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信用ある環境

人間社会において「信用」という厄介なものが大きな存在を占めている。

「信用」システムといえば「お金」である。「お金」は「信用」を基盤としたシステムにどっかり乗っかっている。

人間関係に於いても「信用」と言うものが大きく影響を与えている。

「信用」は「思い込み」を生み出す。「思い込み」は大きなエネルギーを生み出す。「思い込み」は愛でもある。完全なまでの思い込み、、それは愛の一部とも言えるかも知れない。

そしてそこから生み出される悲劇は「騙される」ことだ。

騙されない様気をつける、それは相手を「疑う」ことだ。

「信用」という社会基盤に於いて「疑う」と言う道具を使って生き延びる。

今社会は「疑う」事を放棄している様にも見える。単純化、見える化、公平平等化といった様な言葉に世界は大きくうねりを起こしている。

例えば100人の集団の中で99人が「それは善」と判断して、1人だけ「悪」と言う判断を行う。

例えば1000人の集団の中で990人が「それは良し」と判断しているが、10人が「いや違うだろう」と判断をする。

1千万人の中で990万人が「それは悪」と判断している中、10万人が「善だ」と主張する。

ここに多数決システムと信用のシステムが絡み合う。

多数だから「正しい」

多数だから「それでいい」

そう言った思考と圧力が社会に生まれている。

「北朝鮮は悪だ」

誰も実際に北朝鮮に行ったことも見たこともないのに、世界中が「北朝鮮は悪」だと思い込んでいる。報道は全てだ、報道は正しいと思い込んでいる。

実際にアメリカで暮らしたこともないのに「アメリカはね、、こうだよね」といかにも住んでいたかの様に平気で思い込みを口する者がいて、信用することに慣れている者は、それをそのまま信用し信じ込む。

「お金」は信用のシステムであり、銀行には額面通りの現金はないのに、誰も疑わず、銀行にはお金があると思っているいし、安心だと思い込んでいる。

様々な「信用」「思い込み」が日常に溢れており、その多くの「思い込み」に属さなければ「魔女」として裁かれる。

「資本主義が正義で社会主義は悪だ」経済学を習った者は、おそらくその様な判断はしないだろう。

「民主主義が善で共産主義は悪だ」これも「疑う」事を知った者は単純にその判断はしないだろう。


人を信用する事で成り立っている人間社会で、疑うことを覚えて成長する人間。そして疑い異を唱えれば、多数決の原理で「おかしい」「異常」「狂気」として切り捨てられる対象へと移動していく。

「疑う」事を職業とした警察。悲劇は起きる。サンドラ ブランド

自身の信念に生きる人生にも悲劇は起きる。アナ モンテス

愛に生きようと「信用」を駆使する。そして悲劇は起きる。エリー コーヘン

人間でいようとすれば悲劇を生む。小林多喜二

祖国と個人との間に生きれば悲劇が訪れる。鄭蘋茹(テン・ピンルー)

国家が殺戮を推し進める。隣国は悪魔だと情報を垂れ流す。1人の人間が異を唱える。「あいつは狂人」だと社会は個人を叩く。

ヴァレリー・エリス・ウィルソン。

社会は「差別だ」と叫び始める。人間は「嫌う」事を許されない社会へ向かう。暴力問題と人間の感情の問題を混迷させ、人間の感情を管理し大人しい従順な生物を増殖しようとする。

「怒り」は悪だと社会は叫ぶ。ここでも又、感情と行動を区別せず問題の根源を有耶無耶にして社会を扇動する。意義を唱えれば「狂人」だと裁かれる。

全ての価値観が単純化に向かってる。全ての判断が周囲と同調しなければいけないと時代は動いている。

本当に多数の価値観が正解なのか?

本当に自国の価値観が正解なのか?

本当に親の意見は正解なのか?

結局、人間は誰も正誤を判断することはできない。

個々の人間は「思考の自由」「発言の自由」「価値観の自由」「生き方の自由」など多くの「自由」は保証されなければいけない。

しかし現実は集団に沿わないと「敵」だと叩かれ「異常」と裁かれ殺されていく。

「魔女狩り」は間違った言動だったと云いながら、現代でも異質な者や違う思考の者達を弾劾裁判する。多くの者は「魔女」にされたくない恐怖から同調意識を強めていく。

「信用」と言う手放し状態の思い込み、それは狂気を生み出し悲劇を作り出す。

「疑う」と言う防衛を土台とする正義は、狂気を生み出し悲劇を招く。

そして貴方はお手上げだと考える事を止める。

デジタル情報の危険性、マスメディアの危険性、国家の危険性、思い込みの危険性、ネット社会の危険性、至る所に光と影は存在し矛盾世界を作り出す。

その矛盾する無限回廊を彷徨えるも者達は、考えることをやめて判断を他者に委ねる。そして人間は人間を信用できなくなり、Aiなどの人工物に判断を仰ぐ。

データーはどうなっている、確率はどうなっている、Aiの判断はどっちだ?

「報告しろ!」と言いながら裏では「あいつの報告は信用できない」という。

古代は「神」の意向に沿った人類、これからは「Ai」に人間管理を委ねるだろう。

怒ることも笑うことも主張することも意義を唱えることも、全て集団に添い集団に倣う。

自覚症状のない狂気が社会に溢れ出していると一部の者は危機を叫ぶが、そのサイレントワーニングは多くの者達の耳に届くことはないだろう。



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