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花火の夜に猫が消えた話

猫が消えた。いつまでも猫は一緒にいるものだと思っていた。野良猫から保護して、一緒に住むようになって7年が経つ白い猫だった。家猫として、外に出さない猫として生活して長く、マンションの外を出たらうちの猫はとても生きていけない。だから、ベランダに出るリビングの窓の開閉にはいつも神経を使っていた。ただ、その日は花火の日だった。4年ぶりの花火の日。コロナが明けたというには憚られるかもしれないけれど、コロナの騒ぎが落ち着いて初めての花火だ。コロナの直前に生まれた我が家の3歳児にとって人生初めての花火大会でもあった。だから、私たちは浮足たって油断していたのだ。

「夏にはベランダから花火が見れるんですよ」
息子が生まれてすぐに購入を検討したマンションで、売主からそう言われた時、すごく素敵だと思った。家から花火が見られるなんて、とても良い。毎年ベランダから家族で花火を見られたら幸せだろうと思った。夢見た家族でのベランダ花火が、ようやく巡ってきたのである。

「今日は花火なんだよ」と息子に言うと、早く花火がしたいと喜んでいた。去年の夏、田舎のおばあちゃんの家で手持ち花火をした。今年はもっとおっきい、特大サイズの花火が見られるよと期待を大きくした。息子には藍染の手しぼりの甚平を着せて、「花火スタイルだよ」と言うと、息子は照れながら笑って「花火スタイル!」と繰り返し笑っていた。

花火が始まるとベランダに椅子を出して、夫と義母と息子と繰り出し夜空を見つめた。息子は私の背中に寄っかかり、まっすぐ姿勢を保てない。「花火すごいね。綺麗だね! 僕は赤い花火が好きだな」と私の体にしがみつきながら息子は花火を見ていた。花火の色が青から赤へ円を描くように変わっていく花火を見て、「あれは新しい花火ね」と義母が言うと、息子は喜んで「新しい花火はどれ?」と興味津々だった。

「タマコも花火みるかい?」と言って、私は猫を抱き寄せ、ベランダに出し、花火を見せたが音に驚き怖がるばかりだったので、そっとリビングに戻した。それが最後の猫との記憶になってしまった。

ニコちゃんマークの花火が印象的で、他の花火は大きく破裂して広くキラキラ光を拡散していくスタイルの花火が多かったような気がする。久しぶりの花火に、テンションがコントロールできず、息子をおんぶしたり抱っこしたりしながら、綺麗だねと笑顔を見せ合ってた。

1時間強の花火は3歳児には長く、後少しでフィナーレというところで集中力がなくなった息子はエアコンの効いたリビングに逃げ去り、その後を義母が追って行った。その他にも途中で喉が乾いたとかでキッチンから水を持ってきたり、かなりの頻度でベランダの窓の開閉をした。

息子はもう眠気が限界で、マジで落ちる5秒前といった感じで、すぐに寝てしまいそうな雰囲気で不機嫌を露わにしていた。せめて歯を磨こう。速攻で歯を磨き、汗がベタベタで気持ち悪いと言うので即シャワーを浴びせ、寝巻きを装着。自らの意思で寝室に向かい、お布団にゴロンする息子はほんの3分でセルフねんねに成功した。

スープの冷めない距離に住んでいる義母を車で義母の家まで送るなどして、家に帰ると今度は夫がフルトンVS井上のボクシング配信をこれからやるから見よう!となっていた。共通の格闘技の趣味を通じて結ばれた夫婦なので、世紀の一戦と言われるこのカードはぜひ見たいと、iPadに夫婦で釘付けになる。この時、完全に猫のことは忘れている。

1ラウンド、2ラウンド、3ラウンド井上優勢からの、456、拮抗、7ラウンドでフルトン優勢となって、もう井上負けちゃうんじゃない?って思いながら見ていた8ラウンド目でボディから顔に入るコンビネーションで持っていき、畳み掛けるようにTKO勝利。井上こええええ!つええ!と夫婦で大興奮で盛り上がり、いい試合だったねと1日の締めくくりの挨拶をした。

あとはシャワーを浴びて歯を磨いて寝るだけ。それと猫の水の交換と餌のチェック。猫の水の交換をしながら、猫を探してみる。書斎にもウォークインクローゼットにも、トイレにも、寝室にもいない。粘着コロコロの紙を交換する音で猫を引き寄せる技を持っているのだが、何度コロコロして粘着紙を交換しても、猫はうんともすんとも言わない。部屋のどこを探しても猫が見つからない。

「今日花火でベランダの開け閉め多かったから外出たかもね」
夫の冷静なコメントに心が折れそうになる。
「大丈夫だよ、出てくるから。外にご飯と水置いておけば戻ってくるよ」
夫は睡眠薬を飲んでさっさと寝床に収まり、安らかな寝息でころりと寝落ちてしまった。

私はというと、ベランダの外に餌と水、猫トイレを置いて、またしつこいながらも家中を探して絶望していた。

もし戻って来なかったら?

今日が最後に会った日ってことになっちゃうの?

今頃他の部屋のベランダを冒険しているところだ。飽きたら帰ってくるさ。いや、他の住人に見つかって、「やや!怪しい猫だな、野良に返そう!」と言われて、そのままマンション外の原っぱに捨てられてしまったら、どうやって家に戻れると言うのか。もう会えないんじゃないか。今から同じフロアのマンション一軒一軒訪問して、白猫お邪魔してませんか?ってお伺いするには遅い時間だ(22時過ぎ)

今できることは、猫の帰りを待つことだけだ。何もできることはないんだ。

睡眠薬と頓服で出ている向精神薬を投入して、なんとか落ち着ける方向にまとめたい。

私、猫を大事にできていたかな。できていなかったから、神様が罰として猫を没収したんじゃないかな。

一週間たって出てこなかったら、もう永遠に会えないのかな。

猫は子供同じだ。自分の子供だと思って育てて生きている。自分の子供が手元から不慮の事故でいなくなってしまうなんて、耐えられる自信がない。

猫のいない人生が始まってしまうことが怖くて仕方がない。どうか、猫が今穏やかに寝ているだけでいて欲しいんだけれど。

極度の緊張で私は猫を思っていた。寝ようと思って睡眠薬を飲んだが全然眠れない。向精神薬も効いてこない。動揺が動揺を呼び、全然落ち着けない人になって情緒不安定で震えていた。

猫がいないだけで、私は自分の背骨を失うことになるとは思わなかった。

とにかく今は寝るしかない。明日の朝までに猫が帰ってくることを信じるしかないんだと強く念じていたとこに、リビングで猫サイズの重さのものが落ちる音がした。思わず寝室から飛び出して、リビングの電器をつけると、白くてフワモコのいつものうちの猫が「ママ変な顔してどしたーん?」と言いたげに擦り寄ってくる。

いつもの猫がいたのを確認した私は胸が溢れんばかりになって、即猫を抱きしめた。「どこにいたんや!チュールやるぞ!」多分リビングにいたのだろうけども、本当にどこにいたのか分からない。外に出ようなんて度胸のない猫なのは知ってたけど、家の中におって、ほんまに良かった。あまりの心のジェットコースターが激しかったものだから、書き溜めたいと思った。本当に怖い夜だった。

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