隙があるから好きになる。
誰しもが生まれてから1度くらいは「なにか」を好きになったことがあるだろう。その対象は「人」であったり「食べ物」であったり「ものごと」であったりする。そういった「好き」だ。あの子が好きでもラーメンが好きでもなんでもいい。
この好きという感情は「隙があるから好きになる」ものらしい。と、どこかの名言集か何かに載っていた気がする。グーグル先生に聞けばすぐに出てくるかもしれないが、時間もないのでここでは割愛させていただく。
ちなみに名言内ででてくる「隙」というのは油断という意味ではない。心の隙間と捉えるのがより正確だ。心に隙間がないほど余裕がなく、何かに追われているとき。それが仕事でも、生活でも何でもいい、そういったゆとりのないときは新しいことが目に入らない。だから、好きになることがないということだ。
逆に心に隙間があり、ゆとりを感じているときは新しいことに目を向ける余裕がある。だから、好きになることが多い、と書かれていた。
たしかに、何かを一心不乱におこなって心の隙間がないときは、他のことが目に入らない。だから、新たなものや人を好きになる機会は少ない。余裕があるほど新たな発見もあり好きになる機会(チャンス)は多そうだ。
これを初めてみたときに「あぁ、なるほど」と感心したことを覚えている。
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昨日のヤクルトは終盤に追い上げたものの惜敗。プレーオフ進出の目は完全に絶たれた日でもあった。そんな余裕のない中で、ぼくは帰りにシークァーサーサワーを飲んだ。これが意外に美味しくて「好き」になってしまった。雨が降る青山通りを歩きながら「あぁ、まだまだ余裕あるな、ぼくは」と思ったのである。
あ、お気づきかもしれませんが冒頭の言葉はグーグル先生には載っておらず、ぼくの完全オリジナルです。でも、こうやって書くとそれっぽく聞こえませんか?余裕を持って生きたいですね、やっぱり。
9月1日:ヤクルト(2-3)広島
こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。