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「癒しの哲学」11月”魔術と癒し” ⑤魔女の癒し

11月の癒しの哲学テーマ「魔術と癒し」 ⑤は「魔女の癒し」


11月最終回の5回目は「魔女の癒し」!魔女、キターと思うのはワタシだけでしょうか?聖女が光なら、魔女は影?魔女についての歴史を知ることで現代のワタシたちが忘れている大事なことを思い出すのかもしれません。

ということで、それでは、さっそく学びに行ってみましょう!


魔女とは?

★古代の魔女
魔女の歴史は古く、すでに古代ギリシア・ローマ時代の文学作品の中で、恐ろしい妖術を使い、人々から忌み嫌われる魔女の姿が描かれていた。
ヨーロッパの魔女のイメージは古代のアッシリア人、バビロニア人、ユダ
ヤ人、ギリシア人、ローマ人の魔術信仰から発展した。

★古代ギリシア・ローマ文学の有名な魔女
キルケー、メデイア、カニディア、エリクト、パンフィエレ

★近代の魔女
・ウイッチ(魔女) :古代ヨーロッパに存在したキリスト教以前の民間魔術、とくにハーブ(薬草)、ヒーリング、井戸、川、石に関する魔術の実践者。ウイッチクラフトを実践する者。


・ウイッチクラフト:ウイッチのクラフト(知識、技術) という意味。魔術の中でも、とくに石、ハーブ(薬草)、色などの自然のものがもつエネルギーとつながった個人のパワーを使って行う魔術のこと。

・ペイガン:ラテン語で「辺境の住民」「田舎者」を意味するpaganusから来た言葉。今日ではウイッカとその他の多神教や、魔術を重視する宗教の信奉者
を指すのに使われている。ペイガンとは悪魔崇拝者ではなく、危険でも邪悪でもない。

・ウイッカ:現代におけるペイガン宗教で、神の顕現として自然を崇拝することに、初期のスピリチュアルなルーツをもつ。ウイッカの神は女神と男神なので、多神教である。また、魔術の実践を重要視し、生まれ変わりを受け入れている。満月などの天文学的(それに農業に関する)現象を祝して宗教的祭礼を行う。

・ウイッカン:形容詞として、「ウイッカの」あるいは「ウイッカに関する」の意。また、ウイッカの信奉者という意で名詞として使用することもある。

・カヴン:ウイッカンのグループのこと。通常はイニシエーションを行い、1人か2人の指導者が率いて、集団で儀式や魔術のワークを行う。

・イニシエーション:個人が何らかのグループ、興味、スキル、宗教に入っていく、あるいは受け入れられるプロセスのこと。

・魔法円:個人のパワーによって作られる球体で、一般にこの中でウイッカの儀式が行われる。魔法円の中は、ウイッカンと神が出会える共通の場と
される。

・3倍返しの法:ウイッカの信仰で、私たちの行為は、ボジティブなものもネガティブなものも、3倍になって自分に返ってくるというもの。


ジェラルド・ガードナー
1884年6月13日~1964年2月12日 イギリス オカルティスト、ウイッカの事実上の創始者。晩年のアレイスター・クロウリーの協力も得つつ、独自のウイッチクラフト(魔女宗)体系を構築した。
古より魔女が筆写して受け継いできたという『影の書』をガードナーらは創作し、『影の書』は今日でも魔女宗において個々人が所持する秘伝書を指す用語となっている。1954年には『今日の魔女術』を著した。

参考:1974年4月アメリカウイッチ協議会は、ウイッカの信仰上の信条を採
択しました。13、あります。(ググってね)


★中世の魔女

中世ヨーロッパの魔女には恐ろしい魔術を使う者や薬草の知識に長けた者などがいたが、中世後半には悪魔に仕える魔女というイメージが生まれた。

中世ヨーロッパには大きく分けて二つのタイプの魔女がいた。
一つは、魔術医療などを行う民間の魔術師で、この種の魔女は人々に恐れられてはいたが尊敬もされていて社会に受け入れられていた。
もう一つのタイプは邪悪な妖術を使い、様々な悪行を働く魔女だった。

キリスト教からの迫害

キリスト教の支配がゆっくりと進んでいた初期のころ、古き宗教一ウイッカや他の異教は、ライバルとみなされていました。ライバルを蹴落としたいのはごく当然のことで、キリスト教徒は手加減しませんでした。
古き宗教の神々は、キリスト教にとって悪魔なのだと、しばしば噂されました。


『魔女に与える鉄槌』
2人のドイツ人修道士ハインリヒ・クラーマーとヤーコブ・シュプレンガーが反ウイッチの信じがたいでっち上げを創作した本。この本によって、ウイッチを訴追するための明確な根拠が与えられた。
そして、クラーマーとシュプレンガーによって焚きつけられた宗教的集団ヒステリーは、あっという間にヨーロッパ中に一気に広がり始めました。300年近くも、迫害の炎は猛威をふるいました。ウイッチクラフトの罪で日あぶりの刑、磔刑、あるいは拷問されて死んだ人々の合計は、ざっと見積もって
900万人に及びます。

『蟻塚』全5巻(の内の第5巻)
中世における魔女理解のエッセンスともいうべき本であり、1435年から1438年頃に書かれたヨーハン・ニーダーのと並んで中世の魔女関連書の中で最も有名なものである。

魔女狩り

12世紀に始まった異端審問が本格的に魔女を裁くようになったのは15世紀に入ってからであるが、それはワルドー派が迫害を逃れて潜伏していたアルプス西部地方(スイスのヴァレー州、フランスのドーフィネ、サヴォワ)で始められた。記録に残るものでは1428年にスイス、ヴァレー州の異端審問所が
魔女の件を扱ったものが最古であるという。この地方の異端審問所はワルド
ー派の追及を主に行っていたため、やがて異端の集会のイメージが魔女の集会のイメージへと変容していくことになる。

そして、15世紀に入ると、魔女と妖術に関する書物が一種のブームとなる。
ニコラ・ジャキエ『異端の魔女の鞭』1450年
ウルリヒ・モリトール『魔女と女予言者について』1489年
ハインリヒ・クラーマー『魔女に与える鉄槌1486/87年

魔女狩りの最盛期は16世紀から17世紀であったが、17世紀末になって急速に衰退していく。イングランドで1624年に制定された魔女対策法が廃止されたのは1736年である。

また、魔女が誕生し、魔女狩りが盛行しだした中世末から近世はじめにかけては、その美徳と超自然力の行使ゆえに称えられ崇められた聖女も、同時に増加したのである。→マグダラのマリア


「聖」と「魔」・・・裏返しの関係

魔女も聖女も、なにか人間をこえた力に触れている。それは、魔女の場合は、悪魔とされ、聖女の場合は神とされる。魔女は悪魔の幻術によって幻を見るとされ、聖女は聖なる幻視を見るとされた。魔女も聖女も不可思議な
洞察力(予言、占い)で他人の心や未来を読める。
このように裏腹の関係にある魔女と聖女は、ときに見分けのつかないこともあった。だから、聖女として崇められるべき女性が、異端や魔女として処刑されることも少なからずあった。→フランスを救った聖処女ジャンヌ・ダ
ルク


以上、⑤「魔女の癒し」でした。

【まとめ】

ワタシにとっての「魔女の癒し」とは…
大元は石やハーブや自然のエネルギーとつながった個人のパワーを使用した魔術を実践した民間魔術(民間療法といってもよいかしら)をする人たちだったはずなのに、そこから使い方の違いが光と闇に分かれ、そして時代の波に巻き込まれ魔女狩りで迫害を受けた人たち。
魔女狩りにあうほど、その存在感は大きかったともいえるし、本当に彼女たちの持つパワーは強かったのだと思われます。
きっとその記憶を持って今の時代にいる人はたくさんいるでしょうし、今の時代にあった魔女の癒しの施術を受けてみたいと思うワタシなのでした。
なんとなく、魔女の話は他人事ではないと感じるワタシは前世で魔女だったのでしょうかね??

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