幸せを感じる時

その日はとにかく疲れて、夕飯を作る気がなかった。冷蔵庫には玉ねぎとニンニク、卵、豆腐くらいしかなく、ご飯さえも炊いていない。息子の保育園のお迎えの帰りに買い出しをすべきだったのに、子連れの買い物は大変疲れるので、とんとスルーしてしまったのである。

「夕飯なんにする?」

と冷蔵庫事情をよく知っているはずの夫が聞いてくる。家事は何でも自発的にできる。正直言って主婦スキルは私より断然上の彼である。それがノープランで聞いてくるのだから、夫も夕飯に対するやる気が全くのゼロなのだ。つい先日、義母が美味しさのあまり感動で私たちに勧めるために買ってきた日清の冷凍焼きそばで良いんじゃないかと提案してみた。

「それもいいね」

と優しい声が返ってくるが、それ「も」の「も」には、他に「も」何か良いプランはないかと言い含められている気がしてならない。他のプランをやる気のない脳味噌で思案を巡らせていると、不意にピザにしないかと夫が言った。

2ヶ月くらい前に郵便ポストに入っていたドミノピザのクーポンの存在を思い出したらしい。息子に玩具にされ、グシャグシャに破られそうになった所を寸前で救って大切にとっておいたアレだ。ドミノピザは前に気まぐれで頼んでみたら、生地が中々しっかりしてたし結構美味しかった。

私の「いいね」の一言で、ピザパーティの開催が決定した。ピザを頼むだけで、何だか気分が上がるのだから、ピザって便利だなと思った。そして、この突発的なピザパーティが思いもよらない形で幸せな記憶を私に残してくれる事になった。

とりあえず大人の夕飯はピザに決めたが、流石に1歳になったばかりの息子にピザは早過ぎる。注文するのは、息子に幼児用の健康そうな食事をさせて一息ついてからだ。1歳児にご飯を食べさせるのは重労働なのである。

これは子育て経験のある方なら、まあまあ共感してくれる事だろう。個人差はあるが、食べ物はもちろん、皿、スプーン、フォークのどれか、または全部が宙を舞う。食べこぼしをキャッチしてくれる便利なシリコン製のエプロンを装着させても、服がベッチョベチョに汚れてしまう事はよくある事だ。とにかく凄く疲れる事とご理解頂きたい。

何やかんやで夫婦で協力して、息子にご飯を食べさせ終わった事で予定外の連絡があった。義母の登場である。ピロリンと夫のLINE通知音が鳴って、一言だけ「どう?」とあったのだ。義母は色々な主語をすっ飛ばして、非常に簡潔なメッセージを送ってくる事がしばしばあるのだが、なかなか即座に理解できない事の方が多い。とりあえず電話した。

どうやら先週1週間風邪を引いていた息子のことを気にかけてくれたらしい。そして、今日の夕飯何食べるのと聞かれ、夫は嬉しそうにピザと答えたのであった。すると、

「いいわね。私も食べたい」

との事だった。義母もピザと聞いてテンションが上がったようで、ピザパーティに参加の意志を表明したのだ。義母からの「私も」という言葉をどう受け取るかで、嫁姑の関係が割と説明されてしまう気もしてしまう。家庭によっては何余計な事言ってんのよと、夫婦喧嘩勃発事案かもしれない。

「私が払うから行っても良い?」

と義母は少しの遠慮を見せた。パーティの費用を負担しようという提案である。しかしながら、先週は息子の看病の応援に4日ほど来て頂いた恩もある。3日前にはちょっと高級なランチもご馳走してもらい、甘えたい放題甘えている我々夫婦としては、今回はお代を頂くわけにいかない。日頃のお礼もかねて、是非来て欲しいとなった。

義実家と我が家は車で15分ほど。義母が義実家を出たタイミングでピザを注文した。ピザも15分ほどで来るから、ちょうど良い。タイミングはバッチリ合って、ピザと義母は、ほぼ同時に到着した。

ばあばが大好きな息子は、義母の到着を大いに喜んだ。ばあばを見るなり、ニコニコしながらパタパタと頼りない足取りでかけていく姿がとても可愛らしかった。1歳を迎えて、まだ1ヶ月経たない。毎日少しずつ、歩ける距離が伸びている。歩く事が楽しくなってきた頃合いのようだ。

義母は無垢な笑顔で駆け寄る孫を抱き寄せ、遊びに付き合う。遊んで遊んでと、まだ言葉を覚えていないけれども、1歳児の彼は体全体で表現するのだ。一方で、我々夫婦の関心は到着したばかりの熱々のピザである。ピザは熱いうちに食べなければならない。サイドメニューはサラダとチキンナゲットだ。

1歳児の面倒を大人3人で交代しながら見つつ、慌ただしくピザを食べる。少しでも熱いうちに食べようという慌ただしさだ。しかしガッツいていたのは、もしかして私だけだったかもしれない。うちの長女である白猫が、突然の騒がしさに何だ何だとリビングを駆け回っていた。

ピザを食べ終わると、義母はご飯を作ってから帰ると言い、スルッと台所に入っていった。どうやら食材を持ってきてくれたらしい。その隙に、私は息子をお風呂に入れ、寝室で寝かしつける作業を行う事にした。そして義母が帰る頃には、ほぼ空に近かった冷蔵庫は2日分くらいの惣菜で埋め尽くされていた。

とある疲れていた夜に、夕飯をピザにしたら近所の義母もやってきて、次の日のお惣菜を沢山作ってくれた、ただそれだけの出来事である。それが何だかとても幸せな記憶として、あたたかく心の中にポンと残ったのだ。幸せを感じる時、というのは何でもない平和な日常なのだろうか思った。

夫がいて、息子がいて、猫がいて。そして義母。大切な人たちと過ごす、穏やかな瞬間。普段色々な事はあるけれども、あの夜はただ穏やかだったのだ。その穏やかさが不思議な慈愛に満ち溢れていたような気がして、その瞬間を文章として残して置きたかったのだろう。

人がいつ、この世を旅立つかは誰も分からない。私はいつも、自分が突然死なないか、他の大切な人が死なないかを心配している。いずれ皆死んでしまうけれど、せめて生まれた順番で旅立たせて欲しいと常々祈っている。

今年70歳になった義母が、ふと「私は80くらいで死にたい。ヨボヨボになってまで生きたくない」と言ったことを思い出した。あと10年かと、たまらなく寂しくなった自分がいた。もしかしたら、あと10年もないのかもしれない。そう思うと、ただ切なくて仕方がない。義母だけでない。あと10年のうちに、私の大切な人たちの何人かが旅立つの可能性は十分に高いのだ。

私はあと20年。生まれたばかりの息子が大人になるまでは、せめて生きていたいと思う。できれば夫と一緒に。それは贅沢すぎる願いなのだろうかと思う事がある。ただ生きているだけで奇跡なのかと。

生きていると何もかもどうでも良くなったり、生きている事そのものが疲れる瞬間もある。だけど、幸せというのは予期していなかった突然の瞬間に感じる祝福のようなものだから、その瞬間がまた巡って来ることを信じて前向きに生きていこうと思った。


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