桃を味わう機会はあと74回しかない
近所のスーパに入ると、入り口近くにお行儀よく並んでいる桃が目に入った。
思わず目の前で立ちどまる。
いつもだったら「2個で400円ちょっとか。高いなぁ」と買うのを諦めるところだが、今日はある言葉が頭によぎった。
ー 果物の旬を考えると、その果物が残りの人生で食べられる機会はそう多くはない
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子供の頃は当たり前ように食卓に並んだ果物。
「果物はたくさん食べなさい。栄養満点だから。」
特に果物好きであった私のために、母は毎日のように皮やへたを剥き、旬の果物を出してくれた。
社会人になってから、自分で食材を買いにスーパーに行くと目に入る果物。
季節ごとにラインナップは変わり、「あぁもう秋なのかぁ」と並んだ果物によって季節を感じることもしばしば。
旬の果物たちはどれもつやつやで華やか。まるで宝石みたい。
思わず手に取ろうとするが、気になるのはお値段。
安くはないその値段にすこし躊躇してしまう。
ーそれよりも夕飯のために、肉と野菜を買わないと。
まずは買わなくてはいけない食材に考えがシフトし、果物売り場を離れる。
私にとって果物はいつの間にか「当たり前」から「贅沢品」に代わっていた。
*
そんなある日、SNSで見かけた言葉。
「フルーツの旬を考えると、そのフルーツが残りの人生で食べられる機会はそう多くはない」
(記憶が曖昧なので、言い回しは違うがニュアンスは合っていると思う。)
はっとした。
仮に100年まで生きるとすると、残り74回。私が売り場で出会った果物たちを食べる機会は残り74回しかないのだ。
そう考えると、果物を食べないのは勿体ないと思ったし、今まで何度果物を味わう大切な機会を失ったのだろうと後悔した。
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7月になり、桃がスーパーの売り場に並ぶようになった。良く熟れ上品に並ぶ桃に思わず足が立ち止まる。
頭をよぎったのは「この桃もあと76回しか食べられない」ということ。
赤に近いピンク色に良く染まった桃を一つ選んだ。
*
帰宅し、さぁ、食べようとして初めて、桃の剥き方を知らないことに気付き、検索した。
桃に縦にぐるりと切れ込みを入れる。
アボカドのように、両端を持ち、ねじるように力を加えと、真っ二つに分かれる。
適度の大きさにカットしたら、皮の下に包丁を入れ、刃をまな板と並行にする。皮を包丁で抑えた状態で身をくるんと動かすと、皮がぺろんと綺麗にはがれる。
剥き方はわかったが、思ったより熟れた桃の身は柔らかく、つぶさぬように慎重に扱うのはなかなか大変だった。
小さい頃は皮が剥かれ、カットした状態で「さぁ、どうぞ」とポンっと出てきた桃。なんと贅沢だったのだろう。
カットが終わると、お皿に盛り付け、ほっと一息つく。
口にひとかけ入れ、そっと噛む。口中に一気に果汁が広がる。
みずみずしさとさっぱりとした甘さが身体に染み渡る。
あぁ、なんて幸せなんだろう。
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果物は必ずしも食べる必要はない。
それでも、これからは果物を食べるのが当たり前で日常でありたい。
その時その時の貴重な果物との出会いを楽しみたい。
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