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ぼくは、そっと靴下を脱いだ

日常、非日常その境界線はどこにあるのだろうか。そんなことをよく考える。

何の変哲もない味のうどん、いや、美味しくないと言ったほうが正確かもしれないソレ。でも、海水浴に行き気心の知れた彼女、彼氏、友人たちと海の家で食べてみたら美味しかった。そう感じられることはないだろうか?誰しもが一度は経験があるはずだ。(いや、あるよね?)この感覚こそが非日常なのではないのだろうか?とぼくはひとつの結論を出した。

海水浴を例に出したのは、この夏に行ったからでは当然ない。高校生のときに先輩に無理矢理連れて行かれたことを思い出したからだ。そんな、たとえしか思い浮かばなかった。でも、言いたいことはつたわっただろう。

さて、なんでこんな話をしたかというと昨日のできごとに結びつくからだ。

昨日、ぼくはスニーカーで野球観戦に向かった。白いローカットのオールスター(コンバース)だ。オールスターといえばコンバースなのはわかると思うけれども『オールスター(コンバース)』と書いてしまうのは野球選手の表記がこうだからだ。野球の記事では大谷翔平(日本ハム)といったように、その記事内で初めて出てくる選手はフルネーム表記に所属球団を()で記載する。という決まりが往々にしてある。

そのオールスターを履いて渋谷から神宮球場へ向かって歩く道のりは約30分。その間に何度立ち止まっただろうか。考えごとをするために立ち止まったわけではない。靴紐がほどけたわけでもない。理由はスニーカーソックスがずり落ちてくるからだ。くるぶし位までのソックス、あれは歩いているうちにずり落ちてくる。それが気になり、直しに直した。途中から数えるのもやめてしまうくらいだ。日常ではあの感覚が気になるのだ。

それがだ、球場に着き席に座り試合を観る。その間は全く気にならなかった。ずっと動いていなかったからではない。途中、トイレにも行くし、飲み物を買いに行ったりもする。それでもだ。これが非日常なのだろう。

約3時間後に球場を出るとどうか。とても、気になるのだ。日常に戻ったということを実感した瞬間でもある。ぼくにとっての野球観戦は「日常」と思っていたが、どうやらそうではなく「非日常」だったようだ。その境界線は神宮球場。これが昨日1つめの気づき。

小雨が降るなか、銀杏並木を通り青山通りを通る渋谷までの道のり。ぼくはそっと靴下を脱いだ。これで、あのイヤな感覚に悩まされることはない。そう思っていた。でもその考えは甘かったようだ。今度は靴擦れという気持ち悪さ、いや、痛さが待ち受けていた。

困難を解決しようと思ってもまた違う困難が襲ってくる。そんなに人生は甘くない。

これが2つめの気づき。

え?試合内容?

非日常的空間だったけれども日常的に見慣れた負け試合だった気がする。

8月9日:ヤクルト(2-7)DeNA

こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。