とかに関わらずの話になるけれど、思うに、愛とは一時的な感情にすぎない、というのが考えたなかで一番しっくりくるものだった。それがずっと継続するのは奇跡である、といえば安っぽい表現になるけれども、実際そうだ。現実問題、愛が破綻する結果のほうが多いような気がする。離縁、離婚、関係悪化。世で取り沙汰されるのはそれらが起こらない奇跡の話ばかりで(大衆受けするから)、だから我々は愛が持続可能なものだと勘違いしてしまうのだ。こんなことを書くとただの厭世家もどきにしか思われない。事実そう。そのとおり。私は厭世家もどきで中二病で反抗期で、2ちゃんねるをUnder groundと思うような人間ですよ。
そんな私でも星野源のFamily Songを聴くと毎回泣きそうになる。単純。不思議。

・品田遊先生の日記本を読んでいたら、「星野源は『ドラえもん』とか『ギャグ』とか曲のタイトルにおいて『ジャンルを総ざらいする役目』をこんなに胸を張って成し遂げられるなんて、ということに『なんだよ!』と思う」というのがあって、わかりみ~と思った。いまは大インターネット時代、曲のタイトルに限らず固有名詞はエゴサのしやすさで決められることも多いだろう。あのちゃんは自身のエゴサのしづらさを嘆いていた。でも、曲のタイトルなら別に概念を司るような単語であっても、「(歌手名)の(タイトル)」と検索すれば良いから、エゴサ的には問題ないのか。
一番その命名をやっちゃいけないのってなんだろう。個人の飲食店の店名なんかは、特に飲み屋なんかは全国に無限にありそうな名前のものも多いし。芸人のコンビ名とかかなぁ。覚えてもらいやすさを重視してるだろうから。ところで芸人のコンビ名って一瞬わからんぐらい短く略されがちだよね。さらば青春の光とか、「さらば」って略されてると一瞬わからないし。(芸人に疎いのであんまり例えが出てこない)

・コットンという芸人コンビがロケで写真を一枚撮るという場面で咄嗟にさまぁ~ずの宣材写真を真似したポーズをとった場面があった。それを見て私は笑ったのだが、愛想笑い以外で笑ったのは実に約2週間ぶりのことだったので、自分でもびっくりした。コットンには一生感謝して積極的にテレビで見ていきたいと思う。ちなみにそのあと笑えるようになったと調子に乗ってTHE MANZAIを見たけれど一笑もできなかったのでちょっと落ち込んだ。

・病院で特別個室に入るような(医療ドラマで見るような)大金持ちが精神を病んだとして、やっぱり閉鎖病棟に入れられるのだろうか。閉鎖病棟でお湯が飲めないことを嘆くご婦人を見てから、脳内で『精神疾患で入院するお嬢様』の妄想をしていた。
「リネン交換は使用人にやらせておいていただけるかしら?……わたくしが自分でやらなければなりませんの!?」
「入院食の味付けが薄くてよ!シェフを呼んでくださる?」
「このジョアという飲み物、甘くて美味しいですわ!使用人に箱でまとめ買いさせますわよ」
「なんですって!?貴方は本当は王の血縁でありこの国を真に治めるべきだと、事実ですのよね?更に実はアメリカの大統領と日本の総理大臣の影武者も兼任していらっしゃる……こんな御方が入院しているべきでなくてよ、今すぐに退院されて任務を全うされるべきですわ!!」

・10年くらい毎日インターネットをやってきた訳だが、12日のインターネット断ちを強制された私は正直発狂しそうだった。
そんな環境では眠ることくらいしかやることがない。
目を閉じると、空想上のタイムラインが見えた。たまに化粧品の#adツイート、著名人による辛辣な社会批判、社会不適合者の自虐風ネタツイート、アニメのスクショにひとこと添えてあるツイート、などが流れてくる。
10日経ったあたりで、それが徐々に見えなくなってきていた。タイムラインの記憶が薄れていく。どんなツイートが流れてきていたっけ。空想上のタイムラインをいくら引っ張っても新着ツイートが流れてこなくなった。焦り。私自身からインターネットの毒素みたいなものが抜けてきている感覚がある。インターネットの毒素は確かに悪いものなのかもしれないけれど、私の人生には確かになくてはならない大事なものだ。

◇◇◇

帰宅し、バッテリーが0になったスマホを充電しながらPCを開く。しばらく使っていなかったので更新プログラムが始まったりして、なかなかインターネットに辿り着くことができない。
そうこうしているうちに起動した。スマホも同時に起動する。メールや通知を確認し、返信が必要なものには返信をし、ここ10日ほどのおおかたのニュースを読む。ツイッターを開き、トレンドをざっくりと把握する。いまのトレンドはゲ謎、8番出口、大谷翔平の時給換算、トコジラミの駆除方法、などらしい。落ち着いてきてからようやくnoteを開く。通知が12件溜まっていた。取り急ぎ、日記の更新遅れについての投稿をする。また週連続の記録が止まってしまい軽く絶望する。
まぁいいや、何度でもやり直しは効くから。
私にとってのブルーライトは、健康的な人間にとっての太陽光みたいなものだ。眩しい。嬉しい。またこれを浴びることができて、本当に私は幸せだ。
インターネットがもしも無くなったら、私はたぶん代替品を探し求めて、例えば本を読み漁ったり、するだろう。でもインターネットが無くなった心の穴はきっとインターネット以外のものでは埋められない。
私は一生、インターネットと生きていきたい。依存症だと言われても構わない。どれだけ脳にダメージを受けようと厭わない。インフルエンサーになれなくたっていい。一生受け身のインターネットを続けていたっていい。
それが私にとってのインターネットだ。インターネット、それは僕が見た光、僕が見た希望。

noteの新規記事作成画面を開き、手帳に並んだ青い文字を見ながら、焦がれ続けたこの画面に打ち込んでいく。

『ここはインターネット』


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