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快楽、自制、解放、規制、、、そして、、、

「贅沢できなくても良いので、コツコツと地道に生活を積み上げていくのが良いのか、欲しいものを得るためにエネルギッシュに猛進して行くのが良いのか?どっちが幸福なんだろう、、、
そして、多くの記事を見ていると、落ち着くところは、何事にも感謝の念を忘れず、当たり前を当たり前と思わず、着実に生きていくべきだと言う記事が多く見受けられます。

きっと日本は、この30年近くの現状を鑑みた時に、あまりにも全てを「当然の事」と思い込んでいる節が強く、多くの方がそれじゃいけないよね、と思っている証拠なのでしょう。「子供だから当然だ」「客だから当然だ」「弱者だから当然だ」「男だから当然だ」そんな意識が氾濫しすぎて、その反作用として、そうじゃいよね、人生には何一つ「当たり前」と言えるものはないよねと言う自省心が芽生えているんだろうと思います。

「イライラしたら食べれば解消する」という回路だけが残ると、腹の減り具合と関係なく、心の不安は食べることで解消できると無意識に脳が覚えてしまうようになる。これが過食症になったりする人です。なんて記事もありましたが、日本は「快楽」は悪のイメージが強く、快楽に溺れる事はよくない、すべきではないと言う価値観で固まっています。

最終目的地に着く為に、モチベーションを維持する事は困難で、その途中途中で何らかの刺激を与えて、褒美の様なものを利用して生きていくと、いつの間にかモチベーションを維持する為の手段だった「褒美」が目的と化し、褒美を得るために生きるようになる。だから「刺激」「褒美」「快楽」などは十分に気を付けないと中毒に陥るよって事なのですが、、、、。

確かに人間の脳は、パブロフの犬じゃないが、条件反射的に慣習化を築き上げ、いつかしら中毒に陥ってしまう特徴を持っていると思います。
日本社会の現状を見ていれば、その自省的な呼びかけが多いのも十分に納得できます。

こう言った記事や報道を見ていていつも思うのは、日本はこの30年以上本当に画一的意識が極端に強まっているように思います。
正解はひつじゃなダメ、正解はみんなが賛同しなきゃダメ、こうあるべき、こうだよね、、と兎に角全てを一つの型にはめ込まないと許せない的な意識が強まっていると感じます。

しかし、人間はそんなに単純な動物じゃないと思います。
自制的にコツコツと生きて行くのが一つの幸福のあり方である事には、異論は全くないのですが、「堕ちて行く」「快楽に溺れ」死んでいくも、人間の幸福を司る一つの選択肢である事を忘れている様に感じます。

人間は通常リスク回避で生きてますが、時にリスクを得る事も辞さず生きていく時もあります。人間は平和を望みますが、時に争いを作り出していく時もあります。人間は誰でも優しい側面を持っていますが、同時に冷淡な側面も有しています。人間は賢さに憧れますが、同時に賢さを忌み嫌います。常に人間とは矛盾を抱えて生きています。
自制的な健気な人生も正解ですが、快楽に溺れていくのも、正解の一つである事も認めるべきだといつも思います。

個々の人間ができることは、自分の中に自覚を作り上げる事、アイデンティテーをしっかりと持つことだけではないかと思っています。
結局、100年程度の生命です。好きな様にルールに則って生きて死んでいくしか、人間にはできないのです。アリの様に健気に真面目に生きるも良し。キリギリスの様に遊び呆けて路上で凍死していくのも良し、細長く健康で地道に生きて行くのも良し、太く短くパッと散っていくのも良し、全てが正解であるとあると思いますね。

様々な自己啓発的な記事や本がありますが、それら全てはあくまで「一つの選択肢」である事を忘れてはいけないと思います。
重要なのは自分が何を欲し、どの様に生きて死ぬ覚悟を積み重ねていくか!
それに尽きると思います。
多くの方々が日々悩み苦しみながら霧の中にいる時、何らかの光となるよなものを探していくのは当然の事だし、必要な事だと思いますが、余りにそれに囚われ自分自身を失ってしまうのも本末転倒だと思います。

特に世代の若い人たちは経験が少ない分、思い込みが激しく偏った画一的思考に陥りやすいので、様々な情報を得る事も大事なのですが、先ず自分で自分自身をキチンと成立させる事が優先事項と思います。自分をキチンと成立させるとは、自立するって事ですね。自立できていない状態で、幾ら愛するものを助けたいと思っても無理です。自分自身で立つのもままらない状態で、どうやって他者を守る事ができましょうか?

人間は単純な動物ではないのです。善に生きている訳でもないのです。感情もあれば理性もあります。人生における正解とは、あなたがあなた自身で作り上げていくものなのです。マニュアルで「〇〇すれば幸福になれる」誰にでも通用するなんてものは存在しません。あくまで「参考例」として認識して行った方が良いと思います。こう言う人もいる、あぁ言う人もいる、だけの事です。
正解は与えられたり、決まっているわけではありません。
他人様がそれを美味しいと感じても、自分がそれを好むかどうか全く別な話です。自分自身が何を望んで、どう生きて、そして最終的に死ぬ覚悟を持ち得るか?端的に言ってしまえば、人間は死ぬ為に生きている様なものですから。笑っちゃいますよね!!死ぬと言うゴールに向かって偉そうにもがいているんですよ?見方を変えちゃうと、バカみたいなお話になっちゃいます。昔の人は、この死と言うゴールを狂気と言った人います。人間誰でも生きる権利と自由と責任を持つべきと思いますが、同時に死ぬ権利と自由と責任もあるんです。
光があれば、必ずそこには影が存在します。
その両方がキチンと貴方には見えてますか?


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