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おかえり、鉛筆

子どもが小学生になってから、鉛筆のある風景が戻ってきた。

小学生の鉛筆というのは、こんなにも減るのが早いのか。まっさらな鉛筆はどんどん背丈をすり減らし、そのぶんだけ子どもは少しずつ字を書くことに慣れてきている。

増え続ける、大人の手に持つには少々短すぎる、ちびた2Bの鉛筆。おかしなもので、これがどうしたって捨てられないのだ。

そこで、短い鉛筆には補助軸を使う。懐かしい、鉛筆ホルダーとも呼ばれるアレ。子どもの頃はこの存在が、なんだか貧乏じみてあまり好きじゃなかった。ステンレスの軸も古めかしいし、当時かわいいイラストやキャラクターのカラフルな鉛筆が女子の筆箱を彩る中で、そんなもの絶対に使えなかった。あのころ、短くなった鉛筆をわたしはどうしていたんだろう。

娘は補助軸に抵抗はないようだけど、なんとなく自分のそんな思い出も手伝って、長い鉛筆を渡してしまう。代わりにわたしが、子どもの鉛筆を受け継ぐ。仕事のメモやラフを書くとき、毎日のto doリスト、ときどき(ほんとうにときどき)書く5年日記、連絡帳。今、鉛筆は当たり前のように、身近なところにある。

ステンレスの補助軸しか知らなかったのが、あるとき画材屋さんで木製軸を見つけた(写真下)。それがなんともしっくりきて、使い古した鉛筆が、きちんと道具に生まれ変わって見えてうれしくなった。さらに木製軸のなかでも、とびきりのお気に入りが平井木工挽物所の補助軸だ(写真上)。いくつの樹種から選べて、わたしのは、さくら。すべすべとした木肌が美しく適度に重みもあり、いつまでも書き続けられそうな気がする。こちらは校正者の牟田都子さんに教えていただいた。仕事の愛用品として、使い続けているらしい。

鉛筆は少し書くと先が丸くなるし、短い鉛筆は削るたびにホルダーを外す必要がある。最近は、小学生も鉛筆より、鉛筆のような書き味を備えたシャープペンシル(芯が鉛筆のように太い)を使う子も多いと聞く。

娘もそのうち、そういうものに移行するのかもしれない。短くなったお下がりがなくなれば、わたしもいずれまた、鉛筆を使わなくなる日がやってくる。そのときは、今のように子育てに追われることがなくなっているのだろうか。

鉛筆の思い通りに定まらない太さや少々面倒な部分、けれど思いがけずもらえる心がゆるむ書き心地。図らずも自身の子育てと重なるような鉛筆のおもしろさ、今はこれを存分に享受していたいと思うのだ。

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