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母乳をやめた話

疲れている、という実感はなかった。母乳か、ミルクか。できることなら母乳で育てたいと思っていた。母乳は母親の免疫を渡すことができるし、哺乳瓶の消毒の手間もないし、子供とのスキンシップで愛情形成もできるという。母乳はミルクより良いものだという神話が知らず知らずに頭に刷り込まれ、ついには「母乳で育てられないのは子供が可哀想だ」と謎の考えに支配されていた。

しかし息子が生まれて1ヶ月の頃、私は息子に搾乳機で絞った母乳を与え、足らない分をミルクで補っていた。我が子は「おっぱい絶対拒否マン」になっていたのである。おっぱいを咥えさせようとするものなら全力で嫌がり、首を振り、泣き叫ぶのだ。

というのも、生まれてすぐの事。息子は黄疸が出て、医師から1週間母乳禁止を言い渡された事が原因だった。母乳の成分が黄疸を悪化させるらしく、退院後1週間検診の結果を見るまでは母乳は与えちゃダメとの事だった。おっぱいが出始めた、生後4日頃の話だ。入院中、息子はアイマスクをした状態で、紫の光を照射される治療を24時間受けた。

赤ちゃんが生まれてから初めに出てくる、初乳。免疫成分が沢山入っていて、栄養価が高いレアアイテムは、何としてでも息子に飲ませたいと思った。それなので助産師さんに相談し、搾乳機で母乳バッグに冷凍保存して退院時に持ち帰り、母乳解禁になったら飲ませることにした。

退院後は息子にミルクで授乳させたタイミングで、息子が飲んだ分量を目安に搾乳機で搾り、母乳バッグで冷凍した。初めは25ml単位で保存していた母乳も、50ml単位、80ml単位と量が増えていった。

できることなら母乳を飲ませてあげたい母心である。ミルクをあげてから搾乳するのは手間であったが、疲れは感じなかった。それが愛情だと思って、母乳を息子のために生産することが正しいことだと信じていた。

1週間後検診の結果、晴れて母乳解禁となり、早速息子に母乳を飲ませようとおっぱいを咥えさせた。哺乳瓶に慣れてしまった息子は、突然やってきたおっぱいに恐怖した。何度咥えさせても吐き出し、断固拒否の姿勢を崩さない。

赤ちゃんにとって哺乳瓶は楽らしい。ちょっと吸えば甘いミルクが出てくるのだから。対しておっぱいはコツがいるし体力を使う。顎全体を使って全力で吸わないとおっぱいは出てこないのだ。

おっぱいを怖がり、泣き叫ぶ息子に無理におっぱいを押し付けることは胸が痛んだので、搾母乳を哺乳瓶で与えることにした。それでも量が足らないので、ミルクと混合で育てることになった。

疲れている意識はなかった。季節は秋から冬に変わる頃で、搾乳機の部品が胸に当たるのが冷たかった。電動搾乳機なので、搾乳中はスマホを見たり本を見たりすれば良いのだから、特に苦労とも思わなかった。産後1ヶ月で確実に疲れは溜まっていたのに、自分が疲れているという認識は一向になかった。

「母乳、やめても良いのよ」

自分が疲れている自覚を得られたのは、母の一言だった。生後1ヶ月の孫の顔を見にきた時である。ミルクを調乳し、哺乳瓶でミルクを与え、消毒し、搾乳機を組み立て、搾乳し、搾乳機の部品を消毒する私の姿を見た母は、私がひどく疲れているように見えたらしい。

「搾乳大変でしょ。無理することないのよ」

頑張って搾乳してきたのに、その努力が無駄になるのかと思った。ただ、その時に「頑張っていた」ことに気がついたのである。私は無理をしていたのだ。

「そんなことないよ。搾乳中は漫画読んでるだけだし」

無理していることは、すぐに認められなかった。少しでも息子に母乳を飲ませてあげたかった。母乳の方がミルクより良いモノのはずだから。

子供に吸われないおっぱいは少しずつ量が減って、電動搾乳機で30分かけても、子供が1回に飲む量に満たない事が続いた。水分をとって、タンパク質を多めにとって、体を温めて、考えられる工夫はして、たまに母乳が沢山出ると嬉しかった。

そんな時、電動搾乳機が壊れた。酷使した当然の結果である。1日6回、1回30分。1ヶ月以上使い込んだ搾乳機は、もう限界ですと哀れな音を立てて壊れた。新しく同じものを買えば、1万円近い。新しく電動搾乳機を買う行為自体が、とても疲れるような気がした。

そこまでして母乳を続けたいのか。

「母乳、やめても良いのよ」

母の言葉が思い出され、それが救いの言葉のように感じた。流石に、疲れた。それでも、「今日から母乳をやめます」というように気持ちをすぐに切り替えることはできなかった。母乳を与えることが、母としての大切な役割であるような気がして、それを止めることが寂しく感じられたからだった。

間をとって、私は電動搾乳機ではなく、シリコンタイプの、おっぱいに吸い付くタイプの安い搾乳機を買った。おっぱいに吸いついたまま、放っておくと勝手に乳が絞れているという優れものだ。

この搾乳機を使って、自然に母乳が出なくなったら母乳をやめようと思った。しかしそれは、子供がおっぱいに吸い付くことが前提で作られたモノで、子供が全くおっぱいを飲まない私には合わない商品だった。刺激が少なくて、私の母乳はあっという間に枯渇した。出ないものは仕方がない。いよいよ私は母乳をやめることを受け入れた。

息子がおっぱいを吸うことはほとんどなかったが、たまに気まぐれに吸ってくれる事があった。息子と一体になり、乳を与えるという体験は、幸せで温かいものだった。

母乳を与えることは、母親にしかできない。子供と自分を結ぶ特別なシンボルとして、私は母乳にこだわったのかもしれない。



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