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今目の前のあなたと あるいは「不健全な健全」について -aiko「夜空綺麗」読解と考察-

2021年aiko歌詞研究・後期は「何時何分」と「夜空綺麗」の読解で、本noteでは「夜空綺麗」稿を掲載します。簡単なごあいさつと説明は「何時何分」読解の冒頭をご覧ください。

はじめに

「夜空綺麗」は2018年6月6日に発売されたアルバム「湿った夏の始まり」の一曲として発表された一曲である。少し不安感を煽るようなストリングスから始まり、曲の通り夜を駆け抜けるようなギターサウンドが鋭く響くロックナンバーだ。
個人的には湿夏でも三本の指に入るくらいのお気に入りソングだが、私はライブで聴いたことがないので(LLP20には二公演行ったが、いずれも夜空綺麗がないセトリだったのだ…)是非またLLRが無事に開催出来る運びとなった際にはセットリストに加えてもらいたい。
なお、2018年1月に逝去したaikoのバンドメンバーを長く務めたギタリスト、やよっしーこと弥吉淳二氏の遺作となった一曲でもある。聴く際はやよっしーに想いを馳せてもらいたい。

さて、この曲を読もうと思った経緯なのだが──私のaiko歌詞研究の選曲は、たいがいテキト~というか、くだらない連想ゲームによって行われる。
今回も「何時何分やるし、もう一曲は同じ漢字四文字の夜空綺麗にし~よおっ💖」とかいう、まだマジカルバナナの方がいい仕事するやろと言うくらいの超絶テキト~選曲においてのセレクトだった。

これが今回ものすっっっっごく! 悪手! だった。罰が当たった。そりゃ当たるわなんじゃこの適当さは。
罰。そう、たびたびブログやツイッターで書いていたが──資料がない。
ない! ない! ない! な~~い! のである!

湿夏のインタビューの中で「夜空綺麗」について語っていることは歌唱面やサウンド、やよっしーのことについてのみであって──いや私の持っている資料が貧弱ということもあるが──歌詞に言及しているのは全く見つからなかった。
発売当時ゲスト出演したABCラジオの「よなよな…」で何故かこの曲が流れたので、もしや! と思い録音した音源を聴いたものの、「夜空綺麗」の話は一切していなかった。いやせんのか~~~い! しろ~~~!!!
えー……シングル発売時でさえもラジオ出演は追い切れていないので、どこかで全曲レビューしている音源があるかも知れない…どう伝の時はそういう番組があったので。
あ? あーあじがとの忙しい人の為の湿夏全曲紹介(第16回)もあるけどさ……あれは……今聴いたんですけど……ダメだ~~!! 歌詞について何も言ってねえ!!(これはねぇ結構高いんですよキーが、だけどすごく気持ちいい駆け抜けるような一曲)(←これだけ)(マジで)

……と、いうわけで、今回は完全に、歌詞に関してはaikoのヒントと言う武器、指針がない状態で、正直完全にお手上げムードである……。
選曲する際には前もって資料の有無を確認しような、私…(教訓)

いや~~~……。
えっ、えー……。作者の意図をちっとも解せず、ただ歌詞という材料だけを好き勝手に食べてどうこう言う、ネットという在野に無数に腐るほど転がってる歌詞解釈(笑)みたいなの、私それ、一番やりたくないやつなんですけどぉ~!?(めっちゃケンカ売ってくスタイルやな…)

……とは思ったのだが、よくよく考えたら9月に発表した「花火」読解も、歌詞にはほとんどふれていない、言及していないaikobonのライナーノーツのみで読んでいたな? と気付いた。幸いにもご好評頂けているので、「夜空綺麗」も同様に裸一貫くらいの勢いで、私自身の感性や倫理観その他もろもろをもって歌詞そのものにぶつかってみるしかなさそうだ。
とにかく歌詞という作品、文字や表現ひとつひとつととひたすら実直に向き合っていくしかない。それに私はaikoファンとしてそれなりに長くやってきているし、歌詞研究もお陰様で十年近く続けている。それほど自分勝手な読みにはならない……とは思いたい。でもちょっと不安。

しかししかし、幸いなことに「夜空綺麗」はアルバムの一曲である。アルバムに関しては発売当時のaikoの言葉が残されているので、彼女の語る「湿った夏の始まり」のコンセプトをまず探ってみよう。

ひとと触れ合いたいきもち

二つのインタビューを参照していきたい。とはいえ全文ではなく、「夜空綺麗」を読むうえで重要と思われるところをピックアップしていく。まずはOKMusicのインタビューを引用する。

──“湿った”という表現がいいですよね。aikoさんが生み出す曲たちは人と人とが触れ合った時の体温を感じさせるものばかりだし、本作はそれがより鮮明に描かれたアルバムだと思うので。
今回はレコーディングをした帰りに渋谷の街を通ることが多かったんですよ。そこでね、人と人との触れ合いを求めて街に繰り出している人がこんなにも多いんだなって改めて思ったというか。“スマホだけあればいい”“彼氏や彼女なんていらない”“結婚願望なんてないです”みたいな人が増えているって巷では言われたりしますけど、いやいや実際はみんな触れ合いを求めているやんってすごく感じたんですよね。お店に入るために深夜に長蛇の列を作って、そこでは夜な夜なパーティーが繰り広げられてて…みたいなことって一見、健全ではないように思えるけど、私にはそれがすごくいいなって思えたんですよね。例え健全ではなかったとしても、そこでみんなが抱いているような気持ちを、私は曲として書いていたいなってすごく思ったというか。

──人と触れ合いたいと思うことは、むしろ健全なことだと思いますしね。
そうそう。私もそう思うんです。だから、ちょっとホッとしたところもあって。普段、アルバムを作る時にはコンセプトを考えることはないんやけど、今回はそういう街の様子をいつも見ていたから、自然とそういう内容の曲が多くなったし、それが結果的にこのタイトルにもつながっていったような気がしますね。

このaikoの語る渋谷の様子を打ち込んでいて、しみじみとしてしまった。したくもなる。世界がコロナ禍に堕ちる二年前はこんな感じだったのだ。二年もあれば世界は一変する──と言う感慨は、今回の趣旨から外れるので先へ行こう。
aikoが語るように、こと現代、令和のこの世の中となっては、コロナ禍もあって人間関係や人との繋がりに淡白な風潮になってしまっているのは、おおむね同意出来ることであろう。
ただ、aikoが渋谷の街で見た夜に集う人間達はそんな風潮に抗うように見えていた。「みんな触れ合いを求めているやん」と。──まあ「みんな」とひとくくりにしてしまうのは乱暴ではあるが、触れ合いたい、までいかずとも、誰かとお話したい、気持ちを分かち合いたい、ということを感じる人は、実際のところとても多いと思うし、2020年から続くコロナ禍はそのことを強く感じさせるものとなったのは、読者の皆さんも肌で感じていることだろう。

aikoが通りすがりに見ていたパーティやクラブに長蛇の列を作って集う人々は、確かに一見すると不健全と言うか、軽薄な集まりなのかも知れない。しかしaikoは「一見、健全ではないように思えるけど、私にはそれがすごくいいなって思えたんですよね」と感じたのだ。
更に言うと、そこにこそaikoが描き追及するものがあった。「自然とそういう内容の曲が多くなった」と言うことは、正体不明の「夜空綺麗」も、人との触れ合いを求め、繋がりを感じていたいウェットな気持ち──まさに“湿った”夏の始まり──をニュアンスとして多分に含んでいると言えよう。

あなたの心にふれたい

もう一つ、「音楽と人」2018年8月号も参照しよう。

「このアルバムはずっと渋谷のスタジオでレコーディングしてたんですけど、家に帰るのがだいたい明け方の3時とか5時だったんですよ。スタジオ出て、ちょっと歩いてると、平日と金曜と土曜で、いつもと顔が違うんです。すごくパトカーがいる時もあるし、酔っ払ってこいのぼりみたいに路上で寝てる人たちがいたり、若い子たちがコンビニの前でお酒呑みながら座り込んでる日もあったり」

──そうやって人を観察してた、と。
「なんとなく(笑)。でもみんな必ず、誰かと一緒にいることを楽しんでるように見えたんですよね。今って携帯があればいいとか、彼氏も彼女もいなくていいとか、結婚にも興味ないとか、そういうことが取り上げられてたりするじゃないですか? ひとりでも大丈夫だし、おひとりさま御用達が大人気、とか。でも、私が見てた渋谷の街はそんなことなくて。みんな人にめっちゃ触りたいやん、って」

──人と人の温もりを欲しがってるじゃねえか、と。
「そうなんです。O-nestやO-EASTとかが並んでるあの道を通ると、クラブとかにすごく行列ができてたりして(笑)。それを見た時に、みんな触れ合いたいんやな。人ってちゃんと目を合わせて、肌と肌が触れ合わないと、信頼関係は築けないし、何かが生まれるのはそこからなんやろうな、って。だから、<あ、これが健全なんや>って思ったんです。私は曲の中で、<あなたの心に触れたい>という気持ちを描くと、こういうのって今の人は求めてないのかな、って思うこともあるんです。でも、本当はみんな心の中ではそういう気持ちを持っているのかな、って渋谷の街を見て思ったから、だからずっと描き続けていこうって思いました」

「誰かと一緒にいることを楽しんでるように見えた」──やはりコロナ禍にある今、非常に沁みる発言である。コロナ禍の前にこんな背景を持って発売された「湿った夏の始まり」はある意味ではこの2020年と2021年を予言していたと言えるのかも知れない──が、それは未来人のたわ言に過ぎない。

「人ってちゃんと目を合わせて、肌と肌が触れ合わないと、信頼関係は築けないし、何かが生まれるのはそこからなんやろうな。だから、<あ、これが健全なんや>って思ったんです」

この発言もものすごく深く感じ入るものがある。ある意味ではaikoの歌詞の特色の一つである、フィジカルに訴える肉体的表現の根拠としてこの発言は保存しておくべきものなのかも知れない。

「私は曲の中で、<あなたの心に触れたい>という気持ちを描くと、こういうのって今の人は求めてないのかな、って思うこともあるんです。でも、本当はみんな心の中ではそういう気持ちを持っているのかな、って渋谷の街を見て思ったから、だからずっと描き続けていこうって思いました」

これは逆に言うと、aikoの曲は常に、多かれ少なかれ“あなたの心に触れたい”と言うことをテーマの一つにしている、ということでもあろう。
究極、恋愛とはそういうものなのかも知れないし、そもそも恋愛だけに限らないだろう。誰しもそんな気持ちがあるからこそ、大袈裟ではあるがこの人間社会は続いているのかも知れない。
そしてこの2020年と2021年でこの気持ちはより可視化され、より表面化していった。その想いを抱き続け、曲を書き歌を歌い続けているaikoはこれからより一層支持され愛されていくのだろうと思うと、どうしても涙を禁じ得ない私がいるのであった。

ふれあうことを求めるこころ

ということで、「湿った夏の始まり」におけるコンセプトやaikoが込めたものを簡単にまとめるとこんな感じである。本来のインタビューはもっと長く、語っていることも深いため、是非とも読者の皆様それぞれでご確認をお願いしたい。

・人と人のふれあいが密に描かれている。一見不健全なように見えるが、aikoからしてみれば良いことのように見えた。まさしく質感……いやアルバムタイトルに準えて“湿感”のあるアルバムである。

・人は触れ合うことを心では求めている。そこにaikoは焦点を当てたので、アルバム曲はそういった文脈やニュアンスが込められたものとなっている。タイトルの「湿った」という表現通りのウェットな質感も、人と人の肌のふれあいから来ているのであろう。

あと単純に、aiko自身あまり意識していなかったようなのだが(天才はいつも意識しないんだよな)雨の描写が多い。発売日は6月6日。かわいいコックさんの絵描き歌にあるような、6月6日に雨ザーザー……ではないが、結果的に梅雨の時期にぴったりになったアルバムと言えよう。
と言うか、約20年前の同じく梅雨の時期に発売した「夏」を冠したアルバム──であり、何を隠そう私が初めて発売日に店頭で購入した、aiko3枚目のアルバム「夏服」から約20年後をちょっと意識した一枚であることはそれこそ各所のインタビューで触れられている通りだ。

さて、まあそんなわけで、全く歌詞に関しての資料が見つからず、開始から完全にお手上げ状態である「夜空綺麗」も、このコンセプトや、aikoの意識したものが大なり小なり反映されている、と見ることが出来るだろう。
そんな心当たりを抱いて、さっそく歌詞を読んでいこうと思う。

冷たい夜、ふたりきり

「夜空綺麗」という曲は、間奏はあるものの実はイントロからアウトロまでずっと歌詞がつまっている、最後まで気が抜けない珍しい曲である。

とか書いているのに、いきなり歌詞外のことから言及してしまうのだが、私がこの曲のお気に入りポイントの一つであるイントロのストリングスを聴いて、読者の方々はどう感じるだろうか。「木星」ほどのおどろおどろしさや悲愴感はないにしろ、何となく不安を煽られる印象はないだろうか?

一言で言うと、出だしはとにかく不穏なのである。歌詞研究はあくまで歌詞と言う文学作品にのみ注視していくのが筋ではあるので、基本的には楽曲面にはあまり触れないのが私のやり方なのだが(私が音楽のことな~んもわからん、という理由もあるが…)編曲の方向性を出すのはこの曲の作者であるaikoなのだから、この歌詞外の情報、私が感じる印象もまた「夜空綺麗」を読み解く上で重要であると思う。特に今回は資料がないため、より大切な情報だ。
出だしからこのように、どこか心をざわつかせる趣向を取り込んだのは、aikoにそういう狙いが多かれ少なかれある、と言うことと見たいところである。

 冷たい風が耳をつまんだらそっとぎゅっと抱きしめてよ
 深爪した指先強く押しつけたコート
 あぁ果てしのない夜空きれい

そもそも歌い出しである「冷たい風」もしょっぱなからやや不穏と言うか、あまり良くないものの暗示だ。
しかしながら、あたしとあなたは離れるどころか、この自分達に忍び寄ってくる冷たいものに対し、身を守るように一つになっている。「そっとぎゅっと抱きしめてよ」と、「そっと」とつけながらもあたしは「ぎゅっと」するような強いハグを望み、あなたもおそらくそれに応えている。

あたしも同様に、ぎゅっと抱き返す。「深爪した指先」を「強く押しつけ」ているのだが、深爪しているということは、それで何かを強く握ったり押したりすると指先が少し痛くなるわけであるが、あたしはそんな痛さを厭わないのである。そんなものは些細でつまらないもので、二人は、あたしはあなたを抱き返すことにとにかく集中している。今二人でいることが、抱きしめ合っていることがあたしの全てなのだ。

二人は抱きしめ合って、多分お互いに夜空を眺めている。あたしはあなたと抱き合って眺める夜空を「きれい」だとも思う。そんな「きれい」な「果てしのない夜空」のもと、ぽつんといる恋人達は、抱きしめ合ってはいるものの、随分と物寂しく孤独なシルエットとして見えてくる。見ている者に先行きの不安を抱かせる……と言っても言い過ぎではないと思うのだが、どうだろうか。

あげるから囁いて

一番Aメロに入る。全体的に見て、あたしがどれほど強く揺るぎなく「あなたのそばにいようとしているか」を描いているような気がする。それはもう、いっそ病的なくらいにだ。

 虚しく終わる日はそばにいるよ知らないことは囁いてよ
 持ってないものはきっとあたしが持ってるんだよ
 もう充分だと言われてもあげる

「虚しく終わる日はそばにいるよ」はシンプルでわかりやすく、意味もそのまま受け取ればいいだろうからいいものの、「知らないことは囁いてよ」は何だろう。「わからないことがあるなら、あたしが教えてあげるよ」という意味なら、それはそれでいい。あたしはあなたにとって優しき導き手であるということだ。

だがこれを深く読んで、「知らないこと」が「あたしが把握していないあなたのこと」なら、私はいささか、怖さを覚える。つまり「あなたの全てを掌握していたい」とも取れるわけだ。
いやそれは考えすぎー、と私自身も思うのだが、続く歌詞や全体の印象から言って、その傾向が多少あってもおかしくないのでは……とあくまで私は感じている。……ところで今回、夜空綺麗単品でaikoの指針がほぼないので、読解というよりそれ、単なる感想では? と思われるところが結構ある……ことになるのを今更だがご理解いただきたい……。

「持ってないものはきっとあたしが持ってるんだよ」についてであるが、つまりはこの二人は不完全な二人であって、二人でいることでやっと成立する二人、ということである。
いや、世の中のどんな二人組もお互いに欠けているものを補う関係であると私は思っていて、それは押しなべて実に尊く美しく見えるのであるが、しかしながら「夜空綺麗」のこの二人はそこまでポジティブというか、善なる印象であるような感じは、残念ながらあまり抱けない。
支え合う、お互いに手と手を取り合って歩いているというよりは、二人でぎゅっとしていないと崩れてしまう──そんな危うさがある。冒頭の強い抱擁もそうだし、二番で綴られる「不確かで粉々」という表現も、この二人に潜む危うさを裏打ちしているように思う。
そんなこの一文のせいで、「もう充分だと言われてもあげる」というフレーズもあたしが与えるタイプの愛情を持つ、尽くすタイプの愛し方の人なのだという情報の一方で、与えすぎ尽くしすぎて、かえって二人のバランスを崩してしまうのでは、という不安を感じさせる。

また、このAメロ全体、最初に「揺るぎなく」と書いたが実にその通りであり、あたしはこんな自分に対し、これといって疑念を抱いていない。その行き過ぎかも知れない愛と束縛に、実に厄介な確固とした自信を持っている辺りが逆に恐ろしいのである。
そもそも「もう充分だと言われてもあげる」んかいと思うわけだ、こっちとしては。ちょっと分別を見失っているのではないか、と思わなくもないのだが、どうだろうか。
いやそれにしても、あたしは「あなたの全てを掌握していたい」のかも知れない、と先述したばかりだが、あたしが持っていないものをあなたに与えることについて、「もう充分だと言われてもあげる」心づもりでいるのなら、なるほど、やはりあたしは「あなたの全ても持っていたい」気持ちでいる……のかも知れない。読むからに危険で、ひょっとするとやや病んでいるかも知れない……と感じてしまう私がいるのであった。皆さんどうっすかね……。

「かわいそうだ」と思った

イントロとAを辿った時点で既に不穏・危うげメーターが八割を超えている気がするのだが、次に進む一番Bメロがひょっとするとこの曲で最も問題があるところなのでは、と思っているところなので、まだ序盤でこれか、と頭を抱えてしまいそうになる。

 振り返ったら悲しみが座って待ってた
 あまりにも泣いているから手を差し伸べた

悲しみ、とはおそらくあなたのことであろう。泣いている、つまりは「かわいそう」なあなたに、あたしは「あまりにも」「泣いているから」手を差し伸べてしまったのである。

つまり、この恋もこの二人も、憧れや愛しさや尊敬から始まったのではなく、同情や哀れみか何かから始まった恋、あるいは愛なのである。
恋の始まりに善悪の区別をつけること自体ナンセンスだとは思うのだが、一般的な……というかあくまで読解をしているおきあたまき個人の倫理観や恋愛観からすると、それはちょっと……なんか危うくないですか……? と思いたくなるのだが、読者の皆さんとしてはどうだろうか。
個人的には危うさにプラスして、恋を続ける基盤がどうにも脆く感じるし、お互いにあまり善いものを齎さないような……RPGの状態異常で喩えるなら、少しずつHPを削っていく「どく」に侵された状態のようにも思えるのである。

しかも「待ってた」という表現も悩ましいところで、悲しみを抱えていたあなた自身も何らかの「救い」──というよりは無償で与えられる「慰め」を求めていたのである。誰かに「かわいそうだね」「そばにいてあげるね」「愛してあげるね」「慰めてあげるね」「暖めてあげるね」と、与えられるのを待っていたのだ。
そしてあたしは「あまりにも」なその姿につい心を動かされ、手を伸ばしてしまったと言うわけだ。与えられるのを待っていたのなら、それなら、「もう充分だと言われてもあげる」と言っていたのも納得である。……一言でこの二人を表現するのなら、共依存と言うことになるのだろうか?

うーん、と腕を組んでしまった。この二人、正直あまり、健康的であるとは言えない。一番Aで書いた通り、病的と言っていい。少なくとも「爽やか」であるとか「清々しい」といったもので表現は出来ないし、褒められる二人でもない。
いくらaiko曲のあたしとあなたであるからと言って、何でもOKであるかと言うとそうではない。私にそんな義務はないのだが、擁護し切れない二人である。

そう。私はaiko全肯定の女なので、aikoの書く歌詞の全てを肯定的に見たい、受け入れたい、100パーセントオールオッケーでーす! と言いたいところではあるのだが、じゃあ本当に何でもOKなのかと言うとそうではない。そうではないのだ。ということをこの「夜空綺麗」の二人を読んだことで思い知っている私がいる。
と言うか「夜空綺麗」を飛び越えて言える。aikoは別に100パーセント善の作家ではないのである。……いや……うん。せやね……。20年彼女を追いかけていてマッジで今更過ぎる気付きである。
だが、だからこそだ。清濁併せ持ったあたしとあなたを描けるからこそ、aikoは文学を生み出せるに足る作家であるのだ。

今進行しつつある儚さ

そんな気付きを抱え引き続きこの危うい二人の世界を読んでいこう。まだ一番Bまでしか行っていない時点でこれなのだから非常に先行きが不安だ。肝心のサビはこれからだと言うのに。

 あの時あの日のあなたに愛してると
 言いかけてつまずいた それすら
 愛おしく儚い日々を今目の前の
 あなたとあなたとあなたと過ごしてる

「あ」が四つ続き頭韻が気持ちいい箇所である。最後の「あなたと」は三連であるので、やはり作詞者のaiko自身意識したのではないかと思う……のだが完全に無意識でやってのけることがまあまああるのが奴の怖いところである。無意識な気がする……。

それは置いといて、この「言いかけてつまずいた」がこのサビにおけるサビであると思っていて、実際に物理的に躓いて、いっけなーい転びそうになっちゃった☆ というような微笑ましい様子の一面があることと、比喩として「つまずいた」を用いた一面がある。
この「つまずいた」は何の動詞のあとに置かれていただろうか。

 愛してると “言いかけて” つまずいた

そう。あたしはあなたに「愛してる」と「言えていない」と言うことだ。無論、どこかで言っているのかも知れないが、aikoと言う作者のカメラは“敢えて”ここを収めて現像し、我々に見せているのである。
そんな、一見微笑ましいが、どこか決定的な欠陥を孕んでいるこの一瞬を、“愛おしく”思いながらも“儚い”とも表現しているのである。しかしそれは何年も前の話ではなく「今」なのだ。現在進行形でそうなのだ。

いや……い~~~~~や「今」なら「儚い」なんてゆー危なげカテゴリ上位の形容詞を使うな~~!! とキレたくなる。いやキレるでしょ、儚いを軽率に使うな。明らかにそれが向けられるべき対象は過去に対してのそれでしょうが。
と言うのは個人の解釈、というか好みによるものなのでアレなのだが、「儚い」を持ち出してくる以上は、あれだけ私が病的ィ! とか悪しざまに罵っていた「あたし」自身も、なんとはなしに「脆さ」を感じているということだ。

とにかく、今、目の前のことを

だがしかし、そんなそこはかとない危うさや忍び寄る何かを予感しながらも、あたしが重きを置いているのは「今」目の前の「あなたと」「過ごしてる」ということなのだ。

何せ三回も繰り返しているくらいだ。少なくとも別れようとか、重いからしんどいからもういい加減やめようねとか、そう言った気配は全くなさそうなのだ。
まあ、ないならないで逆に、そもそも成立からあぶなっかしいというか、むしろ二人でいることになんか不安と言うか、大丈夫か本当に……というものを感じてしまうから問題なのだが……。

今に全力

ところで、曲がりなりにも、それなりにaikoの歌詞を読んできて久しいと思っているので、彼女が刹那主義……と言えば正しいのか、とにかく、これまで読んできた上で、彼女の動向や発言を読んできた上で、そして何より彼女のライブに参加してきたことで、aikoという歌手、そして作家である人間が、いかに、二度とは来ない「今」と言う瞬間に重きを置く人かということは、もう誰に言われずとも、理屈と共にもはや肌感覚でもわかってきたな……と自負しているところが、私にはある。作風では収まりきらない、やはりこれは「主義」と言ってもいい。

それで「夜空綺麗」のことに戻るのだが、この作品はその「今に重きを置くこと」に100全振りした曲と言えるのだ。
その「今」に重きをどっかりと置いてしまったがために、本来いい意味でとらえられるべきそれが──過ぎたるは及ばざるが如しの言葉の通りに──かえってなんとなく不穏さ、と言うか、あまり健全ではないものを読者(リスナー)に感じさせるようになってしまっている……と言えるのかも知れない。

ともかく、今ひとしずくを垂らせばコップの縁から零れてしまうような、今ひとたび風が吹けば千切れて飛んで行ってしまう葉っぱような、そんなギリギリのところに危なっかしくも強く、それこそイントロで描かれていたように、ひっしと抱き合って繋がっている二人なのだ。
それをあたし自身察知出来ているような、出来ていないような……実に曖昧で不安定なところに、この「夜空綺麗」のあたしとあなたは立地している。一番サビはそれをまざまざと感じさせるものであるように、私には読めるのである。

嵐を越えて、涙を越えて

依然として先行き不安だが、aiko曲全体をして魔境と呼んで差し支えないであろう二番に行こう。
二番Aの出だしは、実は明るいのである。

 嵐の終わり手のひらに乗せた雨粒は瑞々しくて
 涙に見えたのはあなたが笑っていたから
 恐怖も幸福もはじめての角度

読んでわかる通り「嵐の終わり」なので、良い兆しなのだ。そしてその嵐が齎していったであろう「雨粒」は「涙に見えた」と言う。
一番Bの出逢いの頃は「あまりにも」という副詞がつくレベルで泣いていたというのに、この二番Aでは「あなたが笑っていたから」とある。
そう。あなたは笑えるようになっているのである。彼は涙を、悲しみを乗り越えたのだ。もうここでは、座り込んで救いを待つだけの悲しみの化身ではないのである。これは明確な成長であり、ほっとさせるような明るい兆しである。

あなた達には見えない角度

そんな成長した彼と共にいるあたしが感じることは「恐怖も幸福も初めての角度」という言葉に表されている。
……が、わからん。aikoの歌詞を読んでいると一曲につき必ずと言っていいほど「わからんゾーン」にぶち当たるが(アンドロメダの「記憶のクリップ」とか星電話の「灰色のものさし」とか…)この曲で言うとこのフレーズだ。もうaikoに全部電話してききたい……わからん……aikoの歌詞、な~んもわから~~ん……。

と放り投げたい気持ちをぐっとこらえて考えてみる。
はじめての角度……と言うからには、見る方向とか見える向きが多分「はじめて」と言うことで──わかりやすい、一般的なそれ(幸せや怖い)の形をしているようには、あたしには見えなかった……ということだろうか。私達からしたら歪で不安定で不穏であっても、当事者であるあたしにとってはそれこそが幸せであり、あるいは怖さだった、と言う感じだ。
あるいは、そこまで小難しい話ではなくて、単に恋愛でよくある「あなたといることで見えるものが変わった」と言うような、いかにもありがちな現象のことを言っているだけなのかも知れない。相変わらず表現がお上手~、過ぎてひっくり返ります。

要は、既に書いたが、外野である私達が見る分には「エェ~大丈夫? この二人?」とか思ってしまうのだが、少なくともあたしにとってはめちゃくちゃ大丈夫であり、十二分に幸せということなのだろう。むしろ外側にいる私達こそが、そのあたしの見ている角度から見ることは出来ないから、私達が何を言おうが関係ないったらないし、問題ないったらないのである。

……ここで何故か頭をよぎるのは、一次二次に関わらず創作をするオタク界隈でよく話題に挙げられる物語類型の「メリーバッドエンド」だ。詳しくは検索していただきたいが(特にPixiv百科にはメリーバッドエンドに当たるとされる実に多くの作品名が掲載されている)一見不幸せな結末のように見えるが、その実、当事者である主人公からは実に幸せな結末である、というものである。
ひょっとするとこの曲は、多かれ少なかれそういう傾向にあるのかも知れない。……いやさすがに考え過ぎか~?

少しでも何かを違えたら

とは言え、二番Aが明るい兆しが見えている箇所で、よし、それならこの先も大丈夫だな! と思ってしまうが、そう簡単には行かせてくれないところがaikoのaikoたる由縁である。aikoがそうやすやすと逃がしてくれるわけがなかろう。

 忘れないから消えないでと抱きしめた
 不確かで粉々だね二人の塊

「忘れないから消えないで」というセリフがどちらのセリフなのかはわからないし、一見しただけでも急に不安がぶり返してくるものだが、問題はその次である。

 不確かで粉々だね二人の塊

どうだろうか。二人の“塊”ではあるが“不確か”で“粉々”なのだ。抱きしめられるほどのものではあるが、実際は不確かであって……いや、違う。むしろ「不確かで粉々」だから抱きしめるのである。
抱きしめていないと途端にバラバラになってあやふやになって、やがては砂塵のようになってしまう。一瞬でも離れたら終わりなのだ、この二人は。

これは、本当に二人してギリギリ過ぎるところにいるのではないだろうか。一番の読解でも、水の溢れそうなコップとか今にも千切れそうな葉っぱとか喩えたが、比喩ではなく本当に、ちょっとでも何かを違えればすぐに終わってしまいそうなところに、表面張力をぎりぎりまで高めたようなところに、二人は存在しているのである。

とは言え、別れの気配は依然として全くないのである。むしろ抱きしめているのだからイントロ同様関係は強固だ。結束しているとまで言ってもいい。確かに、確かに二人は危うい。だからこそ固い。不確かで粉々な二人に固い、と言うのは矛盾が甚だしいとは承知だが、夜明け前が一番明るい──と言う詩的な表現にあるように、若干詭弁ではあると承知しているが、矛盾しているからこそ強いのだ。ひょっとすると、aikoもそういったものを狙ったのかも知れない。

いかないで、おいてかないで

それにしても、不穏に思う。と言うのも、前半(Aメロ)だけ見れば嵐を乗り越え涙を越えてあなたが笑っていると言う、実に希望に溢れる場面を描いていた。
それなのに、あたしとあなたの二人に──意地悪な見方をすると、笑えるようになったあなたに対して、どこか冷水でも差し向けるくらいの周到さで「不確かで粉々だね」と、当事者であるにも関わらず、他でもないあたし自身が言ってしまうのである。

やはりあたしは、一番サビで読み解いたように二人の関係の不安定さであるとか、そこはかとない不安を何となく感じ取ってはいるし、ひどく冷徹な目で見ていたりもするのである。しかし、それを分かった上で、けれどもあなたと一緒にいることをあたしは選択し続けているのだ。
「忘れないから消えないで」はあなたではなく、おそらくあたしのセリフなのだろう。このセリフは思い詰めているし、切羽詰まっている。何か確たるもの、掴める何かがあればこのセリフは出てこないのではないだろうか。抱きしめ合っている二人ではあるが、その実は「不確かで粉々」なのだ。それを理解しているからからこそ、あたしの中から搾り出された言葉は「忘れないから消えないで」だ。
あたしはどうか知らないが、あなたは既に悲しみから脱却しているのだ。つまりは、消える可能性が十分にある。そうしないで、と縋り付いているのはあたしだ。もしかしたら今度はあたしが「悲しみが座って待って」いるように、誰かの目には見えるのかも知れない。

Dye the Sky.

魔境の極地であるサビの山を登ろう。

 乾いた綺麗な夜空も白い朝も
 出逢えて見上げて塗りつぶせた

「乾いた」綺麗な夜空も「白い」朝も、であるが、それぞれ「乾いた」「白い」と言う表現が付されている。要は“無味乾燥”としているわけだが、それまであたしにとっては(たとえ夜空が「綺麗」であっても)大した意味を持たないものだったことがわかるだろう。
おそらく、タイトルにある「綺麗」も、心から本当にそう思えたのは、あなたに逢って以降だったのではないだろうか。あなたと出逢い恋をしたことではじめて真に「綺麗」と思えた──これもすなわち、「はじめての角度」と言える。思えばイントロでは「綺麗」ではなく「きれい」と平仮名で表現されていたのは結構印象的であり、あそこで初めて、あたしは「きれい」を覚えたのかも知れない。

ここだけ見ればまあ、まあまあ健全である。しかし問題は「出逢えて見上げて塗りつぶせた」というところだ。
塗っている。塗っているのだ。そこにあるものに何かを上書きしているのである。何せサビなのでサウンドで良い感じに誤魔化されているが(aikoも歌うのが気持ちいいと言っていたし)一見すると、この文脈ではそこまで良い風に読めない気が、あくまで私にはしてくるのだ。
そこにある意味を掬い取ったり汲み取ったりするのではなく、まるで否定でもするように、あるいは隠すように塗り重ねていくのだ。その塗料はあたしとあなたが作り上げた、二人間だけに(あるいは、もっと恐ろしいことだが、あたしだけに)通用する意味である。
そうして出来た空は、私達が属する世界の空ではなく、「あなたとあたしだけの世界の空」とも言える。

ミス・ガール

 錆びてゆく不安を大人のふりをして
 蒼空知ってるふりして過ごしてた

「不安」が「錆びる」のならいいかなあと思うところである。実際いいと思うし、いい兆しを表していると読みたい。カチコチの錆びになってしまえば、生きている不安にはとりあえず脅かされない。

問題なのは「大人のふりをして」という、見るからに危うい一文である。無理をしている、ということを表しているのか、あるいは「自分はもう立派な大人になってます」と言う思い込みなのか。とりあえずこの二択を考えたわけだが……どうも個人的には後者の方な気がしてならないのだ。
なまじ大人の自覚を半端に持っているせいで、何となく不安や危なさを感じつつも、これが正しいのだ、合っているのだ、これが生きていくということで、恋をしていくということなのだと思い込んで突き進むのは、正直始末が悪いし、言ってしまえばこの「夜空綺麗」と言う楽曲自体が、まさにそんな状態にある少女の歌である。
と、もうズバッと言ってしまえるような気もするのだ。って言うか、言う。言ってしまおう。うん。手に負えない。負えませ~ん! 誰か助けて~!

蒼い空なら知っている

更に問題は続くのである。
「蒼空」──“蒼”空である。後年aikoの曲として発表される「青空」ではない。

蒼。精選版日本国語大辞典によると「深い青色」とある。実際には主に草木を対象にした青を示す字らしいが(確かに、草冠である)とりあえず本稿では「深い」「濃い」青ということとして見よう。
aikoが歌詞を清書する段階で、よもや、かっこいいからこっちにしよー、と変換した……なんて背景はちょっと考えにく……いけど、ありそうだなと思ってしまうのがaikoらしいところなのだが、それはともかく、aikoがどこまで意図していたか、蒼がどんな青なのか把握していたのかはわからないが、一見して、「何か普通の空ではないもの」を狙っていた可能性は、さすがにあると見たい。

そして、色と言うものは塗れば塗るほど濃くなっていく。それに加え、動作としては二人で「塗りつぶして」いるのだ。いや、二人ではなく、あたし単独かもわからないが……。
何が言いたいのかと言うと、あたしは「青空」を知らずに、塗りつぶして出来たであろう「蒼空」を見ている、ということだ。

「蒼空知ってるふりして」には二つ意図が読み取れる。一つはあたしは塗りつぶした空である蒼空しか見えていない、ということ。もう一つは、あたしは真の空である「青空を知らない」、ゆえに「蒼空」という表記になっているということである。
まとめよう。自分は大人であるという誤った認識と、青空を知っているという間違った意識のもと、あたしは、そこはかとない不安定さを感じながらも、実際のところはそれに真剣に向き合わず、全然大丈夫だ、いけるいける、と判断してしまっているのである。

世界のことを知ってるつもり

空を知っているふりをしている、というのは、私達が思う以上に、正直ちょっと危険なのではないか、と思う。
ここからは私の完全なる主観と言うか、私の感性による単なる感想になって申し訳ないのだが、「空」とは「世界」そのものを指していると思うのだ。

大分前の話になって、私もどういうことを書いたのか全て覚えているわけではないのだが(何故なら、書いたら忘れるたちなのだ!)(なのだ!じゃないが)以前「青い光」の読解・解釈を書いた際、「君」を好きになったことで、つまり「恋をしたこと」で、空がいつも以上に綺麗で儚く見えるようになった、ということは、イコール、世界が変わって見えた……といった主旨のことを書いた覚えがある。

難しい理屈は置いといて、空をイコール世界と読むなら、「蒼空知ってるふりして」とは、間違ったものを見ているにも関わらず、「この世界のことを知っているつもり」でいるわけなのだ。挙句、「大人のふりをして」この状態なのだから、事態は相当問題である。
当初私は、この歌詞をざっと読んだ時に「ひょっとしてあなた方、国外逃亡していらっしゃる~~?」とか感じたのであるが、この二番サビで正体を見た。見てしまった。
政治的な争いで国を追われた大人、と言うよりは、この「夜空綺麗」の二人は、「非行に走っている少年少女」と言う表現の方が、ずっとずっと的確であると思う。そう、第一、「大人のふり」と書いている以上、少なくともあたしはまだあまりにも「子供」なのだ。

本人が大丈夫そうならいいんじゃないすか?

もしかしたら……というか、さすがにここは(二番サビは)「今」ではなく、少し先の未来にいるあたしが語っているところなのかも知れない。が、それにしたって“ひそう”感がない。「悲壮」(悲しくも勇ましい)でもなく「悲愴」(悲しくて痛ましい)でもない。

客観的に寄り過ぎない、あくまであたし主観と言うか、あたしは現在進行形の「当事者」……と言えば、一番いいのだろうか。ともかく渦中にいるがために、この不健全さや不安定さや危険さに、あたしは「何となくは」感じてはいるものの、はっきりと知覚することは、気付くことは出来ない。

なんだったら、ここで語り手になっていると思われるその「少し先の未来のあたし」でさえも、「何か端から見たらヤバそうだし、この先ヤバいことあるんだろうなあ」くらいの呑気さで思って、けれどもそれ以上のものは出てこないのではないだろうか。
何せこの二人、この曲の中だけだったらまだ崩壊の予感も何もないのだ。読んでいる私でさえも「ならいいかぁ……」とか思ってしまうのだ。本当に、擁護し切れない二人である。……いや別に擁護する義務はないんだけど……aikoの曲なので何としてでも肯定的に見たいじゃん?

そう。擁護し切れない。見た感じ、何かとてつもなく危険なのはわかるのだが、「何時何分」とは違って終わった恋ではなく、かつあたしの主観によって描かれるため、決定的な過ちや崩壊は描写されていないので、「何か不穏だけど……本人大丈夫そうだし……本人が大丈夫ならいいかな……」とか思ってしまう、思わせてしまう危険な曲なのである。
要するに私は、あたしに──もっと言うと、あたしの向こう側にいるaikoその人に、見事に絆されてしまっている、懐柔されてしまっているのである……。

うるせー!しらねー!

結局全編に渡って、この二人マジ大丈夫? な気持ちを抱えたまま、曲は締めくくりに向かう。ラスサビは一番サビの繰り返しではあるが、二番を経てより真に迫ってくるものを感じる。

 あの時あの日のあなたに愛してると
 言いかけてつまずいた それすら
 愛おしく儚い日々を今目の前の
 あなたとあなたとあなたと過ごしてる

やはり「愛してる」とは、未だに伝えられていないのではないだろうか。粉々で不確かで、消えないでと望んでいる、そんな不安定であるうちは、まだ「愛」をお出しすることは出来ないのではないだろうか。
いや。それどころか、「愛」を持ち出してくることこそ、この二人の崩壊の引き金になるかもしれない。あまりに残酷で皮肉な読みではあるが、何かそんな気がしてくるのが恐ろしい……。

そして変わらず「愛おしく儚い日々」と歌うのであるが、三回も重ねて言うくらい、あたしは「今」「あなた」と過ごしていることに、ひたすら重きを置いている。
ぎりぎりだろうが不穏だろうが、むしろそんなことは、あたし自身もわかっているのだ。わかってんねんっ! と激昂している感じだ。
だがしかし、ぎりぎりだ、とか不穏だ、とかなんてものは、そんなものは『今』を生きるあたしには毛程の価値も興味もなく、ただひたすらに無視され続けるものなのだ。少なくとも、今の時点においては。

何故なら──なんて、問わずともおわかりだろう。「今目の前のあなたとあなたとあなたと過ごしてる」ことこそが、この「夜空綺麗」のあたしにとって、何よりも優先すべきで何よりも大事にすべき、最重要事項であるからだ。
「愛しく」も「儚い」予感を感じながら、自分がただ「大人のふり」をしていると感じながら、それでも「今」「あなたと過ごす」ことを、あたしは選び続けて、それが是であると、とにかく今の時点では肯定しているのである。それは外野の私達からしたらあまりにも不健全で不穏に見えるが、あたしにとってはどこまでも健全であり平穏であり、唯一無二の絶対の“解”でもあるのだ。

いつだって瞬瞬必生

この曲はイントロからアウトロまで歌詞が詰まっている、と冒頭で書いた通りだ。ラスサビへ終わりではない。アウトロを読もう。
イントロと少し違うのは、ハグからキスの描写があるところだ。

 冷たい風が耳をつまんだらそっとぎゅっと抱きしめてよ
 気が付いた少しとれた口紅はあなたのとこ

キスで終わるところが個人的にはものすごく好きなところである。単純に芸術点が高い。明確な肉体のふれあいと刹那的な愛、および自分と相手の所在がこのキスと言う描写に表されているように読めるし、口紅があなたのところに移っていると言うのも艶めかしくて実にセクシーだ。
「気が付いた」が差し込まれているのも良い。気が付いたらキスをしていたと、理屈ぬきで動いている感じと、少し呆然としている感じも好みだ。そう、要所要所の表現はめっちゃ好きなのだ。夜空綺麗、最初に書いたけど湿夏お気に入り三曲のうちの一つだもん……。

ラスサビで述べたことの繰り返しになってしまうのだが、もう一度語ろう。
夜空綺麗、全体的に見て非常に危うくギリギリのところにいるのがわかるし、何らかの介入や干渉で(何せ、「不確かで粉々」なので)崩れていくことが容易に読めるのだが、しかしそれは、それこそ第四の壁の向こう側にいる私という、無根拠に無責任に偉そうにしている読み手の勝手な推測でしかなくて、この「夜空綺麗」の中に生きているあたしは、とにかくあらゆる危険を顧みず、瞬間瞬間を必死で生き、『今』を求め、あなたと共に生き過ごすことを求めているのである。

不確かだと知っているし、大人のふりもしている。本当のことを知っているように誤魔化して共に生きているけれど、そのことについての是非はとにかく二の次なのだ。とにもかくにも、あたしは『今』『あなたと過ごしてる』ことに、ただただ重きを置いている。置きまくっているのである。
aikoの刹那主義、まさに“今”ここに極まれり! な一曲、それが「夜空綺麗」なのだ。

不健全だけど健全

そろそろこの読解と考察も終わりに近づいているのではるが、私は未だに頭を抱えている。擁護しきれねぇ~! と唸っている私がいる。いや擁護ってそもそも何? と言う感じなのだけど。
何故なら。何故なら、「今一番やりたいことをやる」「今一番求めていることを実行する」ということは、人間として生きる上で何にも間違っていないからだ。
そして「今あなたと過ごしてる」ということに重きを置くのは、まさしく序盤で確認した「湿った夏の始まり」のコンセプトやテーマに100振り切りまくった結果の方針でもあり、湿夏の曲として選ばれたのは自明の理というか、むしろあまりにも過激すぎて、湿夏の曲の中でも最も過激なところにあると言うか、最右翼曲と言う風に表現しても差し支えない、と思われる。湿夏以外のところに収録するのは、ちょっと難しかったのではないだろうか……。

ところで。ところで、これはラストに敢えて持ってきたかったので、読解本編ではわざと触れてこなかったことがある。
それは、私がこの稿の中で頻繁に書いた「不健全」や「病的」と言う表現についてだ。
「夜空綺麗」は見るからに読むからに、不健全で不安定で不穏な二人の、あまりにも刹那的な恋愛の歌であった。しかしながら、読んでいると、二番サビの最後の方に書いたのだが、「なんか大丈夫かな」と言いくるめられてしまうのである。……という論理も大分不安定ではあるが、これを敢えて言うなら、「不健全だが健全」と言うことだ。
この表現、見覚えがないだろうか。

さてここで、序盤に参照したaikoのインタビューのとある箇所を振り返ってみよう。

一見健全ではないように思えるけど、私にはそれがすごくいいなって思えたんですよね。例え健全ではなかったとしても、そこでみんなが抱いているような気持ちを、私は曲として書いていたいなってすごく思ったというか。

そう。「夜空綺麗」はこの発言を、不健全なように見えるが健全である、「すごくいいな」と思えたことを、まさに体現しているといってもいい曲だったということだ。そう、私はそうとは気付かず、ある種の伏線回収をしてしまったということだ。
aikoが感じた、不健全の中に宿る恋愛としての、そして人間としての真理の一つを、同じように誰かに感じて欲しいと思ったからこそaikoは曲を書いた。そのうちの一つであり、おそらく最も過激に振り切った曲がこの「夜空綺麗」だったのだ。

私は、aikoの思惑にまんまと、それはもう面白いくらいに──aikoが感じた通りのものを同じように感じ取って欲しい、と言う読み通りに読んでしまっていた。二番サビで書いたが、絆された、懐柔されていたのだ。
aikoの掌の上で私はものの見事に踊らされた。つまり、aikoに「わからされた」のである。このことに気付いた時の私の呆然とした気持ちこそ、まさに誰かにわかって欲しかったりもする……。

おわりに -夜空の先の青空-

う、うう~ん。結局私は、aikoには敵わん……というか、今回も恐れ入りましたッスaikoさ~ん、という感じなのだが、しかし、今回は歌詞本編のaikoの言及を見つけられなかったので、それがあればもう少し、というか、大分、かなり違った読みになっていたのではないかな、と思う。どこかで見つけた時は答え合わせのようにそれを読むことに、あるいは聴くことになるだろう。リベンジしたいな~……。

でも、それより出来ればライブで聴きたいところである。ロックよりの曲調なので、また以前のようにLLRが開催出来るようになったら、是非セトリ候補に入れてもらいたい。少しずつ緩和されてきたとは言え、人との触れ合いが容易には許されなくなった昨今だからこそ、尚更聴きたい一曲である。

「夜空綺麗」の二人がこの先どうなるか。私達には全くわからないし、おそらく作者であるaikoも見えていないと思う。
夜空を越えて、あたしはいつの日か「蒼空」ではない「青空」を目の当たりにする日が来るのかもしれないし──その時はひょっとすると、「青空」(楽曲の方)のあたしのような心持になるのかも知れない。
その時のあたしが、あまり傷付くことがありませんように。そんな風に私は祈るばかりである。

……ある、が! が! なんかこの「夜空綺麗」のあたしは、そのいつか襲い来る悲しい別れや痛みすら全て織り込み済みで「今」を過ごしているように思えるところが、やっぱり末恐ろしいなと思うのである。覚悟が決まっているのだ。
行き過ぎた、ヒリつくような愛の姿は病的であり、読む者に先行きの不安を抱かせる。それは確かである。
しかしながら、同じくらいの確かさで、その想いの強さは静かな炎を一心に燃やし続け、人を惹きつけて離さない。それでいて惑わせるような危うさも放ち続ける。「夜空綺麗」はaiko曲の中で、そんな唯一無二の無力を秘めた曲と言えるだろう。

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