見出し画像

今週の日記#56

数秒の面白動画を観るために15秒の広告を観ている瞬間の虚しさ。

◇◇◇

一日一善、ということばをふと思い出した。なので、Uターンしてもと来た道を戻り、道端に落ちていたものを拾い上げた。
「種芋 じゃがいも(品種名) 298円」
おそらく、近くにあるホームセンターから風で飛ばされてきた、栽培用じゃがいもの値札。A4サイズくらいでラミネート加工されている。数日前にここを通りかかったときにも落ちていた。
ホームセンターは3分ほど歩いたところにあるし、種芋の値段が分からず困っているだろうから、気づいた私が届けよう。そう思って、私は泥にまみれた値札を持ってホームセンターへ向かった。ちょっとドキドキした。もしかしたらこの値札はもう新しいものを作り直してしまっているのかもしれない。数日も値札なしで置いている訳ないだろうし。そうだとしたら、ちょっと迷惑かな。このまま土に還したほうが良かったのかもしれない。ラミネートフィルムって土に還るんだっけ。
閉店時間間近のホームセンターに着く。園芸用品コーナーにはもう店員さんがおらず、渋々レジまで行って「あの、これあっちの方の道路に落ちてました」と値札を渡した。案外あっさりと受け取られて、拍子抜けした。
これもなにかの縁だ、と思い、種芋……はさすがに買えないけれど(畑もプランターも持っていないし)前にこのホームセンターで見たバケツサイズのじゃがりこ容器に入ったじゃがいも栽培キット、あれを買っていこう。じゃがいもは3月に種を植えるってネットで読んだし。と思って探したけれど、買いたいときに限って、置いてない。ネットで買おうかな。でもネットで買っちゃったらなにかの縁とかもうそういうの関係なくなっちゃう気がするな。

◇◇◇

じゃがりこの話題を出したら思い出したことがある。みんなそういう時期ってあると思うんだけど、私は10代前半のころ、無性に何者かになりたかった。個性が無いことが悩みだった。
そんな私は、あるときから期間限定のじゃがりこの容器を集め出した。なぜそんなことをしたのかは覚えていないが、なにかマニアックな存在になりたかったのだ。じゃがりこの容器マニアという道を目指し始め、スーパーに買い物に行く家族に必ず同行し、新作のじゃがりこを見かけては買ってもらっていた。遠出をしたときには、ご当地のじゃがりこ、そしてご当地のじゃがりこのフタを買ってもらっていた。じゃがりこのフタというのは、プラスチックでできたじゃがりこ容器のフタで、開閉できるタブが付いており、食べかけのじゃがりこを保管しておけるという便利グッズ。観光地の柄のものがお土産売り場などでよく売られていた。(いまも売っているかもしれない)
いつか「じゃがりこの容器を集め続けたじゃがりこマニア」としてバラエティ番組なんかに出られると、本気で思っていた。
しばらくして、飽きた。10代の熱中なんてこんなものだ。
集まったじゃがりこの容器を利用してスポーツスタッキングでも始めようかと思ったが、不器用すぎて断念した。そもそもスポーツスタッキングはじゃがりこの容器なんかでやるものではない、たぶん。
じゃがりこの容器はしばらく放置していたが、どんどん埃が積もっていくかつての収集品を見て完全に熱が冷め、全てゴミ箱へと突っ込んだ。
20代になった私は、いまだに何者にもなれていない。もうなろうとも思うことができなくなった。輪郭の見えない何者かとやらになろうと全力だったあの頃にもう戻れないと思うと寂しいけれど、それが「じゃがりこの容器を集める」ことであればそんなもん戻れなくてもいいや、とも思う。

◇◇◇

労働史に関する記事を軽く読んで、中世とかの産業革命以前は労働は悪と考えられていて労働が義務化のようになっているのは歴史的に見れば最近のことだ、と知った。いつか一周回って労働に苦しまずに済む未来がやってくるかもしれないな、と思うと、この世に僅かでも希望を見出すことができる。

◇◇◇

人生の攻略として、経験値貯めるのに一番効率いいのはやっぱり他人との会話だよな、って思う。他人と会話をしていると、メキメキと経験値が上がる感覚がある。逆に、最近私は他人とほとんど会話をしていないので、経験値が停滞している感じがある。このまま人と会話をしなかったら、たとえばこのあとフルリモートの会社に入って家で淡々と仕事をこなすだけのマシーンになってしまったら、私はずっと経験値を貯められずに、レベルアップできないまま、いつか突然敵のボスが現れてなすすべもないままゲームオーバーしてしまうんだろうか。よくない。他人と、会話をせねば。

◇◇◇

いつか自分史エッセイを書くのが夢だ、と家族が言っていた。なので、文学フリマというイベントの存在を(実は今度自分が出店するんだ、という点は伏せて)紹介し、実際に書いて本にしてみない? と提案してみた。いやぁ、自分なんかが、ともにょもにょしていて、結局やらないという話になった。自分はもうこの日記を本にまとめて出そうと躍起になっているから、この話が折れてしまったのが非常にもったいないなと感じている。人は本を出そうと思えば割と簡単に出せるのだと、同人誌と出会ってから知った。
人生におけるハードルも、案外低いものって多いのかも。同人誌は前例がたくさんあるから「簡単だよ!出来るよ!こっちの世界においで!」と言っている人がたくさん居て、ハードルを乗り越えやすい。けれども、人生におけるハードルは前例が身の回りに全くないというものがほとんどなのではないか。だから乗り越えづらい。前述の話に戻るけれど、これって他人と会話をすることで乗り越えられたりするのかもしれない。人からの助言ですんなり解決できることって、結構あると思う。名探偵コナンとかも、蘭姉ちゃんのふとした他愛のない発言で、謎解きが閃いたりするし。(例えとしてちょっとズレてるなぁ……)
やっぱり他人とのコミュニケーションは大事だな~、と思った回でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?