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あたしの小さな部屋へようこそ -aiko「ボーイフレンド」読解-

この記事はtamakiが運営・管理するaikoファンサイト「愛子抄」に2020年11月22日頃、aikoの誕生日に合わせて掲載された文章を、noteへの転載にあたって再編集したものです。
若干の加筆修正はありますが、内容に変更はありません。

はじめに

「ボーイフレンド」はaikoの6枚目のシングルとして2000年9月20日にリリースされた。バンジョーが奏でる特徴的なイントロと少しカントリー調のアレンジがどこか物珍しくありつつも、明るく開放的なサウンド、「テトラポット登って」と言う印象的なフレーズ、ボーイフレンドへのストレートな想いが溢れる歌詞、そして何よりaikoの伸びやかな歌声やフェイクが耳に残る、軽やかで気分が明るく楽しくなる人気の高い一曲である。

2000年3月に発売されたセカンドアルバム「桜の木の下」がヒットし、オリコン最高順位1位、5月にはミリオンを記録した。そのことからもわかるように、「花火」で知名度を上げて以降、一気に人気アーティストの一人に数えられるようになっていたaikoが、そこから更なる飛躍を遂げ、人気をより盤石なものとした一曲であったように思う。現在でも代表曲の一曲として「花火」「カブトムシ」と並んで挙げられる曲として名高い。

「桜の木の下」リリースから「ボーイフレンド」まで半年開いている。その間aikoは何をやっていたかと言うと、当然アルバムを引っ提げたライブツアーLove Like Pop Vol.5で全国を回っていたそうである。こちらはその様子を収録したDVD「Love Like Pop」も発売しているので各位確認されたし。この頃はまだポップでもライブハウスがメインで、昔のライブパンフのバイオグラフィーを見ると懐かしい会場名が並んでいる。

ライブ後は少し長いオフ期間で、運転免許を取ったり車を買ったり人間ドッグに行ったりと色々していたようだ。
なお、ヌルコムことaikoのオールナイトニッポンコムもその前年1999年カブトムシリリースの頃から始まり、まさに、その頃まだaikoファンでなかった私でさえも、綴っていてなんだか懐かしくなってしまう、歌手としての青春時代と言うか、とにかく乗りに乗っている辺りである。ああ~……この頃からaikoを追いかけていたかった……。

先述した通り代表曲の一曲であるわけだが、それもそのはず、aikoはこの「ボーイフレンド」で紅白歌合戦に初出場したからである。
2020年の今でこそ大晦日の競合番組は多くなり、視聴率もかつてほどではないものの、当時はまだ大晦日と言えば紅白のムードが強かったし、現在でも大晦日の代名詞とも言える番組で、司会や出場歌手については毎年注目が集まっている。日本人と言うか、日本の音楽シーンにおいて紅白の存在はやはり依然として大きいように思う。人気アーティストとしての太鼓判を押される感じと言うか、伝統ある番組に出場出来ることは多くのミュージシャンにとって名誉であろう。

その年のヒット曲を引っ提げて出るのが常ではあるが、最近ではダウンロード販売・各サブスクリプションでの配信で音楽が手軽に聴けるようになっているのもあり、紅白での披露を受けて爆発的にヒットすると言うのも多い。(特に、これも個人的な印象ではあるが2019年出場のLiSAの「紅蓮華」は、2020年の「鬼滅の刃」大ヒットも相まって紅白以降ものすごく聴くようになった気がする)
(これを転載している今は2021年8月であるが、今年は何だろうな…YOASOBIの「夜に駆ける」かなあ…ちなみにYOASOBIとaikoが鼎談した動画がYouTubeにあり、音楽活動については当然のことながら歌詞についても話しているので是非ご覧ください)
(オオオオ~~~イ!!!aikoお前!!私がボイフレの読解(これ)書いた後にボイフレの話をした!!!お前!!!お前お前お前!!!)
(その動画見ながらの実況再録のブログ記事これ↓)

私などはaiko、および見ているドラマ(というか、ほぼほぼ朝ドラ)の主題歌以外のJ-POPや世間のヒット曲などは、多少ラジオで耳にすることはあっても、チャートを追ってるわけでもないから正直ほとんどわからないので、紅白で初めてアーティストと曲名が一致し、のちにiTunesStoreで入手する……と言う流れがよくある。2019年の紅白でaikoが紹介し、あじがと等でも度々話題に出しファンを公言しているOfficial髭男dismも紅白がきっかけで「Pretender」を購入したのを覚えている。
(ところでヒゲダン紹介で出てきた時のaikoの衣装マジ好みめちゃカワだったのでこの時のオフショットが超超欲しいですaikoさん!聞いてますか!)
(↓これです)(TV画面直撮りだからゆるして)

2018年イチかわいい

で、こんな私のように、2000年の紅白を通じてaikoを知らない人にも知ってもらえたのではないかと思うと実に感慨深い。勿論私も、今も昔も大晦日は紅白派なので当時も当然見ていたはずであるが、その頃まだaikoに心を奪われてはいなかったのでそれほど覚えていないようである。ああ本当にこの頃からaikoを追いかけていたかった……。マジで……。

そんな記念すべき初出場の紅白を、Tシャツにジーンズと言う至って普段着に近い服装、しかもジーンズのポケットに携帯電話を突っ込んで歌唱したと言うので当時のaiko、実にロックである。何と言うか怖いものなし、若さでブイブイ言わせていた……というかイキッてた頃だなあと、すっかりおめかしして出場する昨今となってはついつい苦笑が漏れてしまう。
(なお、これは「好きな服を着て歌番組で歌いたい」と言うaikoの夢があったからであるが、「貧乏で紅白に相応しい服がないのだ」「お給料を上げて欲しい」と思われた所為で事務所に続々と服が贈られたと言う逸話がある)

個人的な思い出を述べさせてもらうと、この「ボーイフレンド」が、今は亡き再生媒体MD(MD!)に初めて録音したaiko曲だったりする。
ブログや愛子抄での歌詞研究上で何度か書いているが、aikoファンとして真に覚醒を遂げたのは2001年の初夏であり、2000年は椎名林檎を熱狂的に追いかけていた時期で、あくまでaikoはサブ的な存在として好きでしかなかった。当然aikoの人となりもよく知らなかった頃で、今となっては本当に本当に、全く思い出せないレベルで遠い遠い昔である。
(今の林檎姉さんのことは…全然知りません…ごめんなさい…)
(どういうきっかけでaikoにこんな深入りしたのか、実は自分でも覚えておらず、でも一つ考察出来るのが、ちょうど椎名林檎が産休に入った頃にaikoがその空座に入ってきて、それでハマった、という路線です)

今でこそ「aikoは人生です」などと言うくらい、いつの間にか人生の半分以上aikoと言うアーティストの活動を追いかけていて、シングルでは「おやすみなさい」、アルバムでは「秋 そばにいるよ」以降全ての作品をリアルタイムで迎えてきているわけだが、「ボーイフレンド」はそれ以前、歴史で言えば紀元前、B.CならぬB.a(Before aiko)の頃の一枚である(そんな大袈裟に言う?)
だから、何と言うか、私がまだよく知らなかった頃の彼女……などと言うとなんだか「付き合う前の彼女」みたいな言い方になるが、知らないことが沢山ある頃のaikoであって、いつも以上に新鮮な気持ちで資料に当たることが出来たような気がする。

個人的な思い出やら何やらはこのくらいにしておこう。
ベストアルバム「まとめⅡ」の1曲目だったり、FNS歌謡祭やCDTV年越しライブと言った音楽番組での披露、ライブでも盛り上がるところでの披露だったりと、「ボーイフレンド」はその発売から20年(20年!??!?)(転載に向け再編集してる今は21年。21年!??!?!?!)が経った今でも、aikoのアップテンポナンバー主力の一曲である。
音楽的なことは何一つわからない、超門外漢で専門外なので何も言えないのだが、aiko曰くコード進行とメロディが合っていないだとか気持ち悪いだとか言われていたらしいこの「ボーイフレンド」が、今やaikoの代表曲の一つとなっているのも、野性的な音楽の才能をほしいままにしては、音楽評論家を唸らす曲を作りだしてしまうaikoらしいなあと思ったりする。

長々と書いたが、そんな広く愛されるaikoの代表曲「ボーイフレンド」の歌詞をこの機会に改めて読んでいきたいと思う。
後々言及するが、とっかかりがやや少なく、いかにも大衆にヒットした曲らしく素直でわかりやすい歌詞である。aikoはどんな経緯でこの「ボーイフレンド」を書いたのだろう。

はじまりはテトラポット

古い曲なので資料がないゾ!ヨシ!aikobonを当たろう! としたが、これまでの歌詞研究(愛子抄掲載)で何度か書いているがaikobonのライナーノーツは曲によって当たりはずれが多く、歌詞についての言及や制作背景が詳しく書かれているものもあれば、当時のaikoの思い出話に終始しているものも多くある。
この「ボーイフレンド」も残念ながら思い出話がほとんどを占めているのだが、印象的なフレーズに使われている「テトラポット」が制作のきっかけだったと話す。

「歌詞はね、昔ノートに「これで歌詞はできひんやろ」って思う言葉を書き留めてて、ある日パラパラってめくってた時に「テトラポット」が目に入ってきて、ピンッてきて一気に書き上げました」

ご存じだとは思うが、海岸などに置いてあるいわゆる消波ブロックのことである。株式会社不動テトラの製品としてテトラポッ「ド」で商標登録されており、紅白で歌唱するのは大丈夫なのか問題になったことは有名な話であるが(wikipedia「消波ブロック」参照)歌詞はテトラポッ「ト」なので何とかくぐり抜けた。

サビに登場し「ボーイフレンド」と言えばのアイテム(シングル初回盤のカラートレイの穴の所にも可愛いテトラポットが描かれている)であるが、この語句がなければ生まれなかったと言うことで、思っていたよりも重要な存在だったらしい。
よくライブでもお客さんからのお題で即興で曲を作るし、古くはヌルコムのジングル大作戦でも即興で歌っていた。2020年春先、ナインティナインの岡村さんがオールナイトニッポンにて数年放置した桃缶を開けた事件があり、そのことから曲を作れと岡村さんに無茶ぶりされ、「ホワイトピーチ」と言う曲をわずか数十分で作っていたことも思い出される。
とにかくaikoの、そういうちょっとした思い付きやお題から作品を生み出す才能は本当にすごく、同じ作家としてはズルい、と理不尽に嫉妬してしまうくらいである(これを書いていた当時はまだ知らなかったどう伝の曲とかもね~、なんなんですかね本当にね!!)
それはおいといて、「テトラポット」はやはり「ボーイフレンド」を象徴するどころか、誕生を担っていたキーアイテムだったと言ってもいいだろう。

恋愛のはじまりはじまり

もう少し詳しく資料を見てみよう。さすがに20年前の雑誌の切り抜きは入手困難、持ってないだろうな……と思っていたのだが、たまたま所持していた発売当時の切り抜きを発見出来た。aikobonがアテにならない(おい)今回は非常に助かった。
インタビューページ上部に「ここからは出てけぇへんやろって言葉から、曲を書いてみたかったんですよね」というaikoの発言が大きく載せられている。どんなことがきっかけとなって出来たのか問われ、aikobonと同じく、「テトラポット」のことについて言及している。

「歌詞のノートにテトラポットって言葉が書いてあって。テトラポットかぁ、カワイー、こっから曲を作ろうかなって感じで。なんかこの言葉って、字の見た目と読み方がすごく合ってると思うんですよ(後略)」
(するとこの曲のキーワードはテトラポット?)
「最初は。なんか、突拍子もない言葉から歌詞を書こうと思ってた時期があって。ここからは出てけぇへんやろって言葉から、曲を書いてみたかったんですよね。テトラポットも、そう思って書きとめてた言葉で。で、テトラポットから連想して出てきたんが、ボーイフレンドって言葉やって」
(テトラポット→海→夏→デートのノリで?)
「そうそう。でも私、実際は彼氏と海に行ったこと、ないんですよ。だから、ボーイフレンドっていう客観的な言葉が出てきたんかなぁって。そういう経験あったら、ダーリンにしてたかも」

aikoの歌詞は自身のちょっとしたエピソードが元になったり、たまたま見つけたものに何かを感じ取って生まれたりと色々あるが、「テトラポット」から生まれた「ボーイフレンド」は「言葉先」と言えばいいのだろうか。
そこを出発点にして、インタビュアーも聞いている通りテトラポットと言えば海、海と言えばデート……のようなノリで連想していき、世界を膨らませていったのだろう。海が出てくるので広い意味で夏曲にも該当するかも知れない。

しかしaikoが「実際は彼氏と海に行ったこと、ないんですよ」と述べている通り、サビの印象的な情景はaikoのたくましい想像力によって生み出されたものらしい(余談であるが消波ブロックに登るのは超危険行為(下に落ちると出ること&救助が困難なため)なので真似しないように)
「花火」の「夏の星座にぶら下がって」からもわかることであるが、非常に絵になるというか、そういったフレーズを生み出すaikoの想像力ならびに発想力、そして自然と磨かれている才能にやはりどこまでも恐れ多くなり、どこまででも付いていきますと盲目的に惚れ込んでしまう。

それにしても、デートの場所で海はいかにもベタと言うか定番ではあるが、そうなると曲中のカップルであるあたしとあなたの仲の良さには安定感があるようにも思えてくる。
そこでひっかかるのが「ボーイフレンド」である。歌詞を読む際に「キスしてるならそれはボーイフレンドじゃなく恋人で決まり!」と突っ走る予定であるが、そう、付き合ってるならそれはボーイ「フレンド」でいいのか? とも思う。
しかしaikoが実体験がないために「ボーイフレンド」と言う客観的な言葉を使ったのには他にも理由がある。この理由が、「ボーイフレンド」鑑賞において見過ごせない要素だった。

(ボーイフレンドは2人の距離感が出てる言葉?)
「うん。相手の生活、いいとこ、悪いとこ。まだそこまで知り合えてない、みたいな。だからこの曲、すごいワクワクするんですよ。夢のふくらむ歌やわって思ってしまう」
(昇り調子の恋愛初期の歌ですよね)
「そうです。楽しいこといっぱい想像してて」
(でも、相手の影が歌には出てない、という)
「ヘヘヘッ、フハハハッ。ホンマや~」
(出さないようにしたかった?)
「いや、何も気にせず書いてん(後略)」

いや笑てる場合か~い! と突っ込みたくなってしまうのだが、そう。ボーイ「フレンド」と既にタイトルが示している通り、この曲は恋愛の初期も初期の初期段階なのである(キスはしてる)(キスしてるならそれは友達以上で決まりやって!)aikoも言う通り、いいところも悪いところも、深くは知り合えていない、どころか全くまだ何も知らないような状態の二人だったのだ。

名は体を表すではないが、先述した通りボーイ「フレンド」でしかない、本当に深く入り込む一歩どころか十歩ほど前で、世間一般の言葉で言えば友達以上恋人なのだろう(いやキスしてたらそれは恋人に決まり!)
それ故に、aikoには珍しく陽の気100%の歌詞だし、明るい曲とくれば歌詞は反対にネガティブだったり暗かったりする作風も表れていない。恋愛におけるしんどくて重くて苦しいしがらみが何もない状態――「ひまわりになったら」で例えるなら「ただの友達だったあの頃に 少しだけハナマルつけてあげよう」の辺りなのである(いつまでひまわりになったら引きずってんねん)

そうなると、この曲で紅白に出場、人気を不動のものにし、売れるアーティストとなったaikoにはどこか皮肉めいたものを感じる。
つまり「ボーイフレンド」にはaiko特有の、行き詰ったり上手くいかない恋愛へのシビアでドライな目線、愛と憎しみを彷徨う狂おしい感情の歪み、ダークさ、残酷さや彼女にある無常観と言ったものが(比較的初期の曲と言うこともあるが)希薄、どころかほぼ無いとも言えるからだ。
下手すると「ボーイフレンド」だけしか知らない人はaikoのことを「なんか明るいラブソング歌ってたちっこいねーちゃん」としか認識していなくて、それが20年アップデートされていないおそれがある。……いやファン以外だったら大体そんなものかも知れないが。
まあ大衆受けし一般に広まるものは作者の本質から遠いものだったりするのが古今東西よくあるわけで、それを今更嘆いたってしょうがない話だし、そもそも私が偉そうにこんな風に書く権利は実はどこにもなかったりする
(第一しんどい曲で紅白出られてもな~と言う話)(去年出てたら青空かハニーメモリーだったんですか…???しんどい確定ガシャですが…???)

でもaikoは、いくら時々ひねくれた歌詞を書く作家(言いたい放題)だからと言って、何らかの邪悪な意図があってこの上り調子の二人で明るさ一辺倒な「ボーイフレンド」の歌詞を仕上げたわけではない。
「いや、何も気にせず書いてん」「夢のふくらむ歌」「楽しいこといっぱい想像してて」とあっけらかんと、それこそ何の邪気もなく言っていることからわかるように、彼女は本当に純粋に明るくて楽しい、恋愛の始まりの曲として書き上げたのだろうと思う。
こちらが「明るすぎるのは、むしろこの先の暗い未来を暗示しているのやも」と好き勝手に推測したり、明るいのは絶対何か裏がある! と息巻いたりするのは、作者かつ私の一番大切な人であるaikoの意向には沿わないような気がするのである。
それこそライブでボーイフレンドが歌われて盛り上がる時のように、私達も純粋にまっすぐ楽しめばいいのではないだろうか。
(話脱線するんですけどライブでボイフレきた時心でUO10本くらいバキバキに折ってます)(ボイフレは絶対UO)(aikoたのむ私みたいなオタクにはペンラを持たせてくれ)(感情表現したいんよ)

刻みつけたい忘れない

そんな気持ちを頭において、早速「ボーイフレンド」を読んでいこうと思う。

早く逢って言いたい あなたとの色んな事
刻みつけたい位 忘れたくないんだと

「早く逢って言いたい」と、初っ端から「逢いたくて仕方がない」と言う想いが飛び出している。前のめりにあなたに向かっていくあたしの姿が浮かんでくるフレーズだ。

続く「あなたとの色んな事/刻みつけたい位 忘れたくないんだと」があなたに言いたいことだが、この「刻みつけたい」のような、体や物理にものを言わすフィジカルな表現(他で言えば「愛の世界」「こんぺいとう」など)は実にaikoらしく思う。
そうやって、体かどこかに刻みつけてしまいたいくらい、歌詞としても二人の関係としても始まったばかりの段階で「忘れたくない」と思うくらい、あなたのことをとんでもなく大事に思っているのだ。最初からクライマックスとはこのことかと言わんばかりに、いきなりめちゃくちゃ強い想いの表明である。「ボーイフレンド」で本当に大丈夫ですかこの曲のタイトル。

この「忘れたくない」にちょっとだけ注目かつ意地悪な視点で見ると、これはこれで最初から「あなたを忘れる」と言ういつかの「終わり」を意識しているんじゃないか、とも取れる。
が、あたしはあくまで「忘れたくない」のだ。最初からむしろ終わりなど一切拒絶しているのだ。全て覚えて抱えて、このままどこまでも突っ走りたい気持ちであろう。

全ての始まりの曲 あたしの終わりの曲

早く逢って抱きたい 全ての始まりがあなたとで
本当に良かったと心から思ってる

続いて「早く逢って抱きたい 全ての始まりがあなたとで/本当に良かったと心から思ってる」も強くまっすぐな愛が溢れている箇所だが、「全ての始まりがあなたとで」でふと思い出したのが「ずっと」のあのフレーズだった。そう、「あなたに出逢えた事があたしの終わり」と言う、かの衝撃的なフレーズである。

「ずっと」は以前読んだが、純粋な「好き」の気持ちをとにかく極限まで絞り上げていった作品であり、触れれば怪我しかねない、取り扱いを注意しなければいけないくらいの、深く重く強い想いが集中した曲だった。「終わり」と言ってしまえるくらいの「好き」が「ずっと」にはある。

対してこの「ボーイフレンド」はまだそこまで全く至れていない。もはや別次元と言うか別世界の話ですらある。aikoが話していたように恋愛の始まり、どころかまだ本格的に始まっていない、初期も初期だ。「全ての始まり」と言うフレーズが示す通りである。

しかしこれは単なる対比の話であって、よしあしの問題を言いたいのではない。単に読んでいて、この「ボーイフレンド」から11年後に発表される「ずっと」を思い出した、ただそれだけである。言葉に込められている意味や使い方もそれぞれ違う。「ずっと」の「終わり」は、響き自体は重たいし、一聴するとぎょっとしないでもないが、相手と最後まで添い遂げるという覚悟と揺るぎない想いを感じられる。「ボーイフレンド」の「始まり」はaikoが言っていたようにこれからのことにワクワクして、夢がどんどん膨らんでいくような、未来を開いていく明るさを感じさせる。

敢えて言うならどちらが曲に相応しいかと言う話だ。「ボーイフレンド」は「始まり」の、明るくて未来のある方を取ったし、単純にそちらの方がいいと思う。これで「終わり」はさすがにちぐはぐであろうし、当時25歳だったaikoに「終わり」の言葉は導き出せなかったのではないだろうか。……などと言うとさすがにaikoを見くびり過ぎているか。

あたしの始まり

少しより道してしまったが、改めて読んでみよう。
「全ての始まりがあなたとで 本当に良かったと心から思ってる」は、「かばん」の「あたしあなたと知り合うまで何をして生きてきたんだろうか」に通じるものがあるように思う。人を本気で好きになったり、何かの趣味やコンテンツに夢中になったりすると、それまでの過去がやけに遠く感じられる。冒頭で述べた、aikoファンになる以前の私の記憶と同様だ。

それはある意味生まれ変わりのようなもので、あなたに出逢い、恋が始まってから初めて、あたしにとって生きていくことが意味のあるものと思えるようになったのかも知れない。そうなってしまえば本当にあなたの存在は「始まり」そのものだ。「ずっと」の「終わり」同様に、なかなか重たい言葉である。

こうして一つ一つ歌詞を読んでいくと、明るい曲調でさらっと誤魔化している(いや言い方)ようだが、なかなかどうして重ためなことを、しかしaikoはそんなことも感じさせず明るくポップに楽しそうに歌っている。
意外と重いが、ネガティブではない。ポジティブ100%がAメロから全開になっていることがわかるだろう。

恋の始まりハッピー世界

続いてBメロに入ろう。

唇かんで指で触ってあなたとのキス確かめてたら
雨が止んで星がこぼれて小さな部屋に迷い込んだ

ここの「小さな部屋に迷い込んだ」と言う、ちょっとしたトリップの表現は、始まった恋に浮かれ出して、それ以外考えられなくなる女子の陶酔した表現として本当に秀逸だなあと聴くたびに思っている。「カブトムシ」のような、儚くて美しく幻想的な印象とはガラリと変わり、ポップでキャッチーできっとカラフルでもあり、まるでおもちゃ箱のような世界なのだろうと想像している。

「唇かんで指で触ってあなたとのキス確かめてたら」と、おそらく一人になったあと、あなたと交わしたキスの感触を確かめんとするあたしの姿が浮かんでくる。
いや、いやボーイ「フレンド」なのにキスはする仲なんじゃん君達……と思ってしまい、既に何度か漏れ出しているが「キスするんならそれはボーイフレンドじゃなく恋人! 明らかに! もう明確に恋人で決まり!」(こう書くと「恋人」と言う曲もある所為で余計頭がパニくる)と心の中で暴れ出してしまうのだが、そんな茶番は置いといて、Aメロの「刻みつけたいくらい」のように、「キス」と言う具体的かつ少し生々しい行為が出てきてしまうのもまた、aiko特有のフィジカル、と言うか物理に訴える手法なのだろう。
これはあたしの妄想話ではなく、あたしとあなたの間で現実に起こった話なのだ。あなたとあたしの唇同士が、重なったことが現実に起きたのだと。
多分あたしの方も「キスしたんだぁ~……」と、夢かうつつかと言った様子で思っているところなのではないだろうか。何せ「確かめて」るくらいなのだ。

それが本当だと認めた瞬間に起こるのが次のフレーズだ。「雨が止んで星がこぼれて小さな部屋に迷い込んだ」――まるでアリスが不思議の国への穴に落ちていったように、彼女は「小さな部屋」と言う「別世界」へ、自分でも気付かないくらいにトリップしていく。
それまで「キス」と言う、肉体的な接触、生々しく、現実と接続している現象を確かめておきながら、幸福に満ちた精神世界へ意識が持っていかれるのである。ここの対比も鮮やかでさすがaikoである。どこかぽやぽやした「キスしたんだぁ~」と言う認識から、一気に「キスしたんだ~!」「自分達は結ばれているんだ! ラブラブなんだ!」と勢いが変貌していったのではないだろうか(私的にはこんな猛烈な勢いより、もうちょっと可愛らしい、どちらかと言えばメルヘンな印象を感じているのだが……汗)(文章ってムズかしいね~)

「小さな部屋」はその成功している恋――まだお互いの悪いところが見えておらず、ただ幸せなだけの恋にひたすら浸って浮かれ切っているあたしの、幸せだけが溢れる空間なのだろう。
スルーしたが、「雨が止んで星がこぼれて」と言う表現もとてもいい。「雨が止んで」はあたしにとっての暗い時代や、嫌なことが終わった暗示だし、「星がこぼれて」は言わずもがなあなたとの出逢い、そして恋の成就だろう。「迷い込んだ」はあくまで表現だと思うのだが、恋愛の苦悩や片想いのすれ違いをよく恋の迷宮などと言ったりするが、ここ、と言うか「ボーイフレンド」そのものがそんな恋のお悩みとは全くの無関係であって、幸せや嬉しいの気持ちだけが溢れている空間に自分でも気付かないうちに入り込んでいたのを示してのことだろう。

相手のいいところ、悪いところ、性格や生活の様子もまだ知らない。純粋に「あなたが好き」「幸せ」「付き合えて嬉しい」――そんな気持ちしかない場所だ。「小さな部屋」は、生まれたばかりの恋愛を護り慈しむ、一つのゆりかごのようなものなのだろう。

幸せの果ての永遠へ

そしてサビに向かう。「テトラポット」から始まったこの曲なのだから、きっとaikoが最初に思いついたであろう光景が描かれているはずだ。

テトラポット登っててっぺん先睨んで宇宙に靴飛ばそう
あなたがあたしの頬にほおずりすると
二人の時間は止まる
好きよボーイフレンド

「テトラポット登っててっぺん先睨んで宇宙に靴飛ばそう」と、幸せ絶好調で仲の良い二人が海に来て、テトラポットに仲良く登る姿が目に浮かぶ。「宇宙に靴飛ばそう」は動きのある歌詞で、絵も浮かぶし聴いていて楽しくなるフレーズだなと素直に思う。続く「あなたがあたしの頬に頬ずりすると」もまたBメロのキス同様、愛情豊かな肉体的表現かつAメロから連続している物理的な接触表現であり、これだけで十分いちゃいちゃしてくるのが伝わってくるだろう。

そうした愛情表現の極みで「二人の時間は止まる」と出るのもすごい。サビで特に注目すべきフレーズだと思っているのだが、「時間が止まる」を「ずっとこのまま(二人ラブラブ)が続いている状態」と仮定するなら、それはもはや、aikoを含めた我々が求めてやまない「永遠」でなかろうか。それを自分達が得ているのだと言えるくらい、「ボーイフレンド」は幸せの極地過ぎるのだ。莫大過ぎる。

それで締めが「好きよボーイフレンド」なのである。はあ~~!? イチャイチャしやがって! 幸せにな! とさすがに文体を投げ捨ててつい書き殴ってしまいたくなる(書いてる)とてもではないが20年後「ハニーメモリー」を歌っている人と同一人物とは思えないくらいである。「ボーイフレンド」から「ハニーメモリー」なんて温度差で風邪引くどころか凍るまであるのではないだろうか。20年と言う時の重みも当然あるが、aikoの引き出しの奥深さよ、と唸りたくなる。

形あるもの

二番Aメロに入ろう。ここも一番Bメロ並み以上に気に入っている箇所なのだが、と言うのも、とても大事なことをさらりと、しかしはっきりと書かれている。そう感じるからだ。

「形あるもの」みたい 感じてるあなたへの想いに
体が震える程あたしぐっときてるから

この箇所であるけれど、さて、「形あるもの」とわざわざカギ括弧まで付けているのだが、どうしてあたしはそんなことをするのだろう。

答えは明白である。人の“想い”というものは、それがどんなに大きかろうが複雑であろうが、どれだけ巨大な感情を滾らせて、あるいはこじらせていようが、所詮は(と言う書き方もぞんざいだが)形而上のものでしかない。
それを現実に、物理的なものとして差し出すことは出来ないし、そうなると当然見ることも出来ないし触れることも出来ない。簡単に言えば、この歌詞とは正反対の、「形ないもの」なのだ。

しかしながら、そんなものだと言うのはきっと「「形あるもの」みたい」と言うあたし自身こそわかっているのである。
想いは見えない。あなたの前で出すことは出来ない。勿論自分でも確認出来ない。けれども、「もしかして、本当は形のあるもので、この現実に存在していて、目で見て、手で触れられて、感じられるものなんじゃないのか?」と言うほどの猛烈な、存在感のある“あなたへの想い”を「体が震える程」「ぐっときてる」くらいあたしは今ひしひしと感じているのである。

それを、二番の入りのAメロ、軽快なサウンドとメロディに乗せ、それほど重要ではなさそうにさらりと歌いこなしていくのだ。すごくいいこと、と言うかとんでもない強い想いをことさらにひけらかさず、何てことはないように歌っているし、綴っているなあと私は感じるのだ。いや本当に強い想いではないか。「フレンド」の時点でそれは重いぞaikoさん!(言いたい放題)

……いやいや、よくよく読めば実は重たいことや深刻過ぎることを、さらっとしれっと何てことなく歌っていくのが何ともaikoらしいのかも知れない。「ボーイフレンド」のこの箇所、および他の箇所でもその作風が出ていて、さすが代表曲であるナアと今更ながらに感心するのであった。やっぱり代表曲は代表曲なりの理由があるんすよね~(知ったか顔)

穏やかな今にいる

二番Bメロに行こう。

哀れな昨日おだやかな今地球儀は今日も回るけれど
只明日もあなたの事を限りなく思って歌うだろう

「哀れな昨日」は一番Bの「雨」とリンクしていると見ていいだろう。何かしらの嫌なこと、あたしにとっての辛く悲しい、哀れな過去を端的に表現している。今は恋に浮かれて能天気に見えるあたしだが、彼女にも色々あったのだ。
しかし現在は「穏やかな今」と歌うように、その憂鬱な時代は過ぎ去り、あなたと出逢い恋に堕ち、その恋が成就したおかげで以前より心穏やかに暮らせていることを教えてくれる。

ここの箇所ではふと何となく、「ボーイフレンド」の前に発売された「桜の時」冒頭を思い出す。「あなたと逢えたことで全て報われた気がするよ」「雨上がりの虹を教えてくれた ありがとう」と綴っていたあの主人公も、あなたと出逢い恋に堕ちたことで救われていた。「ボーイフレンド」では「桜の時」ほど具体的に語られるわけではないが、改めて俯瞰してみるとどちらも、恋に堕ち、結ばれることで――もっと言うと、あなたに出逢い、好きになった、恋をしたことで救われたと言うストーリー類型が読み取れる。

二人の日々が続いていく表現として「地球儀は今日も回るけれど」と書かれるのも非常に秀逸な表現だなあとつくづく思う。そしてあたしは、続いていく穏やかな今の日常の中で「形あるもの」と錯覚するくらいあなたへの強い想いを抱きながら、「只明日もあなたの事を限りなく想って歌うだろう」と今もまさに歌い上げていくのである。……本当にフレンドでいいのか? 本当に! と思ってしまう。――まあaikoのインタビューでも見た通り、あくまで想像の話ゆえに距離を置いた三人称になってしまっている、というだけなので突っ込むだけ野暮な話である(そもそも、考えてみたところでボーイフレンド以外にしっくりくるものがない)

それにしても――何気なくのんびり続く、穏やかな生活(たとえば「ストロー」で描かれている、生活感溢れる二人のような)の中で、普通にして見えるあたしの内面には、これほど力強い想いがある。しかしそれを表面上は感じさせないのである。
これもまた、一見すれば小さくてチャーミングで関西弁がベリーベリーキュートなaikoと言う歌手が、見た目に反し壮絶で凄絶で地獄な恋愛模様の曲を歌いあげてはけろりとしている……そんな、aikoにある極端な二面性を「ボーイフレンド」でもふと見出せた気がした。二番AとBを読んで、そんなことを思ったのである。一応言っておくけど褒めてます。

どんな困難でもあたし達には

大きな想いをあくまでカジュアルに、ポップに歌い上げてサビへ向かう。

まつげの先に刺さった陽射しの上
大きな雲の中突き進もう
あなたがあたしの耳を熱くさせたら
このまま二人は行ける
好きよボーイフレンド

「まつげの先に刺さった陽射しの上/大きな雲の中突き進もう」――テトラポットを登って、睨んだてっぺん先にある、陽射しの眩しい空の向こう側。当然雲の中も突き進む勢いだ。雲の中は五里霧中と言う言葉もあるが、モクモクしていて白くて周りが見えないイメージだが、それは転じて「たとえ困難に見舞われ、周りが見えなくなったとしても、あたし達は進んでいく」と言う表明なのだろう。きっと「二人の形」の「雨が降ったらはぐれないように指の間握ろう」のように、あたしとあなたの二人はぎゅっと手を繋いでいる。

人と人の肉体的なふれあいについて

続く「あなたがあたしの耳を熱くさせたら」も一番サビと同様にそこはかとないエロスの感じられる接触の表現だ。直接耳に触れたのか、それとも言葉できゅんと熱くさせたのか、どちらにせよ二人の仲睦まじさが感じられる箇所である。

ふと、「湿った夏の始まり」の「だから」で綴られている、「だからあなたの肌を触らせてよ/わからないから触らせてよ」と言う歌詞や、湿った夏の始まり発売時のインタビューにおいてaikoが特に語っていたことを、これらの接触を表現するフレーズで思い出してしまう。
人と人の物理的な接触、どんなに世間がデジタルかつオンラインに成り代わっていこうとも、あるいは人との精神的な繋がりがどれだけ希薄になっていこうとも、肌と肌で触れ合えること――わかりやすく言えばライブやイベント会場における生の空気感や温度感がそうした中でいかに重要であったか、と言うことを、改めて思う。

それは勿論、このボーイフレンド稿を執筆している2020年、そしてnoteに転載作業をしている2021年が疫病と言う災厄に見舞われている所為もあり、だからこそ改めて痛感していることなのだが、aikoがあらゆる曲で、物理に訴える、肉体に訴求するフィジカルな表現を頻繁に用いているのは、aikoが人と人の物理的な、熱の通った繋がりの大切さを本能的にわかっていて、曲を通して沢山の人に伝えていきたいと思っているからこそなのだろう。

向かうところ敵なし

少し横道にそれたので先に進もう。一番では「二人の時間は止まる」である種の永遠を表現していたが、二番では「このまま二人は行ける」と、「止まる」とは反対の「行ける」が用いられている。
端的に言えば二人の関係の「継続」や「持続」を歌っているわけで、一番で考えた「永遠」とむしろ類似するものとなっている。始まったばかりゆえに終わりが見えていない、だからこんな強気な表現を持ち出せるのだが、なんかもう、向かうところ敵なしのラブラブな二人である。

向かうところ敵なし。そう、「持続」しながら「永遠」を感じさせるものでもあるのは、ちょっとどころかだいぶ非の打ちどころがない。「お互いのいいところや悪いところを何も知らない、ワクワクするしかない、だからこんな上り調子な歌になる」とは言うものの、恋の始まりにどれだけ莫大なエネルギーが込められているか。未来への希望や可能性は、こんなに眩しくて強いものなのだな、と改めて思う次第である。

ずっとずっと好きよ

曲は最終面に向かう。簡単に言えば一番Bとサビの繰り返しなのだが、この「ボーイフレンド」と言う曲こそが、Bメロで綴られているあたしの迷い込んだ「小さな部屋」なのかも知れない。あなたへの好きの気持ちや、恋が実った幸せ、そして未来への意欲であふれ切っているのは今まで読んできた通りである。リスナーの私達は、ポジティブな気持ちで満ち満ちた彼女の部屋へ、思いがけず招待されているのだ。

唇かんで指で触ってあなたとのキス確かめてたら
雨が止んで星がこぼれて小さな部屋に迷い込んだ

テトラポット登っててっぺん先睨んで宇宙に靴飛ばそう
あなたがあたしの頬にほおずりすると
二人の時間は止まる
好きよボーイフレンド

ラスサビは先述した通り一番サビの繰り返しだが、aikoの歌声の盛り上がりが大きく、気持ちがより一層盛り上がる。
一番サビでも書いた通り、「宇宙に靴飛ばそう」は動きのある歌詞だし、怖いものなしなあたしの強気が十分に表れている。「あなたがあたしの頬にほおずりすると」は、これはあたしからの動きではなく「あなた」からの動きなのだ。決してあたしだけが突っ走っているわけではなく、あなたもあたしのことがメチャ好きと言うことが十分お察し出来る。いや君達ラブラブか~い! と文体を放り出して二人の肩をバシバシ叩きまくってしまいたくなる。

「二人の時間は止まる」を一種の永遠であると書いたが、このまま二人の時間を記憶の中に焼き付けてしまいたい、と言う意味での永遠でもあるのかな、とも思う。
aikoの別れ系の曲でよく綴られる、別れてもなお残る記憶の一つにしよう(「あたしの向こう」の「変わった形のままでもいいからいられたらな」、「赤いランプ」の「アザとなり残る記憶」など)と言う狙いもあるのではないか。最初に「忘れたくないんだ」と歌っていたのもあるのだし――

と、少し思ったのだが、ここまで読んできた通り、最初から終わることなど全く考えていないような、それくらい強い「好きの気持ち」であふれ切った「ボーイフレンド」に、その狙いは少々似合わないように感じた。勿論aikoのあの性格を考えるなら、少しくらい忍び込ませてる可能性は十分に感じられるのだが、aikoの「何も気にせず書いた」という言葉を敢えて信じて読んでみたい。

それに、「焼き付けて永遠にしたい」と言う気持ち全てが、別れや終わりを意識して出るわけではあるまい。
むしろずっとずっと忘れたくないから――そう、一番で「忘れたくないんだと」と歌われた通り――ずっとずっと残しておきたいから、つまりはあなたをずっと好きでいたいから、そんな気持ちが生まれるのだ。
もうずっとずっと、二人にはこのままラブラブでいて欲しい。締めの「好きよボーイフレンド」に、その願いと祈りを込めて、私はそんな風に読んでみたい。

aikoの世界へようこそ

と、一通り、aikoの代表曲の一つである「ボーイフレンド」を読んできたわけであるが、aiko本人も言っている通り、まだそれほど深く知り合えていない、ワクワクするだけの、夢がふくらむ一方の段階の二人だからこその、明るくポップで清々しい、aikoには珍し過ぎるくらいにアップテンポらしいアップテンポ、上り調子上等の曲であった――わりとマジで、20年後に「青空」や「ハニーメモリー」を歌っている人と同じ人、同じ工場で作られたとは思えない(一応言っておくけど褒めてます)

話は少し逸れるが、冒頭で筆を割いた通り、この曲で紅白に出たり、アルバムがミリオンを記録したりと、aikoはもはや、地元大阪で深夜ラジオのDJをしていただけの存在では、とっくのとうになくなっていた。完全に全国規模の歌手になってしまっていた。要するに、売れるアーティストの一人になっていたのである。

歌手としての青春時代、とも書いたけれど、それこそこの「ボーイフレンド」のように、ワクワクするだけ、夢がふくらむ一方の上がり調子の頃に発売されたのが「ボーイフレンド」であり、この曲自体がその当時のaikoを象徴していたかのようにすら、2020年の今の私の地点からは見えてしまうのである。

話を戻す。しかし、明るさが全面に出ている――影を出さなかったのは敢えてでもないし、そうしようとする意地悪で残酷な意図があったわけでもない。aiko曰く「何も気にせず書いた」のだし、aiko特有のネガティブが入り込む隙間もないくらいに楽しいことを沢山想像して書いたのだろう。
それはとても、良いことだと思う。アーティスト――芸術家の生み出す作品が、全て苦悩や葛藤をテーマにしなければいけない、なんて決まりはどこにもないのだから。

そう、今でこそ、そして私がaikoのファンである程度曲を知っているからこそ言えるのだが、確かにaikoは恋に悩める女子の気持ちをリアルに綴れる作家だけれど、全ての曲がしんどかったり辛かったり切なかったりする必要はないのだ。「ボーイフレンド」のような曲があってもいいのだ。

と言うか、私はaikoの、何が何でもポジティブにあろうとするところ、堕ちるところまで堕ちても最後にはきちんと立ち直り、前を向いていこうとするところ、希望を決して捨てないところに、本当にいつもいつも、かれこれ二十年近く救われているのだ。――aiko自身ももしかしたら、この「ボーイフレンド」の明るさに救われるところが、あったのではないだろうか。

だから、そのaikoのポジティブさの表された「ボーイフレンド」が長く愛され、歌い続けられていることは、aikoは私に――私だけじゃない、多くのファンに元気を、希望を与えてくれる、明るくて素敵な人なんだよ、と言うことが、aikoを知らない多くの人に伝わっていることでもあるように思う。「ボーイフレンド」がaikoの代表曲の一曲として挙げられるのは、私としてはとても嬉しいことだなあと、今回読んでみて改めて思った次第である。

確かにaiko特有の、恋愛の苦悩や苛立ち、切なさ、深さ、苦しさ、恋する女子の重さ、しんどさ、辛さ……と言ったものは感じられないが、aikoを最初に知る一曲として、言うなれば入り口として相応しい一曲だと思う。
たとえば、この曲でへ~aikoっていいジャン、と思った人がサブスクでアルバムなり何なりを聴いた時、私にとっての「悪口」のように、エッ、aikoってこんな曲も、歌詞も書くんや……とおののける曲に出逢えればいい。そしてもっともっと「aikoのことが知りたい、他の曲も聴いてみたい」と思ってくれれば、それこそaikoファン冥利に尽きると言うものである。

言ってみればこの「ボーイフレンド」は、aikoと言う地獄の一丁目なのであ――いや一丁目じゃなくて隣町か、もっともっと遠い隣の市くらいのポジションである。もうちょいネット住民に通じる言い方をするといわゆる「沼」の入り口の浅瀬オブ浅瀬である。
しんどくない明るいaikoで慣れてから、愛憎渦巻くaikoの深奥に一歩一歩進んでいってもらいたい。そしてやがてはライブに行ったり、あじがとレディオを聴いたりして、曲以外のaikoのパーソナリティに触れていって欲しいものである。その時には、aikoと言う人となりがどれほどの人を救っているかと言うのが、きっと肌で感じられるようになっていることだろうと思う……なんか宗教の勧誘みたいになってきたけど本当のことなので仕方ないね!

おわりに

「ボーイフレンド」が世に出て今年(※掲載当時2020年)で20年。20年!??! である。今年2020年は疫病に見舞われ、aikoの属するエンタメ界は大打撃どころか完全に死滅くらいの勢いでどこもかしこも息の根が絶たれたように見えたし(実際そうなんだが)「ボーイフレンド」が歌われた紅白歌合戦も、今年は無観客での開催になるが(まあ紅白は基本テレビで見る勢なのでお客さんがいてもいなくても、いち視聴者の立場からするとあんま変わらんが……)(今年はaikoも出ないので、めちゃくちゃサミシ~~~)こういつまでもくさくさしてはいられない。
今まさに感染の第三波が猛威を振るっているところではあるが、失われた一年を取り戻すくらいの気持ちで冬を、新年を迎えていきたいところである。私も勿論、読者の皆さんもしっかり手洗いうがい等の予防に努めていきましょう。
……で、これの転載作業している2021年8月はもっとてんやわんやになっており、aikoのLLP22の各公演をはじめ、私の楽しみにしていたアイドルマスターSideMの6thライブ北海道公演も、キャストに感染者が相次ぎ延期になってしまったりしている真っ最中ではあるのだが……ね~~~~、ほんとにこの夜、明ける日がくるのか……? だが「いつもいる」の「息苦しくても生きていこうね」を信条に、再びaikoに会える日を心から待ちたいと思う。9月には新曲も出るしね!!!!

aikoもラジオ等で語っていた通り、生活に必要最低限なことばかりしていて、このままで大丈夫なんだろうか? と思うくらい一時期は曲作り、音楽活動から離れていたようだが、自分に出来ることを、と曲を作り始め、精力的にレコーディングも始め、秋にはLove Like Rock 別枠ちゃん2を開催した。信頼していたプロデューサーの千葉氏を2019年に失ったばかりで、この2020年の混迷極める状況にブチ当たったのは、aikoの心労もただならぬものがあったと思うが、そんなことは微塵も感じさせず――でもあじがとやあいこめでは少し弱音も吐いたりしてくれて(もっと弱音言ってもいいんやで!!)――私達を楽しませてくれ、何とか乗り越えて45歳の誕生日を迎えた。

私も今年は色々あったが(リアルに生活がピンチなくらいお金がない)(過去最高にお金がない)(助けてaiko)何だかんだでaikoに助けられたところが、本当に沢山あったように思う。ぎりぎりaikoには一度会えたが(2月15日のLLR9大阪公演であるが、今考えると本っ当にギリギリのタイミングだった)やっぱり会場で、現地でaikoに会いたい。そんな気持ちが日増しに募る一年だった。
歌える姿が見れるなら別枠ちゃん3でも4でもいいが、やっぱり早くaikoには現地でライブを開催してほしいなあ、でもaikoの性格を思うに、あと数年は無理かな……と思うと本当にゲッソリするのである。aiko~~! 感染対策さえしっかりしてくれればライブやってもいいんだ~~!! 頼む~~!! あとやるなら配信もやってね!!(チケット取るの無理無理の無理ぽいので)……けど、ちゃんとaikoを信じて生きていきたい所存である。でも正直数年もないって考えるのマジでしんどい無理なので、aikoが早く我慢ならなくなってライブ敢行してくれますよ~に!(言い方~)
(この辺は!2020年11月に書いていたことなので!みんな未来人の気持ちで読んでね!)(実際未来人である)

と、なんだかいつも以上にまとまりがなくなってきてしまったが、「ボーイフレンド」稿はこの辺で締めたいと思う。「ボーイフレンド」はポップでもロックでもアロハでもよく歌われる曲だが、今回の執筆に際し聴いていてやっぱり、ライブ行きたいなあとつくづく思ってしまった。
aikoがいち早く現地ライブを決断してくれることを――まだ声を出すのは難しいと思うので、皆で「ボーイフレンド」Bメロの手拍子を叩けることを祈って――そして、いつか絶対に会場のみんなで、サビの「あ~♪」やラスサビの「あああ~♪」を大声で歌える日が来ると信じて、本稿を閉じさせていただく。

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