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【百線一抄】069■雁や鶴も飛び交った重要バイパス路線―常磐線

扱いとしては東北本線に属するいち支線。しかしこれまでの実績や
来歴は本線級と言ってはばからない路線がある。上野のひと駅北を
始点とする日暮里と宮城県の岩沼を結ぶ常磐線である。首都圏では
複々線を擁する大動脈路線、太平洋岸では沿岸に並ぶ都市をくまな
く拾いつなぐ主要幹線として首都圏や東北との流動を支えている。

水戸と小山を結ぶ路線が原点となる常磐線は、常磐炭田やそれに絡
む従業員・物資を輸送する路線として日本鉄道が建設を推進した。
路線は快調に延伸が進み、首都圏と東北を結ぶ路線が全通となった
のはわずか10年後のことであった。内陸を進む東北本線と異なり
山越えの区間が存在しない常磐線は、当時の輸送力事情にうまくは
まり、首都圏と仙台以北を結ぶ長距離列車の主要な経路として、そ
の地位を揺るぎないものとした。それは電化後も長く継続された。

もっとも、電化については独特の事情を孕む。戦後すぐに取手より
南は直流電化されたものの、大正初期に沿線の柿岡に設置された地
磁気観測所に与える影響から手つかずとなっていた。交流電化なら
ば問題はないということで、実用化のめどがつくとすぐに電化工事
は手が付けられた。交流電化区間は約6年かけて全線に広がった。

炭鉱閉山後は利用者増が続く首都圏側の輸送力増強が進められた。
つくば科学万博開催後にその傾向は強まり、民営化後に新車が入っ
た最初の特急列車は「スーパーひたち」であった。上野東京ライン
の開通後は一部列車が品川まで乗り入れるようになり、緩行線の地
下鉄直通とともに広範囲の通勤通学客を擁する路線となった。現在
は車両の世代交代も一段落し、内陸部を走るつくばエクスプレスと
の棲み分けも見えてきた。沿線地域を含む今後の発展が楽しみだ。

2011年に発生した東日本大震災は福島第一原発事故を引き起こ
し、常磐線はもとより周辺の日常を一変させた。被災した区間の復
帰には9年の歳月を要し、沿線市町の計画に基づく線路移設をとも
なう区間も生じた。制限が解除された地域においても日常への足取
りは軽いものではなく、復興道半ばであることを窺わせる。一方で
系統分割の可能性があった特急列車は「ひたち」の直通が復活。乗
り換えなしで東北と東京を往来できる地位は今も堅持されている。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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