ガンディーからヒトラーへの手紙
インド独立運動における非暴力・非服従運動のリーダー的であったマハトマ・ガンディーは、第二次世界大戦勃発の直前の1939年7月23日と、ドイツが西ヨーロッパを席巻中の1940年12月24日の二回に渡って、アドルフ・ヒトラー総統宛に手紙を書いています。
1930年代後半に既にガンディーは独立運動家・宗教家・人道主義者として国際的に名が知れた存在でした。イギリス製品のボイコットやハンガーストライキ、1930年にイギリスが課す塩の専売特許に抗議した「塩の行進」が特によく知られています。
その一方で、ヒトラーは1933年国際連盟から脱退し、1935年3月16日には再軍備を宣言、1936年にはラインラント進駐を行い、第一次大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約を堂々と破っていきました。このようなヒトラーの対応に対してイギリスは強く出られずこの状況を容認。いわゆる宥和政策が開始されました。この融和政策の代表的事例とされるのが1938年9月に締結された「ミュンヘン協定」。この協定ではドイツが併合したチェコスロバキアの一部(ズデーデン地方)の領有を認める条件として、これ以上の領土拡張をしないと約束したものでした。イギリス首相ネヴィル・チェンバレンはこれでヒトラーの野心を抑えられたと考えましたが、1939年3月には早くも協定は破られ、予告なくドイツはチェコスロバキア全体を併合してしまいます。ドイツはさらにポーランドへの野心を示し始めたため、イギリスは宥和政策の方針を転換。ドイツに対し「飴と鞭」を使い分け世界大戦の勃発を避ようとしました。
ガンディー一通目の手紙
このような情勢の中で、多くの人がガンディーに対し、「ヒトラーの無謀な軍拡を辞めさせる」ようにヒトラー宛に手紙を書くように求めました。
この時ガンディーが書いた手紙は非常に短いものです。
親愛なる友よ 私の友人たちが、人道のためにあなたに手紙を書くべきと促し続けてきたのですが、実際のところ、あなたに対し失礼に当たるのではと思って、長い間筆を取らずにいました。しかし何かが私に対し、計算高くいるべきではないこと、価値があるかもしれない事柄には何でも訴えるべきであると告げたのです。さて、今日においてあなたは、人道主義をなくし残酷な状態に至らしむ戦争を止めることができる唯一の人物であることは明らかです。あなたにとってどれほど価値があったとしても、この事柄に対して代償を払わねばならないのでしょうか?無視できない成功抜きで戦争という手段を避けてきた男の声をお聞きになりはしないでしょうか?もし私があなたに手紙を送るというのが間違いであるのなら許しを乞います。
しかしこの手紙はイギリス政府によって検閲され、ヒトラーの下に届くことはありませんでした。
その後ドイツはポーランドに宣戦布告。ポーランドと相互援助条約を結んでいたイギリスもドイツと戦争状態に入りました。ドイツはポーランド、デンマーク、ノルウェー、ルクセンブルク、オランダ、ベルギー、フランスを占領し、1940年7月からドーバー海峡を越えてブリテン島侵入を目指し、イギリス本土への空爆を開始。それをさせまいとするイギリス軍との「バトル・オブ・ブリテン」が始まりました。さらに9月にはイタリアが参戦し、戦禍は西ヨーロッパから地中海、北アフリカ、バルカン半島にまで広がっていきました。
ガンディー二通目の手紙
そんな中の1940年12月24日、ガンディーは再びヒトラー宛の手紙を出しました。ガンディーは再びヒトラーを「親愛なる友」と呼び、次のように説明しました。
私があなたを友と呼ぶことは、形式的なものではありません。私にはどんな敵も存在しません。私はこれまでの過去三十三年間、人種・肌の色・信条に関係なく、どのような人間とも友好的に接することで、人類全体の友情を得るように努めてきました。
しかし、今回の手紙は前回とは異なり、手厳しくヒトラーの政策を非難しています。
祖国に対するあなたの勇気と献身については我々の誰ひとりとして疑いを持つ者はいませんし、あなたが敵から怪物と呼ばれているなどまったく信じられることではありません。しかしあなたや友人、信奉者の著作や発言を見ると、あなた方の行為の多くが怪物的で人間の尊厳を侵すものであると疑わざるを得ません。特に私のように普遍的友好を信じる者にはそう思われるのです。あなた方のチェコスロヴァキアに対する辱め、ポーランドに対する侵略、デンマークの併合といった行為のことです。あなたの観点に立てばこれらの略奪行為が良い行いであるということは私にもわかっています。しかし我々は子どもの頃からこういったものは人間性を傷つける行いであると教えられています。よって、あなたの戦いの成功を願うことなど我々には決してできません。
一方でガンディーは、ドイツと敵対するイギリスを擁護は決してしません。ガンディーはイギリス帝国主義に対する闘争を継続中であって、主敵はそちらにありつつも、暴力でドイツがイギリスを倒すことには反対であるし、逆にドイツの武力を借りてインドが独立を成し遂げることにも明確に反対の姿勢を示します。
ざっくり人類の五分の一はイギリスの足に踏みつけられています。それに対する私たちの抵抗は、イギリスの人々を傷つけることではありません。我々がやることは彼らの考えを変えることであり、戦場で彼らを打ち負かすことではありません。我々が行っているのはイギリスの支配に対する非武装の抵抗なのです。…我々は非暴力的な努力によって大きな成功を収めました。イギリス権力に象徴される、世界で最も組織的な暴力に対抗するための正しい手段を探り続けたのです。あなたが戦いを挑んでいるのと同じものです。…世界に住む非ヨーロッパ人種にとってイギリスの圧政が何を意味するのか我々は理解しています。しかし我々は決してドイツの援助によってイギリスの支配を終わらせようとは願ってはいないのです。世界で最も暴力的な力を全て合わせたものに対しても疑いなく対抗し得る力を我々は組織された非暴力の中に見出したのです。
さらにガンディーは非暴力主義に関する論を進めつつ、イギリス帝国主義に対する非暴力は武力を用いた抵抗よりも絶対的に効果的なはずである、と主張します。イギリスへの抵抗は武力ではなく、その反対側のやり方でやるべき、という平和主義者ガンディーの面目躍如たる内容です。
私が語ってきたように非暴力の手段において敗北などありません。「やるか・死ぬか」であって、殺すことも傷つけることもないのです。実行には資金もほとんどかからず、またあなたが完成させたような破壊のための科学の助けを必要としないことは誰の目にも明らかです。この手法が誰の所有物でもないことにあなたが気がついていないことが私にとって驚きです。必ずや他の勢力がいずれあなたのやり方を改良してあなた方自身の武器であなた方を打ち倒すことでしょう、それはイギリスではないかもしれませんが。あなたの支持者たちが誇りに思うような遺産をあなたは何も残してはいません。それが巧みに計画されたものであろうとも冷酷行為に誇りを持つことなどできはしません。それゆえ、私は慈悲の名の下、戦争を止めることをあなたに訴えるのです。
そうしてガンディーはヒトラーに「ヨーロッパの数百万人の人々の、平和を求める声なき声を聞く」ように訴え、平和への取り組みに協力してくれるように依願。またムッソリーニにも同様の手紙を出していると言っています。
しかし私が今行っている提案はもっと単純なものです。…ヨーロッパの人々の心が平和を切望している今、我々(インド)自身の平和的取り組みさえ控えているのです。時間をとって平和のために力を貸していただきたいというお願いは出過ぎたものでしょうか?あなたには何の意味も無いことかもしれませんが、多くのヨーロッパの人々にとっては間違いなく大きな意味を持つことです。平和を求める無言の叫びが聞こえます。私の耳には声なき数百万の叫びが聞こえてくるのです。私はこの訴えをあなたとムッソリーニに宛てて書いています。彼とは私が円卓会議への使節として訪英した際にローマで面会の機会を得ました。彼がこの手紙を自分に宛てられたものであると考え、必要な方針の変更を行ってくれることを、私は望みます。
この手紙がヒトラーに届いたかどうかは分かっていません。仮に届いて読んでいたとしても、そのあと起こった数々の悲劇を見ると、このガンディーの訴えはヒトラーに全く響いていなかっただろうことを思われます。
まとめ
この手紙はガンディーがどのように「圧制」や「抑圧」と戦うかの政治的戦略が端的に書かれており、非常に容易に分かるものとなっています。また、「平和を求める人の心に訴える」、つまりメディアの力を駆使し世論に訴え支持を得ることで為政者の梯子を外してしまうやり方、このガンディーの視点が第二次世界大戦はおろか、のちのベトナム戦争まで見通していることに驚きを感じます。
ガンディー思想は今みても通用するのですが、部分によっては狂信的・破壊的なところがあり、これは当時のイデオロギー的な思考回路に風穴を開けるためのある種の装置であったのだろうなと思います。
蛇足ですが、このガンディー的なやり方で現在大成功を収めているのが、スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさんで間違いなかろうと思います。