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望むもの、欲するもの、夢、希望、

様々な自己啓発に関する記事や、多くの方々の成功例?の記事や、海外との比較記事や、たくさんたくさんマスメディアの中に溢れています。
多くの記事を読んでいて毎度のように感じることは、日本の多くの皆さんは自分が欲しているもの、望んでいる将来などを、きちんと理解できているんだろうか?と言う点です。

特にビジネス、キャリアなどに関する記事では、どのようにすれば!のようなノウハウ記事が多いのですが、本当にそれが大切なこと?と思います。
また、過去や既存の在り方を分析評価し、変革などを訴えている記事も多いのですが、本当にそれを多くの方々は望んでいるのだろうか?と疑問に思います。

日本は昔から今も、協議制社会であり、和を持って尊しとする村社会ですし、国民もそれを望んでいる民族と思います。

それなのに、「仕事ができるできない」とか、「こうすればより能力が伸びる」とか「海外はこうだから、、」とか、協議制にあまり重要としない点を一生懸命に唱えている記事が多く見受けられます。
協議制社会で最優先となる、もしくは必要とされる能力は何でしょうか?
個々の業務能力でしょうか?経営能力でしょうか?数学的思考能力でしょうか?効率性を基準とした思考や言動でしょうか?

協議制は「皆で喜びも悲しみも分かち合い、みんなで協力し合って、縦の格差が生じないように」ここが目的地ですよね?
ですので日本の現実社会を観た時に、教育のシステムや実際の企業活動や、はたまた政治の世界まで、能力に長けた強力なリーダーを中心にした世界は一つも見受けられません。
全ては協議制の多数決が社会と民意を埋め尽くしています。

そして能力者=マイノリティですよね?本当にできる人、能力者、専門に長けている、そう言った人たちの言動を、どれだけの「普通の人」が理解できるのでしょうか?どちらかと言えば、能力者達の言動を理解できない人たちの方が、割合は多いと思います。自分が理解できないものに、人は賛成票を出しますか?

多数決で最も重要なものは、人気です。その為には普段から「気遣い、心遣い、金遣い」これが最も重要なファクターになります。それなのに「能力を!」なんて求めて、何の意味があるんでしょうか?
よく企業活動における記事で、老害だ、使えない社員だ、なんて見聞きしますが、実社会が能力者を重宝する仕組みになっていないのですから、能力者が選ばれる事はないのです。能力にたけ、感情に流されず、きちんと進むべき道や政策を実行できる人は、協議制社会では冷血、無感情、冷たい人、、しまいには「仕事はできるけど、人間的に欠陥が、、」と評されて終わります。

例えば人脈なんてよくある言葉ですよね?人脈って元来ビジネスにも業務にも不要なものなんですよ?でも現実社会では、非常に重宝されており上手に使っている方々が多いですよね?製品やサービスや、企業理念、処理能力を見たとき、人脈なんてものは一切関係ないのです。人脈があるから、その人の処理能力が高まるとか、製品の質が向上するとか、ありませんから。
ではどうして日本社会では人脈が重要になるんでしょうか?
賛成票を取るために重要になるからです。賛成票を確保していくときに、個々の能力は重要ですか?先ほども言ったように終いには「あの人は頭がいいかもしれないけど、、」「あの人は仕事はできるけど、、、」
能力よりも別な側面で、多くの人たちは賛成票を出しています。

例えば会社の経営を考えた時、能力主義でいけば必要とされる能力は、経営能力であって販売能力じゃないですよ?ですが現実はどうですか?経営能力じゃなく、営業能力や人望や人脈が重宝されています。それが日本社会です。
なので企業活動で「あいつは仕事ができない、能力ない」なんて文句を言っている方がお門違いなんです。そもそも論で、そう言った人材を求めていない社会構造なのですから。

例えばある企業や個人が、日本社会において突拍子もなく利益を突然上げたとします。社会はそれを認めますか?例えばある個人が販売を突然伸ばして、1人だけが利益を確保したとします。それを他の社員達は、容認しますか?
日本社会は、独り占めは許しませんよ。「お前1人でやってのけたわけじゃない」と出る杭は打たれるわけです。これが協議制社会ですよね。

教育環境もそうです。出来る子が中心なる構造になってますか?違いますよね、多くの子供達が、皆揃ってそれなりに出来るようにしてあげる仕組みになってますよね?能力中心なら、能力に合わせて「出来る子」が基準値になる仕組みに変えるべきです。出来ない子は振り落とされるべきなんです、能力がないんですから。日本社会はそれを容認しますか?しないと思いますね。過去も現在もそして未来も。

なんかにつけて「可哀想」という様な感情を基準とした基準値があり、それを中心にみんなで協議し、なるだけ多くのメンバーが納得し得る落とし所を探していく。その為に調整役が一生懸命動くわけです。過半数を取るために、日々賛同者、つまり仲間を増やして、仲良しクラブを作っていくわけです。
それが社会の土台として脈々とながれている環境なんですから、自分たちが望んでいるものは、能力でも効率性でも成長や偏った利益でもないと言う自覚を持った方が良いと思います。自分たちが望んでいるものは、皆で協力し合い、お互い出来ること出来ないことを支え合い、喜び悲しみ分かち合い、笑顔で楽しく変わらぬ平和を維持していく事と認識を持った方が良いと思いますよ。

であれば、あいつは仕事ができないとか、誰がどうのこうのと誹謗中傷するんじゃなく、頭の良い人には策を講じてもらい、説明の上手い人にはプレゼン資料を作ってもらい、対人折衝に長けている人には外回りを任せて、事務処理に長けている人には縁の下の協力をもらい、ムードメーカーには疲れた仲間を癒してもらい、皆んで利益を生み出して、誰がどうのじゃなくみんなで平等に利益を分かち合っていきましょう!的な記事を増やしていくべきじゃないでしょうか?

協議制村世界の横の平等社会でありながら、海外の縦の平等社会の手法を真似たって全く意味がないですよ?
うちわで競争を煽って、仲間同士を疑心暗鬼落とし込んで、何が特になるんでしょうか?日本人の精神が荒んでいくだけです。
マスコミや一部の方々の大きな声に惑わされず、一人一人がもう一度、自分は何を求めているのか?日本はどんな国なのか?そう言った事を強く再認識していくことの方が、ノウハウなどの知識を得るより余程重要な事だと思います。





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