ライフヒストリー《100チャ52》
誕生日に書いた文章が、自己紹介的な内容だったので、自己紹介として固定していたのだが改めて書いてみることにした。
自己紹介
たましい44歳。
北海道生まれ千葉県在住。
海外20〜27歳。
ロス6年ロンドン1年。
ゲイ。シングル。
帰国後札幌でサラリーマンを経験。独立起業したいと脱サラ。拠点を実家千葉に移し千葉を元気にすることを目的にフルコミの仕事をしながら海外イベントを企画する自分の夢に向けて人生を企画中!
A型
生まれは牡牛座
牡羊座からの移行期間
五黄土星
守りの猿🐵
参宿
kin189
巳年🐍
両親について
父は東京中野生まれ。母は北海道帯広生まれ。
父が仕事で北海道に仕事で来ていた。そんな時友達の紹介でお見合い結婚に至った。
出会いは北海道中標津。釧路湿原の近い、酪農の町。得てして、父が転勤がある仕事。母は転勤族の家庭で育ち友人の紹介からお見合いになったとのこと。転勤族には転勤族なりの出会いの方法だったということだろう。
父は現筑波大卒で、工場長。母は農協の支店長の娘という当時の酪農の町では夢のある結婚の二人だったのかもなんて思ったりする。母から聞いた話で農家の嫁にはなりたくなかったとのこと。学生時代のやんちゃな男から求婚されたこともあったが、実家が農家だったらしくあきらめたとか(笑)
その後二人は結婚し、最終的に父の栄転で関東に引っ越し。
母が元気の良い人柄もあり、登別の熊牧場で熊を躾けていたら、父も躾けられて結婚したと言う冗談がある。
①0〜10歳迄
産まれたのは北見。祖父母がその時転勤で住んでいた街で私達兄弟は産まれている。姉は中標津産まれ妹は稚内産まれ。
住んでいた街
別海
幌延
大樹
札幌
そして
千葉。
街の中で引っ越したのも合わせると転校などもあり7回を数える。自分の性格のベースは北海道で培われた。
1987年7月2日10歳の時、千葉に引っ越した。
始めて学校に登校したその日、不安を払拭してくれたのは、8人目の男子の転校で沸き立ってくれたクラスメイトだった。
②11〜20歳迄
自分が引っ越してきた千葉の幕張エリアは埋め立てが終わって、新しい街が出来つつある新興住宅地だった。転校してくる子が多くて、奄美大島から引っ越してきたなんて奴もいる。
中学校は姉が一期生で、僕らは三期生。幼稚園から続けてた剣道は剣道部の先生がいなくて、できたばかりの陸上部へ。自分の実力のなさを知りクラスメイトとバスケ部に。そんな15歳の頃、キャンプなども好きで地域の子供会リーダーもやっていた。
高校は学ランが着たいって一心で千葉の検見川高校へ。バスケ部にもなじめず宙ぶらりんの剣道に戻ったりと高校生活を送り、応援団長をやったのが一番の想い出か。遊ぶときは中学の時の奴らとつるんでた。
父の名古屋単身赴任もあり、子供3人の学費に追われ母も働き始め、バイトをすることに対してすごく抵抗のあった母の意向をくむような形で家でボーっとすることが多い青春?(笑)
中学での成績は中の上。高校では成績さえ気にしないくらい何にも興味を持てなかった。唯一思い出したのは、始まりと終わりは丸で完結する!とひらめいたことか。
思春期の頃の周りで誰と付き合う付き合わないという時期、女子には気持ちが盛り上がらない自分がいた。そして、目が追うのは野球部部長のプリケツだったり何かおかしいと思っていた。
そんなこんなで進学が語学学校になり、海外留学を目指すことに。志望理由は海外の人に味噌汁を飲ませたい。なぜなら具材が変わると味わいの変わる感動を伝えたい。とか書いていた気がする。
そして18歳。父と学校説明会に向かう道すがら、自分はなにかとてつもなくオカシイことに気づいた。なんと通学路は新宿2丁目だったのだ。(笑)
つづく。
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