島根県でスパイスづくり?!健太郎さんが“出雲SPICE LAB.”を立ち上げたわけ
みなさん、こんにちは。TSUMUGI(つむぎ)編集部のウィルソンです。
TSUMUGIで、毎月コミュニティーメンバーに送られる「暮らしのキット」では、「自然体に還るようなひととき」を過ごせるプロダクトをお届けしています。これまでコーヒードリップパックや、以前ご紹介したHERB STANDさんのハーブティーやハーブミックスをお届けしてきました。
そして、12月のある日。届いた茶封筒を開けると、ふわっとスパイシーな香り!丁寧に書かれたレシピとともに、島根県から「スパイスカレーキット」が送られてきました。
島根からスパイス…?そう、輸入のイメージが強いスパイスですが、日本国内に畑作りから取り組む人がいるのです。それが、この「スパイスカレーキット」を送ってくれた出雲SPICE LAB.の山田健太郎さん。
「スパイスで、人生にわくわくを届けられたら嬉しいな」
そう言って見せる笑顔は、思い描いていた「農家さん」というより陽気なお兄さん。今回は健太郎さんが、島根県でスパイスを育て、それを使った商品開発を手掛けるまでを伺ってきました。
農業を始めたのは、お金がなくなるのがこわかったから
健太郎さんはもともとは大阪で生まれ育ち、大学入学を機に上京。卒業後は、そのまま東京の会社で働いていました。
それが今では島根県雲南市で畑を借り、生姜や唐辛子、コリアンダーからウコンまでを栽培……。なぜそうなったの?というのが、誰もが抱く疑問ではないでしょうか。田舎暮らしやものづくりへの憧れかなと想像していたのですが、健太郎さんの答えは、私が予想していなかった意外なものでした。
「お金がなくなるのがこわかったんですよね。幼い頃、両親がいつも『もうお金がなくてやってられん』ってよく言っていて、それを聞いて育ったから『うち金なくなるやん、やばいやん』ってずっと思ってた」
お金がなくなるのがこわいから、農業……?まだつながりませんが、引き続き話を聞いていきます。
「仕送りなしで自分で学費を稼ぐから」という条件で、東京の大学生になった健太郎さんは、バイトで学費や生活費を稼ぎながら、その残りを貯めては海外へ。貧乏旅行や、ATMの前で襲われて無一文になった経験を経て「なんだ、お金がなくても、なんとか生きていけるんや」と思うようになっていったと言います。
「でも、就職して安定したお給料をもらうようになったら、今度はそれを失うのが怖くなってしまったんですよね」
この仕事は一生の仕事じゃない、辞めよう。そう思っても辞めたあとの生活や、安定的な収入がなくなることを考えて、踏みとどまった経験がある人は少なくないはず。健太郎さんも、お金に囚われて自分の道を歩めなくなっていたのでした。
それなら自分で物を作れたらいい
「なんでこんなにお金なくなるのこわいんやろって考えたら、“物自体を生み出すスキルがないから”っていう結論に達して。何か食べたいなって思ったら、食べるお店もレシピもわかるけど、その物自体を作り出すことはできないからお金がいる。だったら、物自体を作れたらいいやんって」
お金がなくなったとしても、食べたいものや着たいものを自分で作れるようになればいい。そのほうが自分の性格に合っていると思った健太郎さんは、まず食べ物を作れるように農業をやってみることにしたのでした。
社会人2年目、職場の仲間たちと千葉に畑を借り、農業をスタート。グループ名は「Mr.ツチルドレン」と命名しました。
「初めて作ったのは夏野菜だったんだけど、『こんなに小さい種からどんどん野菜ができるんだ』って感動しましたね。植物ってすごいなあって。虫がついて失敗したり、いろんなことがあったけど、そこで農業のおもしろさを知りましたね」
その後、Mr.ツチルドレンは解散したものの、もっと自然や土に近いところで活動がしてみたいと思うようになった健太郎さんを島根県にいざなったのは、大学時代のある先輩だった。
“馴染んだ”島根で、奥深きスパイスをつくる
「移住するなら、ちゃんと知り合いがいて、顔が見える範囲の人たちと活動できる場所がいいな」
そんなふうに地域への移住をほんのり考え始めた頃、大学時代の先輩に「島根のお米を使った商品開発を手伝ってほしい」と連絡をもらった健太郎さん。すぐに島根に引っ越すのではなく、それから2年間は東京で会社勤めをしながら、島根でお米を作る『宮内舎』の裏方や営業を手伝っていたと言います。
「何度か島根に通っていて、『ここだ!』とビビッと来る感覚があったわけではないけれど、逆にすごく嫌なところもなかった。徐々に知り合いも増えていって、『ここなら住めるな』という感覚が生まれてきました」
地元の農家さんと一緒にお米を作っている宮内舎では、耕作放棄地を再利用しています。高齢化などにより農業従事者が減り、その分人々の手を離れた農地は日本中で課題となっており、雲南市でも例外ではありません。
健太郎さんも移住してまもなく、耕作放棄地を使っての農業を考え始めました。
「そのとき、学生時代に世界中でスパイスの持つ奥深さに衝撃を受けたことを思い出して『スパイス』やってみようかなって。同じスパイスを使っても、作り方や作る人によって味が違ったりして『日本で言う出汁や味噌みたいな感じやな』って思ってたんですよね」
そこで耕作放棄地で無農薬のスパイスを作り始め、商品づくりまでをおこなう「出雲SPICE LAB.」を立ち上げました。
主にインドやインドネシアなど熱帯地域で作られるスパイスには、島根の冬を越せないものも多いといいます。それでも健太郎さんは試行錯誤を重ねながら、現在は、唐辛子や生姜、ウコン、コリアンダーなどを栽培。他にも作れるスパイスがないかを、実験しながら農業自体を楽しんでいるようでした。
TSUMUGIでは、2020年9月に健太郎さんの新生姜を送ってもらい、自家製ガリを作るオンラインワークショップも開催。参加者には、健太郎さんが心を込めて育てた生姜を送ってもらい、自宅にいながらガリの作り方を教わりました。
健太郎さんが育てている生姜は、出雲の伝統野菜「出西生姜」の種イモを農家さんに分けてもらったもの。その種イモから育った小生姜は、繊維がほとんどなくそのままポリポリ食べられるほどまろやか。それでいてピリリと刺激的な辛みもある生姜です。日本各地にいながら、島根の生姜でガリづくりを楽しみました。
スパイスで、わくわくする人生を
今、出雲SPICE LAB.で販売しているのは、クラフトコーラやチャイなどのドリンクです。健太郎さん自らがスパイスを調合し、開発から加工まですべて自分で作り出したもの。10種類のスパイスと3種の柑橘を配合したオリジナルコーラは、開発に1年半をかけたといいます。
私は以前、ジンジャーチャイを飲ませてもらったのですが、驚いたのはその風味の豊かさ!当たり前ですが「チャイってたくさんのスパイスを混ぜ合わせてできているんだ!」と改めて感じました。ほどよい甘さでミルクに混ぜる原液タイプなので、自分で濃さを調整できるのがうれしい。
「いずれは島根県内の旅館やホテルの冷蔵庫にドリンクを置いてもらおうと計画しています。せっかく旅行で来てくれたんだから、ご当地のものを飲んでもらいたいですしね」
今後は、雲南市で有名な桜をつかったドリンクを検討したり、今回の「暮らしのキット」で送ってくれたスパイスカレーキットを本格的に商品化を進めているそう。どんな新商品が登場するのか楽しみです。
いただいたチャイを飲みながら「こんなにおいしいチャイを作る健太郎さんのスパイスカレー、いつか食べてみたい!」と叫んでいた私。そんな私の目の前に、健太郎さんから開発中のスパイスカレーキットがようやく届いたのです。
さっそく材料を用意して、レシピに沿ってみじん切りにした玉ねぎやトマトとスパイスを鍋のなかで練っていきます。ほどよい割合で調合された何種類ものスパイスが、油に入れるとふわあっと部屋中に香って、気分はインドのカレー屋さん。
実は、市販のカレールーを使わずにカレーを作るのは、これが初めて。こんなにたくさんのスパイスが、畑から地球から、カレーのなかに届いているなんて、これまで考えたこともありませんでした。立ち上る香りとともに、どんどんお腹が空いてきます。
「僕がスパイスを届けたいのは、“社会人2年目の自分”のような人。『何かやってみたいな、どうしよう』って人たちに、自分のスパイスや商品を届けることで『こんなおもろいことができるんや』って、ちょっとわくわくしてほしい」
スパイスでわくわくを届けたい。だからこそ、農業の様子や作っている過程も包み隠さず伝えていきたい、と健太郎さんは言います。
「おもろいこともしんどいことも含めて、いろんなことがあって僕はそれが好きでわくわくする。それを見て『人生もっと楽しく生きれるほうがいいやん』って思ってくれる人が増えたらいいな」
大人になると、人生はもう決まってしまったような気がするときがあるけれど、実はそんなこと全然ないのかもしれない。「お金がなくなること」を恐れていた青年が、都会を飛び出して、島根の畑でスパイスを作っている。そんな話を聞いたら、じゃあ私も、と背中を押されるような気持ちになりませんか。
島根から来たスパイスカレーは、いろんなスパイスの味と香りのなかにピリッと刺激があって。食べているうちに身体の中から熱くなり、わくわくしてくるのを感じたのでした。
photo by 出雲SPICE LAB.
▼健太郎さんのスパイスカレー2種類と島根のお米が届くリターンも!TSUMUGIでは現在、クラウドファンディングを実施中です。ぜひ応援よろしくお願いします!
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