見出し画像

野球を好きでい続けたから、仕事になった。

野球ライターには──語弊を恐れずに言えば──誰でもなることができる。お医者さんのように資格があるわけでも、どこかにお金を払ってライターの登録をしなければいけないわけではない。もちろん年齢制限もそこには存在しない。

野球のことを書けば、それだけで野球ライターになるわけだ。ただ、それで食べていくことが、誰でも簡単にできるわけではない。

ぼくは今、野球ライターとして生活をしている。著書があるわけでもなく、野球ファンなら誰でも知ってる、Numberやベースボールマガジンといった媒体に連載を持っているわけでもない。つまり世の中的には、というよりも野球ファンの間でも無名の存在。ツイッターのフォロワーだって1000人もいない。

新聞記者や業界で名のあるライターさんたちのように、選手や球団関係者に取材ができる間柄ではない。もちろんパスなどもらえない。

なにものにもなっていない、ただの野球ファンである。

それでも野球が好きだったからこの仕事につくことが出来た。とはいえ、少年の頃から「野球ライターになりたい」と明確な目標を持って歩んできたかというと、そんなことはまるでない。

◆◆

まだ純粋だった少年の頃、野球チームに入っていたわけではないけれども、「プロ野球選手になりたい」という漠然とした夢を持っていた。巨人の篠塚利夫選手(現:篠塚和典)が好きだったことを憶えている。それがだめでも野球にかかわる仕事をしたかった。周りの声は何も聞こえない。ただただ野球に関わりたかった。

そんなにも野球が好きだったぼくだけれども、都内の中高一貫校に進学と同時にサッカー部に入部した。とくだんサッカーが好きだったわけではないし、ちょうどJリーグが開幕したからでもないし、女子にもてたいからでもない。

中学校に野球部がなかったからである。今、振り返ってみれば、プロ野球選手になるために中学校の野球部に入る必要なんてまったくなかった。地域にあるチームに加入すればよかったのである。むしろそのほうが主流かもしれない。でも当時はインターネットもなく、そんな情報は持ち合わせていなかった。

高校に進学しても野球部には入らなかった。ぼくが通っていたのはそこそこ強く甲子園にも出場するような学校。プロ野球選手も数多く輩出している。

そこに未経験のぼくが入っても、3年間走るだけで終わってしまう。それではおもしろくない。だから、そこそこ背が高かったぼくはバレーボール部に入った。

当時のことをあまり憶えていないけれども、1個下の女子バレー部の子から告白されたことだけは鮮明に記憶している。ゴディバのチョコレートをもらった。そのときはなにもなかったけれども、社会人になってから再会し何回かデートらしきことはした思い出もある。

中学、高校の6年間、部活動に受験に忙しかったぼくにとって、野球はほど遠い存在だった。それでも自宅の部屋で窓ごしに空を見ながら、ラジオから流れてくるその日の試合結果を聞いていた。たぶんほんとうに好きだったんだと思う。

その後、大学に入学し、中退。バイト三昧、なんとなく就職。10年以上も野球とは無縁の生活を送っていた。野球との関わりはスポーツニュースや新聞だけ。雑誌を買うこともなく、いまさら仕事にできるなんて1ミリも考えていなかった。

少年から大人に変わる大事な思春期を意味もなく、目的も持たずにぼんやりと過ごしてしまったツケだろう。それでもやっぱり好きだった。忘れられなかった。なんだか恋に似ている。

どんなに生活と離れていても、新聞に目を通し、試合結果は頭に入れていたことが好きの証明でもある。

とはいえ30歳を過ぎてしがないサラリーマン。野球とは無縁の会社。貯金もない。少年の頃、憧れ続けた野球への道。プロ野球選手じゃなくても、それに近づくなんらかの職への道は完全に閉ざされた、と思っていた。

◆◆

社会人を10年ほどやった2011年。ぼくは転職をした。野球とは無縁の会社から野球とは無縁の会社へ。ただ、時間ができたから野球のブログを書いてみた。3年ほど遊びで書きながら、月1万円くらいのお小遣いを得た。大好きだった野球でお金を稼ぐことができる喜びを初めて知った瞬間でもある。

かすかな勇気が生まれた。

そしてある日、「書く仕事なら野球に携われるのかな」とひらめいてしまう。それこそ村上春樹が神宮球場で野球を見ながら、小説を書こうと思い立ったかのように。

タイミングが良いのか悪いのかひらめいた直後、勤めていた会社が畳まれることになった。静まる会社を背に独立。なにをするわけでもないのに株式会社にしたことでお金はなくなった。2015年3月のことである。

やるしかなくなった。

でもこの時点では、野球で食べていこうとは思っていない。そもそも当時のぼくはライターという仕事を知らなかったのだから。

サラリーマン時代は営業畑、経営企画畑にいたので、そういった仕事をしながら趣味で好きな野球を書ければいい。当面は通常の仕事をこなした。貯金、知識、経験、コネ、なにもない。当然だろう。

ようやく最低限の生活ができ、落ち着いてきた11月。まずは野球で書く仕事があるのかをクラウドソーシングで探した。これが最初だ。そこでたまたま見つけた野球のお仕事を経験してから、野球繋がりの友人に野球媒体の編集部を紹介してもらった。今思えば無謀だった気もする。

思いついてから、編集部を紹介してもらうまでに要した時間は3ヶ月ほど。そこからはトントン拍子だった。徐々に仕事が増え(とはいえ2年以上かかっている)、いつしか野球のことを書くだけで(裕福な生活はできないけれども)ある程度──神宮球場の年間シートを2枚買うことができて、12球団のファンクラブに加入し、スカパーに入って、選手名鑑を全部買うことができるくらいには──稼げるようになった。

結果的に野球だけの収入となったのは2018年から。探せば野球に関して書く仕事はいくらでもある、ということも書き始めてから知った。こんなことも仕事としてあるのか、ということだ。

あんがいなんとかなるものである。

なにものでもないぼくが、貯金、知識、経験、コネもなく30代後半になってから、野球の仕事につくことができた理由はひとつしかない。

ずっと野球が好きだったから。

ずっと思い続けていたから、知らず知らずのうちに迷子になりそうになった夢へと導かれ、今こうして仕事ができている。そう信じている。

これが本当の幸せなのかはわからない。野球の仕事につくための最短距離でなかったのは確かだろう。でもいまさら最適な答えを教えてもらおうとは思わない。きっとこれでいい。

好きな野球を仕事にする。その方法はずっと好きでい続けること。

たったそれだけだった。

こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。