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保育園で忍者になり、息子を見守った話

「息子さんに気がつかれないようにしてください」

ある朝、変装用のバンダナとエプロン、マスクを手渡され、そう言われた。息子の保育参観である。いつもの自然に遊ぶ様子を見て欲しいとのことで、スタッフに化けて息子を見守ることになったのだが、決して本人にママと気が付かれない事がミッションのクリア条件だった。途中でバレてはいけない。まるで忍者だ。

祖母が伊賀忍者の末裔で、わずかだが自分にも伊賀忍者の血が流れている事を思い出す。祖父が亡くなった直後に、父と叔母が何気なく始めた先祖調査で分かったことだ。それよりずっと前に姉が「実は母方の家系に西洋の血が入っているかもしれない」と興奮気味に報告してくれた時よりも、伊賀忍者の血筋という方がロマンがあって胸がときめいた。今日は私に流れる忍者の血が活躍してくれるに違いない。

相手はつい最近乳離れしたばかりの1歳9ヶ月のヒヨコボーイ。全く気が付かれないで予定の1時間半を過ごすことなど雑作もないことよ、と思った矢先にバレそうになった。クラスから外のお庭に出ようと自分の靴を探り当て、「クック、クック〜」と靴を掴んで私の方に向かってきた。目を合わしたら最後だ。さっと身を翻し、息子の横を過ぎ去り事なきを得た。保育士に向かって「クック〜クック〜」と能天気にさえずっていた。多分私のことも保育士だと思ったのだろう。

まだ自分一人では靴を履けないお年頃。ご機嫌な様子で靴を履かせてもらい、園庭に繰り出し、三輪車に跳び乗る姿は輝いて見えた。同じく三輪車に乗る同級生の後を追って、勢いよく土を蹴り付けてブイブイ言っている。体全身で僕は楽しいんだ!と表現しているのを見ると、ああこの子は幸せなんだなと胸の辺りが暖かくなった。

子供たちで賑わう園庭で景色に溶け込んでいると「これ、リス組さんの」と通りすがりの女の子から白いレンゲを渡された。スタッフの一人になりきれている事に安堵感を覚え、「ありがとー」とレンゲを受け取り近くの保育士さんに渡したりなどした。

息を殺し、気配を消し、息子に存在を気取られないような忍者モードのテンションは長く続かなかった。ものの10分ほどである。息子のズボンがずり下がり、ものの見事な半ケツ状態が気になって仕方なくなったのだ。

三輪車で庭のパトロールを終えた息子がテラスに戻ってきて、水遊びをするグループに合流した時である。

子供3人くらいが入れそうな大きなタライが2つほど並べてあって、子供達がペットボトルやらレンゲやら、シャンプーボトルのポンプやらを使い水でバシャバシャ遊んでいた。息子は合流した瞬間に服がずぶ濡れになって、保育園での洗濯物がやたら多い理由が分かった。しかし気になるのは息子の半ケツである。誰も気にしていないのだろうけど、親心として、すぐに近くに寄ってズボンをあげてやりたい気持ちになりソワソワと親オーラ全開で佇む他なかった。

息子のオムツは今Lサイズである。もうビッグサイズに買い替えた方が良いのだろうか。amazonで買うのと近くのホームセンターで買うのはどっちが安いのだと思うと、ポケットに忍ばせてあったスマホを取り出しamazonのサイトに飛んでいた。

すると担任の保育士がやってきて、「保育中なので携帯はちょっと」と叱られてしまったではないか。私は「あ、あの息子が半ケツになってまして…」と携帯をいじっていた言い訳を情けなく唐突に述べた。いい歳して全く一体何をやっているのか。

保育士は私の言い訳を言い訳として認識していなかったと思う。むしろ携帯を指摘された反撃のクレームとして受け取ったかもわからない。「あらあら〜」と言って息子の半ケツを直してくれたが、私は居所の悪さで青ざめていた。

息子は集中して遊んでいたので、私の正体に感づくような素振りはあったものの、ついに気が付かず約束の時間が近づいていた。忍者ミッションと変なテンションで浮かれていたものの、ひっそりと息子をただ見守るだけの立ちっぱなしの1時間半は過酷であった。普段どれだけ運動していないか猛省を促す機会にはなった。可愛い息子が遊んでいる様子をひたすら見続けるのも重労働である。

私は何もせず、ただぼーっと息子を見ているだけなので、子供の世話をしている保育士さんはもっと重労働だ。たった1時間で棒になってしまった貧弱な脚を支えながら、保育士さん達に感謝の念を捧げた。ありがたい。

保育参観の後は保育士との面談があって、40分近く息子の事について話した後、昼食を食べている息子と合流した。ご飯を食べている息子に気がつかれないよう、こっそり後ろに回って見ていたのだが、あまりに近くに寄りすぎてしまったため感づかれたのである。

ご飯も残りわずかだったので、保育士さんから「ママ、もういいですよ」と言われ、私は変装で頭に巻いていたバンダナを取って息子の前に登場してみた。

すると真顔でご飯を食べいてた表情が花が咲いたような笑顔になって、ニコニコと喜んでくれた。「ママだ!」と言いたげで、同級生には「僕のママだ!僕はこれから帰ります!」とアピールして、さっさと帰路に着こうとした。

保育園が大好きなものと思っていたが、いざ母親が現れると一緒に家に帰りたがる姿を見て、本当は家で甘えたい年頃なのかもしれないと少し切なくなった。ただ、保育参観を通じて実に楽しそうに遊び尽くしていたので、そんな事もなかろうと首を振った。

しかし息子が保育園で普段遊ぶ姿を見守るのは、実に可愛らしく貴重な機会であった。これは母親だけが独り占めしても良くないので、次の保育参観で忍者になるのは夫に譲りたいと思った。

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