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古書修復との出会い

今日は、かれこれ10年あまり続いている趣味との出会いについて書いて見ようと思います。

人生にはたま~に魂がコレだ!ってぴょんと飛び上がる瞬間がある。
わたしにとって、古書修復の世界との出会いがそれだった。
ある日、地元ローカル番組をたまたまつけながら用事をしていた時だった。
それは、古い洋書の修復をしている工房の取材で、見開きページのマーブル紙から作られた国と年代がわかるのだと説明されていた。一瞬で引きつけられた。それまでわたしは本というものが、工場ではなく個人宅で作ることが出来たり修復したり出来るなんて、思ってもいなかった。

わたしは本が好き。
読むのも、フォルムも好き。素敵な装丁をじっくりみてるだけで気分があがる。ビジュアル的に好きなのは、古い洋書。よくカフェなどでオブジェとして飾られているが、色の落ちた茶色の革表紙の箔押しの入ったものなど、不思議な郷愁を感じて、胸がきゅうっとなる。
特に修道士たちが祈りを込めて手書きで作成した聖書の装飾写本。たまらなく美しい。何かの展覧会の折にガラス越しでしか現物は見ることはできないが。そういった古いものが、わたしは好きだった。

そんな書物を製作したり修復したりする工房がなんと近くにあるということがわかった。こんなにはっきりと心にヒットしたものも珍しく、わたしは、翌日すぐに電話を入れたが、生徒募集はすでに終わっていて、半年ほど待ってその工房の教室生となった。

初年は文庫本をハードカバーにという作業からはじめて、現代の本の構造からどんどん遡って、18世紀、16世紀、13世紀と構造を習う。紙を折って糸に蝋がけをして綴って本文部分を作り、厚紙を布や革でくるんだ表紙と結合させる。現代のほうが華奢。中世になると、紙ではなく、木の表紙を革でつなぎとめる。もっと古くは紙でもなく羊皮紙。
先生はスイスで製本を習得されて、日本で教室を開いた方であり、その膨大な知識量と細かい手作業の丁寧さとすばやさはいつも見とれる。
軽くなんでもないようにさっさっとしてるように見えるのに、同じようにわたしがやると、ゴリゴリと無骨になってしまうのだ。それはとにかく回数を重ねた職人の手さばき。また、海外の同業者とも交流も深く、各国の珍しい図書や製本事情を土産話として聞くのはわくわくすることだった。教室生は非常に熱心で、全国各地から集まって来ている。司書の方も多かった。その集まりは“類友”の極みであり、非常~に好みの合う人々が集合していた。生徒の私達はたわいないおしゃべりだけでも、日本各地の事情を生で聞けて、それが女子トークにくっついているのだ。楽しくないわけがなく、当時は仕事でしんどいことも多かった時期だったので、余計に救われる空間だった。ただ、これが仕事に結びつかないよね~って言うのが悩みの種で、意欲に燃えてはじめたひとも、遠方がゆえに続かず脱落していくひとも多かった。わたしは地元であるがゆえに、楽しく10年以上も続けることが出来た。ただ、ちょうどこの春から一旦休会しているのだが、おりしもコロナで運営も試行錯誤中のようだ。

話は変わるのだが、こうして、ピンと来るものには、何かしらのご縁もついてくるものだ。
先生が勉強されたスイスの学校というのが、アスコナという町にあるのだが、このアスコナという地名をわたしは知っていて、えっ!と驚いた。
アスコナには昔、モンテ・ヴェリタという芸術家のたまり場があり、わたしはそこにあこがれを持っていた。ヘッセ、ユング、イサドラダンカン、シュタイナーなどの名前があがる。note記事にはまだ書いてないが、わたしは、ヘルマン・ヘッセがものすごく好きなので、その神秘的な集まりの場所のことを知っていたのだ。今でこそスピリチュアルについての文献はいたるところにあるが、10代のわたしが心惹かれてほぼ全作読んでたヘッセはもろにスピリチュアルであり、今読んでもさらに深みを味わえると思う。その製本学校とは直接関係が無いとは言え、ピン!とくるものの近くには、シルシがあるっていうのは本当だと思った。

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