悩める若き巨匠が辿った不確かな本気
岡本太郎が若き日にパリで描いたとされる3点の抽象画が発見されました。
パブロ・ピカソとの衝撃的な出会いがあり、抽象画へのめり込んだ初期のものです。
第二次世界大戦が始まり、ドイツ侵攻により、パリから帰国した岡本太郎は戦場へ送られ、終戦後、青山の自宅に戻った時にはパリから持ち帰った作品は、空襲で全て焼失していたそうです。
今回発見されたパリ時代の、抽象画のスタートを切った作品は、私たちにとっても希望になるでしょう。
自分のオリジナリティを追求しながら、何ひとつ確信の持てないまま、抽象画の世界へ飛び込んだ時期に描いたものです。
これが実際に岡本太郎本人の作品であるかどうか、同時期の作品が全て焼失している中で、その鑑定は困難を極めます。
私たちが知る、「芸術は爆発だ!」の岡本太郎が描いたとは思えない稚拙な作品であり、自信に満ちた強いラインがそこにはありません。
鑑定にあたった方々は、「若き岡本太郎が悩み、作風に迷い、気弱な心を抱えていたことが見て取れる」と。それこそが、大発見だったのではないかと思える。
これは1つの希望です。誰もが悩み、弱さを抱え、小さな挑戦を日々繰り返しながら、やがて大きな太陽の塔を作るのです。
【真善美を求めて】
20代半ば。学校の教科書の小さな狭き見識しかなかったけれど、ヨーロッパへ出て、永世中立国の意義を知りました。
それから、仏道の中道という概念を知って、私の花教室では、政治・宗教・セールスは御法度というルールをしきました。
どちらにも偏らない、淡々としたど真ん中を進まない限り、花と心底向き合えないからです。
このまま行けば、出家しそうな勢いです(笑)。夫からは、「僕が死んでからにしてね」と言われているので、多分そうするでしょう。
今日のレッスンで、1人の生徒さんが言った言葉が忘れられない。
「私が花を生けるのは、曼荼羅を描くことと一緒かもしれない」と。
それは頭を空っぽにして、無心に淡々と中道を行く事に似ています。本当の心地良さって、内側からじわじわと湧き上がるもので、特別な刺激に酔いしれることではないからです。
そして、その静かな心にこそ、真の善と美は浮かび上がって来るはずです。私はそれを信じて見守っています。その場限りの善を偽善と言い、損得でしかないからです。
明日は参議院選挙。
本気で生きている人に投票したいですね。
それを見極めるのも静かな心。
そして、本気で生きているかと問われています。
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