映画『主戦場』を観た。
十三第七藝術劇場で『主戦場』を観た。2018年のドキュメンタリー。アメリカ人の監督が、第三者の立場から所謂「慰安婦問題」について、立場の違う人にインタビューをしていく、という映画。
少し前の封切りの時に気になっていたのだが、配信とかDVDリリースがない様子だったので、この上映は嬉しかった。
僕は慰安婦問題については不勉強で、全く何も知らない。教科書で学んだ記憶がわずかにあるだけで、そのわずかな記憶も、これはあまり良くないことなのかもしれないが、僕の人格形成には何ら影響を与えていないと思う。
ただ、この問題について、論争が起こっている、ということは知っている。むしろ「論争が行われている話題である」というのがこの問題についての一番の強い印象かもしれない。
そういう立場というか持ち球で、僕はこの映画を観に行ったのだった。直前にラーメンを食べたせいで、少し逆流性食道炎気味であったが、ぐっと胃の奥にラーメンを落ち着けて。
結句、この映画は日本が第二次世界大戦中に植民地であった韓国の女性を慰安婦、として強制連行したのか、それとも正式な売春婦として雇用していたのか、そもそも売春婦として雇用していたとしてそれは良いことなのか、その規模はどれくらいで、奴隷労働だったのか、そうではなかったのか、戦後補償に関する日韓合意によって慰安婦問題の件も終わったのか、そうではないのか。その女性たちを記憶するために各所に立てられようとしている所謂「慰安婦像」の取り扱いについてはどうするべきか…。
わかりやすい二項対立を設定し、お互いのインタビューを組み合わせて慰安婦問題に迫っていく、と言う内容だった。
僕はドキュメンタリー映画が好きで、いくつか好きな理由というのがあるのだけれど、その一つに、いい顔、というものがある。カメラを向けられている被写体の顔、というか。
人間は普段から演技をしているわけだが、カメラや質問、出来事によってこの演技が崩れる瞬間というのがある。その時の顔を見たときに僕は無上の娯楽に接した気になるのだ、性格がまことに悪い。
なんでだろう?何が真実かはわからないが、その変化が起こった、ということだけは真実だからだろうか。ともかくわけもなく好きなのだ。ゴシップやスキャンダルを感じているような気もする。
そういう意味ではこの映画、いい顔を見せくれる場面はあった。
これはインタビュアーの質問が効いているからだろう。ある女性評論家が「その話はしたくない」と言った後に、いつも強気で凛としている(そうあろうと強く心掛けているように思える)その人の表情がゆがんだのだが、そこは僕の価値観から言うとこの映画の白眉だった。スキャンダラスだった。
ただ、このいい顔イズムを大いに満たしてくれる映画は幾つかあって、原一男監督の映画(『ゆきゆきて神軍』と『泉南石綿村』が特に)は大体満たしてくれる。
東海テレビドキュメンタリーもそう。
最近では富山のチューリップテレビの人が作った、議会汚職を追ったドキュメンタリー映画『はりぼて』でおぼれるくらい、地方議会議員のいい顔を見ることができた。最高だった。
そういう映画にはこの『主戦場』は及ばなかった印象だ。
しかし見る価値はあった。気になっていた映画だったし。
しかしながらそれでめでたしめでたし、とはいかなったので、その辺りを有料部分で書いてみようと思う。めでたしめでたしじゃなさを。
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