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青写真

青写真に写った赤鬼は案の定、青い。

この鬼が赤鬼だと知っているのは私だけ。

人々は私がこの鬼は青鬼だと言えば青鬼だと信じるし、黄色い鬼だと言っても、ああそうなのか、と信じてくれるだろう。

しかし、それが本当は何色の鬼なのかどうかを真剣に考えてくれる人は果たしてどれくらい存在しているのだろうか。

赤鬼はいつも春になると我々の前に現れる。春と言えど、暦上の春であり、冬と言ったほうが格段にしっくりくる。

私の住むこの地域は三十日連続で雪が降り続いている。

そんな春の名前だけを借りた冬の時期に赤鬼はやってくる。その表情はいつも複雑だ。泣いている様に見えるし、怒っている様にも見える。注意深く観察してみると、救ってほしそうにも見える。きっとその全ての感情を抱えている。

人々は春が来る前に赤鬼に豆を投げ付ける。赤鬼が悪なのか善なのかなど考えてはいない。彼らにとって赤鬼は絶対的に悪なのだ。だから豆を投げて自分達の世界から外に追い出す。その考え方は半分正解で半分間違いだ。赤鬼の中にも悪に染まっている鬼もいれば、そうでない鬼もいるからだ。

そして人々は自分達の世界から追い出した鬼達がどうなるかなど考えるはずもない。

青写真に写った赤鬼を青鬼だと言われれば青鬼だと信じる人々に、自分から目が離れた先の世界について考えることなど不可能に近いのだ。

では、追い出された赤鬼達はどうなるかと言うと、我々の住む地域に襲来するのだ。

そして一部の悪に染まった赤鬼達が我々の大切にしている青い砂や青い海を汚すのだ。

青い瞳をした青い肌の我々を殺すのだ。

かつてそれで何人の同胞たちが赤に染まったか。

そういった悲劇を繰り返さない為に私は産まれた。

私には産まれた時から特別な力が宿っていた。手を前にかざし念じれば青い液体が溢れ出すのだ。その青い液体に少しでも触れると赤鬼は一瞬で消え去る。

だから私は今日も一人で大挙する赤鬼達を一匹残らず消す。生かしてやろうなどとは思わない。生かせば汚されるのは我々だからだ。

だから躊躇なく滅する。

消える前の赤鬼達の表情は、これまた、鬼それぞれだ。怒りの表情をしているものもいれば、幸せそうな笑顔を浮かべているものもいる。一部の悪に染まった赤鬼達の行動を謝罪したそうにしているものもいる。

赤鬼は私にとって憎むべき存在ではあるが、私の一番の理解者でもある。

私はこの地域を護るために産まれたのに、この地域の人々は毎年春になる前には私に豆を投げ付けてくる。

私はただその怒りと悲しみを赤い色した鬼にぶつけているだけなのだ。

赤鬼たちに助けを求めているのかもしれない。

私は今どんな表情をしているのだろう。

青写真の中の鬼が赤いことを私だけが知っている。

終わり

#シロクマ文芸部
#青写真

ここまで読んでいただきありがとうございます。