陰ながらの善行・努力は報われるか?~報われたいなら、ここまでするべし!~#254
おはようございます、tamamioです(^^)皆さんは、「陰ながらの善行は報われる」と思われますか?
ちなみに「善行(ぜんこう)」とは「良い行動」のことです。ごみを拾ったり、座席を譲ったりする行動ですね。それを、誰も見ていないところですることは報われるのか?というお話です。
1 「お天道様や神様は見ていない」のが現実
本日の参考文献はこちらです。ドン!
一昨日、3冊本を買ったうちの一冊です。
著者のひろゆきさんは「社内での善行は上司の目に留まり、評価されるか」という話題に、次のように述べます。
なかには「きっとそのうち見てくれる人がいるはず」と、上司たちの評価をほんのり期待している人がいるかもしれません。でも、「いいことをやっていると、お天道様や神様が見ている」といったことはないのが現実です。(p210)
現実はキビシイですね・・・。
2 「善行・努力のアピール」までが仕事
ただ、善行や仕事上の陰ながらの努力が無用なのかと言うと、そうではありません。ひろゆきさんは、次のように続けます。
評価してもらいたいのであれば、ちゃんと自分でアピールしないとダメです。(太字tamamio/p210)
善行・努力をしたら、それをアピールしなくてはいけません。「善行・努力のアピールまでが仕事と心得よ」ということです。(タイトルの”ここ”とはアピールです。)
そもそも、人のことをそんなに見てくれる人はいません。仕事の上司も、有能なら部下のことを気にかけますが、残念ながらそんな人は少数派。
普通は「陰ながらの善行・努力」は、本当に日陰に隠れて終わるのです。もちろん、世の中をよくする善行や仕事の能力を上げる努力は必要です。
でも「報われたいな」と少しでも思うのなら、やっぱりアピールしないといけません。特に、日本を飛び出しての仕事・活躍を望むのなら「自己アピール」は必須!ぐいぐいいきましょう!
3 tamamio的・アピール力の鍛え方
私は小学校教師です。TOSSでの学びで、保護者に一筆箋を渡すことがあります。良いことをした子、頑張った子の保護者に「〇〇君はこういうことを頑張っていました」とお手紙を書くのです。
一筆箋をもらうのを、子どもも保護者も楽しみにしてくれていますが、私もいつもいつも善行・努力を見られるわけではありません。なので、時々次のように言います。
「先生も頑張ってみんなのことを見てるけど、いつも見られるわけじゃない。いいことをしても、先生が見てないかもしれない。もし自分でいいことをしたら『〇〇しました』って教えてね」
自分で見つけられないから、自己申告してもらおうという目論見でしたが、これは良いことだったのですね!どんどん「自己申告力=アピール力」を鍛えないと!ですね(^^)
4 個人的には善行・努力を続けます
こう書いてきましたが、私は陰ながらの善行や努力は大切だと思います。そして、他人には強要しませんが、自分はやり続けたいと思います。
そして、陰ながらの善行は、決して「誰も見ていない」わけではありません。実は一人、確実に見ている人がいます。
その「一人」とは、お分かりですね。そう、
自分
です。自分の両方の目は、自分の善行を必ず見ています。自分が見ることによって、自己イメージが確実に上がると思うのです。自分に誇りが持てますよね。
また努力も、それが正しい方向の努力なら、仕事で結果が出せるはずです。ただし「正しい方向性の努力」であることが大前提ですが。
なので「陰ながらの善行・努力」は他人や子どもに強要しないで、自分の趣味として細々と続けたいと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!乾燥していますね!お肌の保湿、特に入念に!
では、今日も素敵な一日を!ありがとうございました!
私の創作活動の糧は「読書」です。より多くの書籍を読み、より有益な発信ができるよう、サポートいただけると嬉しいです。