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演劇ユニット丁丁公演 『ハコ』裏話 前編




こんにちは!

先日3月30日に、以前お知らせさせていただいた、私が劇作を担当した演劇ユニット丁丁『ハコ』公演を行ってきました。

お知らせ記事はこちら。
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見に来てくださった方、ありがとうございました。

3月31日も公演を予定していましたが、カンパニー内で体調不良者が出たため、中止となりました。
予約くださっていた方、楽しみにしておられた方々には、大変申し訳ありませんでした。

団体公式アカウントから戯曲のオンライン販売が行われています。
よろしければご覧ください。
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いつもはダウンロード形式で作品を無料公開していますが、今作の無料公開予定はありません。
ご了承のほどよろしくお願いします。


さて、今回は私の初めて参加した自主公演企画の裏話をしたいと思います。
とはいえ、私は劇作というポジションからしか今回の公演に関わっていないので、あくまで私視点の裏話です。


昨年の11月上旬頃、今回の企画の発案者でありプロデューサーである関口さんから、3月末の自主公演企画に参加できませんか?とのお誘いをいただきました。
関口さんは大学で同じ専攻を取っている同期で、昨年の文化祭でコント上演をした際大変お世話になった方です。

文化祭で上演したコント台本はこちら。
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私はそれまで、学校とは関係のない場で演劇をやったことが一度もなくて、自主公演にずっと憧れていたので、誘われた時はもの凄く嬉しかったです。
もちろん参加します!と、お返事しました。

その後、11月中に一回目のミーティングが開かれました。
ミーティングには、関口さんと私と、今回演出を担当された工藤さんの、三人のメンバーが集まりました。
工藤さんは同じ大学で演出を学んでいる同期です。
とても優秀で楽しい方で、コーポ指という演劇団体で活動もされています。
既に自分の団体を持って積極的に活動していて、公演の評価も高い、学内では有名人のような方々に挟まれて、大変恐縮な心地がしました。
でも、一緒に組んで公演をやるんだなぁと思うと、とても心強く感じました。
制作面のことや、スタッフ、キャストの人選等については、お二人が主導して進めてくれました。
本当に、大変お世話になりました。

では、いよいよどんなお話を上演するか、という話題になりました。
私が上演したい作品でいいよと言ってもらえたのですが、あんまりすぐには決まりませんでした。
書いてみたけどまだ上演はしてないからこの機会に上演したい、という作品はありましたが、尺や劇場の規模の問題等で今回の企画には合わないものばかりでした。
なので、新作を書くことにしました。
最初からそうしとけばいいのに、という意見はもっともです。
ですが、こちらはこちらで問題がありました。
その当時、ネタ帳にまともなネタがなかったのです。
上演規模や予算を度外視したネタや、ネタとも呼べない落書きみたいな走り書きばかりがメモされていて、完全ノープランの丸腰でミーティングに来てしまったのです。
むしろこういう話がやりたいというオーダーがあれば楽できたのですが、関口さんも工藤さんもとっても良い方なので、私の希望がが通るようにしてくださいました。
私は、何だか申し訳ない気持ちになりながらネタ帳を漁り、そして、謎の言葉を見つけました。

それが、「〇〇しないと出られない部屋」です。
知ってる人は知ってる部屋。
登場人物が何者かによって空虚な部屋に閉じ込められ、「〇〇しないと出られない」というお題を出される不思議な部屋のことです。
ネット上の創作で用いられるお決まりパターンの一設定で、ネットミームの一種とも言えるものです。
あまりにも唐突な部屋の出現に驚きましたが、何とかこの単語をネタ帳にメモした経緯を思い出すことができました。
あれは確か劇場建築の授業を受けていた時、ワーグナーが設計して現在も採用されている劇場やコンサートホールの構造は、上演内容が終わるまで劇場内を移動したり、自由な姿勢を取ったり、外に出たりすることができません。
それってなんだか「演劇が終わるまで出られない部屋」とも言えるな、と思って、このメモを残したのでした。
分かりづらい。
名探偵もお手上げレベルの不親切メモ。
しかし、これは小ぢんまりとした劇場での上演に適したネタなのでは?と思い、却下されること請け合いで提案してみました。
意外にも「〇〇しないと出られない部屋」ネタは通り、このお話を90分くらいの尺で書くことになりました。

それいいね!と言ってもらえたのが嬉しすぎて調子に乗ってしまいましたが、よくよく考えなくてもワンアイデアの見切り発車、連想の産物、もはやおふざけに近いネタだったので、プロットを完成させるまでにものすごい時間と労力を費やしました。
過去類を見ないレベルで物語の路線、設定等が迷走しまくりました。
もはやこの暴走ネタ列車を止めることは不可能だ・・・と弱気になっている時に、関口さんや友人とたくさん相談を重ね、なんとかプロットを完成させることができました。
本当に本当に救われました。
心から感謝しています。

プロットを書き上げた12月の初め、この1ヶ月弱の間に、関口さん、工藤さんの尽力によって参加してくれるスタッフやキャストのメンバーが大方決まり始め、上演する劇場も、池袋のスタジオ空洞に決定しました。
また、団体名が「丁丁」に決まりました。
この団体名は私が付けさせてもらいました。
四字熟語の丁々発止から取って、激しい音が鳴り合うようにエキサイティングな物語と、活発な議論を重ねて出来た良い作品を届けていきたいな、という気持ちを込めました。
あとは、丁の字が二つ並んでいる字面と「ちょうちょう」の読みがかわいいなと思って、この名前にしました。

ここから約1ヶ月の間に怒涛の執筆作業がありました。
毎度毎度言うことですが、今回は激ヤバに大変でした。
神経をすり減らした、という感じを経験しました。
当初の予定が遅れに遅れて、初稿が上がったのは2024年元日。
年末休みを返上して書き上げ、元旦からグループメールに原稿を送り付けることになってしまいした。
各位、申し訳ございませんでした。

ここから2月までの1ヶ月は完全に放心状態で、もはや記憶がありません。
魂が抜けてしまっていたかもしれません。
本格的に初稿の直し作業を始めたのは2月に入ってからで、大小様々な変更、修正作業は、ここから公演直前の3月末まで行われました。
何度も改稿を重ね、いくら書き直しても書き直したりない厄介な作品でしたが、精一杯努力しました。

2月の中旬頃に、関係者全員が集まる顔合わせのミーティングが開かれました。
総勢10数名。
この時期に別の公演の準備中だったり、終わった直後だったりの方のいて、本当に忙しいところ集まってくださいました。
この日、初の読み合わせも行われました。
自分が書いたものを読まれるのは恥ずかしさの極みでいつまで経っても慣れないものですが、自分の仕事がひと段落ついた証でもあります。
この段階で、劇作としての私の仕事はほぼ終了です。

3月に入ってから、本格的な稽古が開始されました。
週に数回、本番直前は連日稽古は行われました。
私は何回か稽古場にお邪魔させてもらって、感想を述べさせてもらうなどしました。
キャストさんもスタッフさんも、3月のほぼ全期間を費やして準備してくださってました。

3月28日に劇場入りして、3月30日、ついに初日が開きました。
私は30日の午後にゲネプロ(リハーサルみたいなもの)を鑑賞しました。
稽古場に顔を出すのは数週間ぶりで、舞台がどんな仕上がりになっているかも全く知らなかったのですが、見ていてとても楽しむことができました。
自分の書いた話を面白がるのも変な感じですが、演出や、演技や、美術や、音響や、照明や、その他のあらゆる効果によって、私が想像して書いた物語よりももっと面白い舞台として作品が完成されていたと思います。
短い期間でここまでのものを作り上げてくださった関係者の方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

そして、夜。
劇場が開かれ、お客様方がやって来ました。
私は劇場入り口に立って誘導、案内をする役割を務めました。
初日は満員で迎え、無事に公演を終えました。
私は劇場内にはいませんでしたが、反応は良かったと聞き、ほっとしました。

その後、当日来られなかったスタッフの方から体調不良との連絡があり、緊急ミーティングを開いて、翌日の公演中止の決定が下されました。


3月31日に観劇予定だったお客様には、楽しみにしてくださっていた気持ちを裏切ってしまったこと、3月30日にご鑑賞いただいたお客様には、観劇後に不安な気持ちにさせてしまったこと、演劇ユニット丁丁のメンバーとして深くお詫び申し上げます。
申し訳ない気持ちでいっぱいですし、公演を行ってより多くの方に作品を見てもらいたかったな、と思います。
また、こうして振り返ってみると、約1ヶ月もの間スタッフとキャストの方々がたくさんの努力を積み上げて出来た素晴らしい舞台が、最後までやり切ることなく終わってしまったことが、とても残念に思われます。。
しかし、この公演に関わる全ての人の健康と安全を守るための措置ですので、どうかご理解いただきたいと思います。
また公演を見てもらえるように、今後も頑張っていきたいと思います!


次回は、『ハコ』の執筆裏話をします!
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