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『舟唄』に寄せた注解

管轄していたプロジェクトで大赤字を出してしまい私は地方に左遷された。
以来、この地で無為に過ごしている。
出世レースからの脱落、鬱屈うっくつした気持ちを抱えたまま適当な居酒屋へ入った。

席へ座るなり私は「ぬる燗」をそう言ってあつらえた。が、店員が運んできたのはホッピーであった。
どういう聴覚をしていればぬる燗をホッピーと聞き間違えられるのであろうか。
次に私は「イカのあぶり焼き」を注文した。が、店員が運んできたのはホッピーであった。
なぜだろう。まるで左遷された私に更なる追い打ちをかけようとでもいうのか、ここの店員は私が誂えた品をことごとく間違えるのである。
それにしても、カウンターの隣に座っているホステスと思しき女性二人組が鬱陶うっとうしい。乾杯の掛け声と共にビールを飲めば「ぷはー!やっぱこれだねっ!」、刺身を一口食えば「えっ、待ってなにこれ!?うっっっま!!」などと喧しくてかなわぬ。黙れと言いたい。
やはり女性は寡黙で凛とすましたひとがいいとつくづく思った。
また、この店は店主の絶望的なレイアウトセンスにより、天井に吊るされた無数のミラーボールからけばけばしい色の光線が放たれており落ち着かないことこの上ない。
私としては明かりがぼんやり灯るぐらいで十分なのだが。
しかしそうした喧騒の中ですら、しみじみ飲めばしみじみと左遷という現在に至るまでの想い出が脳裏をかすめていく。
感極まって思わず涙がポロリとこぼれたその時、隣の女性二人組に話しかけられた。
「お兄さん。これからあたし達とカラオケに行って歌わない?舟唄を。」

【舟唄/八代亜紀】
お酒はぬるめの 燗がいい
さかなはあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を

女性二人組の内、片方は「沖野カモメ」という源氏名のホステスだそうで、私は彼女とカラオケ屋で意気投合、調子に乗って沖野カモメに深酒をさせてしまい気づけば朝を迎えていた。
また、もう片方の女性は「ダンチョネ」という風変わりな源氏名であった。

沖のカモメに深酒させてョ
いとしのあの娘とョ 朝寝する
ダンチョネ

あれから半年が経ち、また私は件の居酒屋を訪れた。
店内は相変わらず毒々しい電飾に覆われていた。
ふと窓から外を覗けば通りにはパチンコ屋、居酒屋、キャバクラ店が軒を連ねており風情も情緒も皆無であった。
私としては、うらぶれた港が見える程度でいいのだが。
また、店内に流れるBGMは昔流行った『おどるポンポコリン』という曲だけを延々リピートしており、はっきりいって気が狂いそうになる。BGMなぞいらぬ。霧笛むてきがうっすら聞こえる程度で十分ではないか。
そんなことを考えながら、ホロホロ鳥の燻製をアテに飲もうとそれを一口つまんだところ、その味たるや激烈に不味く、思わずすすり泣いてしまった。
そういえば、半年前に沖野カモメと出会ったのも今日の様な最低の気分の時であった。
あの時カモメと歌った舟唄のフレーズが自然と口をついて出た。

店には飾りがないがいい
窓から港が 見えりゃいい
はやりの歌など なくていい
時々霧笛が 鳴ればいい
ほろほろ飲めば ほろほろと
心がすすり 泣いている
あの頃あの娘を 思ったら
歌いだすのさ 舟唄を

勘定を済ませ店の外に出ると小雨がぽつぽつ降っていたので空を見上げて直接雨水を飲んだ。これは幼少の頃からの癖である。
未練かどうか判然としないが、今夜はどこかやり残したような心持であり何かが胸にわだかまっている。
繁華街とはいえ深更になるとどこか寂寥感せきりょうかんが漂い何やら私自身も淋しくなる。そうした叙情も相俟って、またしても私はあの時の舟唄を口ずさんでいたところ、背後から同様に舟唄を歌う声が聞こえてきた。沖野カモメであった。
ただ、彼女は舟唄の歌詞を覚えておらず全て「ルルル…」というハミングでごまかしていた。

ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと
未練が胸に 舞い戻る
夜ふけてさびしく なったなら
歌いだすのさ 舟唄を
ルルル…

以上

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