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noteというアウトプットの効能

noteを始めて、どの分野のことを書きたいのか、書けるのか、まだまだ試行錯誤中。

ここ数日は、心のことを書いているが、こういったことを言語化するのは難しい。今まで、読んできたブロガーさん達の素晴らしさが良くわかった。

自分では理解している、と思っていても、じゃあその内容や体験を話せと言われると言葉に詰まってしまう。

 誰かが、子供に学力をつけるには、今日学校で習って来たことを、「おかあさんに教えて」って言って、子供に教えてもらうこと。と言っていた。
確かに、ひとに何かを説明するときは、自分の血肉になっていないと難い。わかってるつもりで、実はわかってなかったってことの発見もある。

形の無いものを、ほらコレって手のひらの上に出して見せる事は出来ない。しかも、その形の無いものは、ひとりひとり違うのだ。

 わたしは今まで、感情をノートに書き出したり、思い込みに疑問をもつことなどをして来たが、こういった内容で発信するということは初めてだ。
そして、この言語化して外の世界に発信するということが、強力なアファメーションになっている気がする。

「今日はこんな気づきがあった!」とか「わたしはこんな自分の思い込みを見つけた!」など、自分ひとりで納得してる時よりも、こうやって記事として発信したら、より現実に定着する気がする。本当にそうだなと、自分で自分に念押しする感じ。
幽霊のような半透明なものが、実体化してはっきりする感じ。(感覚的すぎてわかりにくい?)なので、日常生活での感情観察や、内的なチャレンジもやりやすくなってる気がする。
まだ、ちょくちょく書くようになってひと月も経っていないが。なんとなくそう感じる。

自分はこっち!というのを強化するような効能があるのかも知れない。

 面白そうだしやってみようとはじめたnoteだが、このひとつひとつの小さな記事が、少しずつ積み上がって行くのを見るのは単純に楽しい。
運営さんが、いちいち応援してくれるし(笑)
日常の色んなことにも、あのくらい自分に頻繁になんでもバッジつけてこうと思う。
あっスキをいただくのもとても嬉しくなります。ありがとうございます。
わたしも、いいなと思う記事にはスキしていこう。

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