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社長解任!自殺未遂から起業で復活した話

はじめまして。
私、2018年6月まで社長やってました。
創業75年の三代目でした。
人生何が起こるかわからんもんですよ。ほんとに。
順風満帆に巡航している船が想定外の風に煽られて転覆なんてことが人生にはあるのです。

ある日突然ですね、社長解任されて無職になっちゃいました。
いわゆるクーデターってやつですね。しかも首謀者が親父なんですから、、笑えません。
家族を失い、家も失い、レクサスも売った。借金は、まだまだあります。
アホでしょ。

そして鬱になって、彷徨って、なんとか生還しまして、今は起業して再起を狙っています。
そんなストーリーを語りますので、よかったらお付き合いください。

目次
第1話 株主総会
第2話 普通のおっさん
第3話 嫌な予感
第4話 委任状争奪戦
第5話 次男の隆也
第6話 最後の日
第7話 社長がクビになると
第8話 先っ面に蜂
第9話 忘れた頃にやってくる
第10話 私が解任された理由

第1話 株主総会

6月22日。忘れもしません。人生が転覆した日でした。
株主総会で実父に解任動議を言い渡され、あっという間に解任されました。
まさか!?と思い、動揺しましたが、後継者として入社してから25年かけて築き上げた牙城が秒で崩壊しました。こんなものかと虚しくなりましたが、それよりなにより父の勝ち誇った顔にムカつきました。

総会の出席者は社長で総会議長で長男の私、父の会長、娘婿で義兄の吉見、古参役員の咲山、総務部長の佐野、次男隆也、持株会代表の7人と顧問税理士が一人。あと少数株主は委任状出席です。

予定通り次男の隆也が私に賛同し、過半数の票が入る予定でした。ところが、隆也が父に寝返り裏切ったのです。その結果、過半数を会長である父に取られ、私は散った。

罪悪感で隆也は私と眼を合わせません。呆然とする私の脇で、娘婿で義兄の吉見がパンパンと手を叩いて「はい、終わろうや!」と総会を締めくくりました。その時、吉見が隆也の肩に手を置いて、「おつかれさん」と小声でニヤつきながら小躍りしたのを見逃しませんでした。その瞬間、会長、娘婿、隆也の仕組まれた見事な連携プレーと感じました。
この時、私は生まれて初めて「人間がヒトを殺す心理」をはっきりとした感覚で、今も肌で覚えています。

第2話 普通のおっさん

「玄関開けたらサトウのご飯」と言うCMが昔ありました。レンジで2分。ホカホカのご飯がすぐに食べれると表現した傑作でした。
社長もクビになったら、あっと言う間にただのおっさんになるのです。基本的に取締役のメンバーから外されることになるので、社員でもなく役員でもない宙ぶらりんの状態です。事実上無職で、失業保険も再就職手当てもありません。

株主総会の会場のドアを開けた時は代表取締役社長。そして、無職のおっさんがドアを閉め退室する。日常ではあり得ないことが、法律という世界では現実のものとなるのです。

なんとまぁシュールな世界です。そんな失意のどん底で社内の通路で課長の田沢とすれ違いました。こいつはいちいち癪にさわる奴で、好きになれません。昔からプライドが高いのも気に入らない。

「おつかれー直也くん」 え。。? いま一瞬耳を疑いました。

確かにいま田沢は私に向かって直也くんと言いました。嘘でしょ!? ほんの数時間前までは「社長」だったはずです。

と言うことは、株主総会の結果をすでに聞いたのか?いや、こうなる事を前から分かっていたのでしょうか?

私は思い切って田沢を呼び止めて、経緯の事実を確認してみました。すると彼はポケットに手を突っ込み、踵を返し、こう言ったのです。

「ふっ、いま、取締役会が終わったところですよ。会長を中心に吉見社長と私と咲山さんが新役員に決まりましたよ。直也くんと佐野の名前はなかったですねぇ、ふっふ(笑)」

第3話 嫌な予感

実は株主総会が開催されるひと月前くらいから嫌な予感がしていました。
ほとんど会社に来なくなった義兄の吉見がひょっこり会社に来たかと思うと何か探してたり、深夜に吉見のIDでログインした履歴が残っていたりと不審な行動が気になっていたのです。

そんな時、総務部長の佐野が話があるので時間をとってほしいと神妙な顔つきで言ってきました。

聞くと、義兄の吉見の行動に気をつけてほしいと言うのです。株主リストだとか、仕入れ台帳を出してくれと頼まれたと言うのです。そもそも吉見は会社の決算書類には興味がなく、減価償却の意味も知らない。そんな吉見が資料をゴソゴソし出すのは確かにおかしい。

それから、ちょうど株主総会から2週間ほど前です。吉見から株主総会の期日変更の申し入れが、私に直接ありました。その理由を聞くと、吉見が趣味でやっている社交ダンスの大会と株主総会の期日が重なるので総会期日を変更してほしいというのです。やはりおかしい。今期の総会の議案は決算報告だけです。ついこの前、彼に決算書の内容を説明して同意も得ましたので、委任状に押印すれば問題ありません。期日の変更はできないとはっきり断ると、なんと!社交ダンスをキャンセルして総会に出席するというのです!やはりこれは何かある。嵐の前の静けさを感じました。

第4話 委任状争奪戦

翌日、私は賛同してくれる少数株主さんの自宅にお伺いし、票を集めることにしました。また、会社には約15%の持株会があります。ここについては持株会会長に全会員が委任しますので会長を抑えれば15%を掌握できるので問題はなし。あとは母と次男の委任状をとれば勝利できるのです。

母は難病を患っており長期入院をしておりました。意識ははっきりしているのですが、身体中の筋肉が収縮するため自由なコミュニケーションが取れません。私は母の病床で、「今ヤバイことになっている。親父にクビにされそう。委任状にサインをしてほしい」と母の耳元で伝えました。母はありったけの力を込めてペンを握りますが、震える手で文字になりません。そんな母の姿を目の当たりにすると情けなくて慙愧に耐えることができません。私は母の手から委任状とペンを取り、「ありがとうね」と一言添えて病室を後にしました。母所有の20%株は無議決票としました。意思疎通ができないのだから当然です。残すは次男の隆也です。こいつを手中に収めれば、父と義兄の連合軍に勝てるのです。

第5話 次男の隆也

会社は母方の祖父が終戦直後に創業しました。祖父は4人の子供に恵まれましたが、4人姉妹の直系長女の母の家族から養子に出すことを内々で決めていたそうです。私は4人兄弟の長男で、上に姉、下に10歳年の離れた双子の弟がいます。次男が母方に養子に入ることになり、その後、20%の株を創業者から相続しました。このことが後々ややこしいことに発展していくのです。

隆也は地元の高校を卒業後、上京してロックバンドで成功することを望んでいました。たまたま実家にあった彼のデビューCDを手に取り一度は聞いてみましたが、パッとしないというか、全く印象に残っていません。「向いていないんだな」と、この時感じました。

次男は私の入社数年後に突然入ってきました。本人からなんの相談もなく、親から入社する意向も示されませんでした。次男が養子に入った時もそうです何の相談らしきものや家族会議なんてものもありませんでした。今、思うと養子や入社で一族に波紋が広がるのを避けたかったからではないでしょうか。これは親の意向が強かったのだと思います。

終業チャイムが鳴る1時間前の夕暮れの社長室。私と隆也はお互い向き合っていました。胸に社名の入ったブルゾンを着た隆也は無表情でまっすぐ、私の説明を聞いてます。隆也は社会人経験の多くをロックに費やしたため、経済の動向に始まり、株や経営といった知識は彼と同じ世代の若者よりも低いと感じていました。できるだけわかりやすく「隆也の所有する株が必要なので、委任状にサインが欲しい」と率直に告げました。
彼は、「わかった」と一言のこし、椅子を引いて立ち上がろうとしました。私は彼の同意に気を良くして、出張土産の海老煎餅を手渡すと「みそぎ物みたいで嫌だから」と、受け取りを拒否しました。少し彼の日本語が間違っていますが、賄賂で承諾したと思われるのが嫌だから、という意味と理解しました。この時、分かり合えるのは兄弟しかいないと次男の隆也に感謝しました。

そして次男の隆也は裏切りました。父と義兄の連合軍に対して、長男を助け支援するはずの次男が後方から攻めてきたのです。まるで関ヶ原の合戦の小早川秀秋を連想させます。

第6話 最後の日

2018年6月22日。私の在職期日が強制終了されました。パソコンで言うならボタン長押し終了ではなく、無理やりコンセントから電源を引きちぎる強制終了です。そして、月末までの一週間は引き継ぎなどの猶予期間を与えられ、私は旧役員や工場長、総務部長を社長室に集め「これから大変なことになる」と伝え、今後を憂いました。思えば、この週は大変奇妙な期間でした。わずか40人余りの中小企業に新体制と旧体制が別々の部屋で計画と引き継ぎをしているのです。上層部で起きた不協和音は次第に社員に伝染し、この頃から会社崩壊のカウントダウンは始まっていくのです。
そして、期限の6月30日、就業チャイムのメロディが鳴りました。会社で最後に聞く「アニーローリー」です。

この瞬間はなんとも言えない気持ちでした。私物を段ボール箱に収め、社長室の椅子から立ち上がって部屋を出るとき感じた風景が目の前に映し出されました。扉を開けると暗い長い階段が延びています。死刑執行を言い渡された囚人が牢を出る時、心境はおそらくこんな感じなのでしょう。

社長室の扉を開けると、経理部のかなこさんはまだ仕事をしていました。ここは敗軍の将は兵を語らず。沈黙の美学を貫くことにしてスルーしようとしました。しかし、やばい!目があってしまった。「あ、社長お疲れ様ですっ」うわっ、あー。で、とっさに出たのが仰々しい挨拶でした。

「かなこさん、お世話になりました。今までほんとうにありがとう」こんな情けないアホ社長ですが、感謝の気持ちで素直に出た飾りのない一声でした。彼女は全てを察していました。彼女の目が充血して涙が溢れるのを見て、思いがけず自分も泣いてしまいました。いつか、かなこさんの寿退社の告白にビクビクしていた自分が、かなこさんにお別れ告白してしまう結末。人生というシナリオはイタズラとしか思えないのでした。

第7話 社長がクビになること

無職になった数日間。私に記憶はありません。微かに残る残像から想像すると、絶食状態で朝から浴びるように酒を飲んでいました。怒りと憎しみからくる興奮は沸点の限界を超えていました。誰に向かう憎悪なのかよくわかりません。たぶんこれを絶望というのでしょう。絶望は落ち込むイメージですが、実は違います。何かに駆り立てられるような不安とそれに抗うファイト。お分かりでしょうか。気をぬくと不安に潰されそうで、四六時中緊張している状態が続きます。そして疲弊します。

そのような興奮状態にあると、食欲はさることながら、人間の三大欲求がなくなるというのも良くわかりました。絶食不眠から解放されたい思いで、禁忌のマイスリーのバーボン割をガブリといく。また、ガブリ、気絶、そしてガブリまた気絶のリセットマラソンで私は泥になっていました。

ある朝、スマホの着信音で目が覚めました。送られてきたgmailの件名に目を疑いました。おめでとうございます!「ピナレロ ロードバイクフレームMサイズ美品」を落札しました。
落札時刻 2018年7月4日02時39分 落札価格 893,000円

やっちまった!!夢か現実か彷徨っている中の奇行です。酒と睡眠薬の同時服用が禁忌だと聞いてはいましたが、現実を目の当たりにするまで、この意味がよくわかっていませんでした。

無職という響きはいつの頃からでしょうか。もう20年?いやもっと前か。会社を継ぐために東京から戻った入社までの1週間以来でした。今思えば、25年前父の会社に入って紆余曲折ありながらも、後継者として歩んできた人生が思わぬ気の緩みで狂ってしまいました。

私が失意のどん底で感じた最も辛いことはアイデンティティの喪失です。後継者として生まれ、ほかの兄弟とは違う教育も受けてきました。同時に厳しく制限もされてきました。私は前方はるか彼方にのぞむ頂上目指して、一歩一歩上がってきました。ある時は障害物に行く手を阻まれ、正しく表現すれば「3歩進んで2歩下がる」と、昭和の歌謡曲のパクリですが、振り返って25年を俯瞰すると、本当にそんなもんです。

調子に乗って1段飛ばして登ってみたらうまくいった。次はスキップしてみたら、すってんころりん奈落の底に滑降した。転ぶ前に、「おいおい、そんなことしちゃいかんよ。転ぶよ」と戒めを垂れるものはいませんでした。いや、言っても聞かなかったでしょう。調子に乗った私は全知全能の神のごとく誰の声も聞こえませんでした。私は今まで守ってきた後継者としてのアイデンティティが突然奪われ喪失しました。自分という存在価値をなくしてしまったのです。

第8話 泣きっ面に蜂

音声なしのテレビの画面には洞窟で置き去りになったタイの少年たちを救助する映像が流れています。タイの少年は救助されて、自分はこのまま溶けて亡くなるのかと、ぼんやりと幸せそうな画面を眺めていました。そこへ、スマホが鳴り、着信画面には大成証券鈴木となっています。「社長!おはよーございます!!先日の投資案件なんですけどね」「あ、鈴木さん悪いけど俺、会社辞めたから、ま、そう言うことだから。。あざした」電話を切って数分後、今度は京奈銀行支店長です。「社長、今日そちらにお伺いして、、」その次は取引先の東行産業の常務、「いやーごっつい雨でしたなー大丈夫でしたか」どうやら会社側から役員交代の挨拶をまだしていないらしい。金融機関と主要取引先だけはこちらから個人的に挨拶に行くことにしました。

ある日、郵便ポストに市役所の住民税課から一通の封筒が届きました。見たことない文言が並んだ通知が一枚。そこには住民税の請求額が記載されています。その額ひゃく数十まん!アホな私は、住民税が昨年分と今年の在任期間分が退職後すぐ徴収されることなど脳裏に1ミリもなかったのです。実は私が社長に在任期間中ほとんど給与明細の中身を見ることはありませんでした。年に一回取締役会で役員報酬の総額を決めて自分の報酬は自分で決めていましたから、見る必要もないと考えていたのです。だから納税には無頓着で。。とは言い訳ですが、とりもなおさず、私は市役所に出向き、事の経緯を説明しました。すると銀縁眼鏡で短髪の担当は「それは大変でしたねー。もしご不満なら、あなたが国会議員になってこの国の制度を変えてみてはいかがでしょう」と表情変えずに真顔で言い放ったのです。このやろう。

まだまだ悲劇は続きます。
総務部の山田さんから電話がありました。諸々の手続きと伝えたい事があるので会社に来れますかとの連絡だった。代表のクビを挿げ替えておいて、会社に来いとは失礼なやつだと思いながら、出たとこ勝負で、なんならぶん殴ってやろうと考えながら会社に出向きました。
すると義兄の吉見がバーンと勢いよくドアを開けて入ってきました。手には用紙を持っています。「書けや」の一言で用紙が提示されました。そこには役員辞任届とあります。つまり会社が一方的に辞めさせたのではなく、本人が辞めさせてくださいとの申し入れがあって受け入れたカタチにしたかったのです。クーデター起こした張本人がふざけやがって、目の前の用紙をぐちゃぐちゃにして投げつけてやろうかと思ったその時。吉見がニヤニヤしながら衝撃の事実を突きつけて来たのです!

私が在任中に採用した新人の吉岡がいました。彼が会社の金を横領して夜逃げしたと言うのです!吉岡は多数資格を所有し、真面目な27歳。ただ彼には借金がありました。試用期間中は2割減の基本給で借金返済に苦しみながら、夜は30円の具なしの焼きそばを食べ、昼休みは社員の群れから離れ、こっそり水道で腹を満たす様子をまわりの社員からバカにされていました。私はそんな彼を不憫に思い、会社から彼に融資し借り換えを促したのです。その連帯保証に私がなってやりました。その吉岡が逃げたので私が会社に支払う債務を背負うことになったのです。

基本的に代表取締役解任の場合、役員退職慰労金は対象外となります。住民税に吉岡の借金、そしてこれからの生活費。私は怒りで震えながら辞任届にサインと押印をしました。その横で吉見は右手に持った缶コーヒーをマラカスに見立てて、ダンスの練習をしていました。

悲劇はこれで終わりません。
無職になり一月目が過ぎた日曜日の朝でした。ピンポーンの呼び鈴で目が覚めました。こんな時間に誰だろうと。知り合いなら携帯に電話するでしょう。近所の人ならもう少し時間をおくはずです。玄関を開ける前にドアスコープを内側から覗いてみると、中年のスキンヘッドの男と若い男の二人が立っています。見たことのない人たちです。

「警察です。ちょっと署まで同行お願いできますか」
私は目の前に起こっている現実を理解する処理が脳内で混乱し、モンクの叫びのように視覚が歪んでワナワナと腰が落ちるのがわかりました。

第9話 忘れた頃にやってくる

人生には出逢いが人を変えると言う格言がありますが、好転する出会いと暗転する出会いがあると言っておきます。私の場合は後者でした。

容子と出会ったのは遡ること2年前の桜が散る頃。放棄山林の活動グループで行われたバーベキューでした。小柄でグラマーな容姿を持つ容子は人懐っこく少しおバカなところも活動グループでは人気でした。そんな容子からFacebook、メッセンジャー経由で誘いがあったのは雨の多い時期でした。「サンボクラブ」という店で働いているので飲みに来て欲しいとのことでした。「なんだ同伴の営業かよ」と残念ではありましたが、数回飲みに行って「山崎」をボトルキープしました。そして、とある会合のあと、友人数人で飲みに行ったのが不幸の始まりでした。友人は先に帰ると言い残して、私は彼らの背中を見送りました。2本目のボトルがなくなりかけた頃、お店のママから「もう一本入れましょうか」までは覚えていましたが、そのままカウンターで突っ伏したまま寝てしまったのです。

耳元で笑う女の声が聞こえます。なんだろうと声の方に眼を向けると容子がスマホで撮影しているのでした。容子は動画配信サイトにアカウントを持っているのを知っていましたので、自分の寝顔が晒されてはたまらないと、反射的に容子の手を掴みスマホを奪おうとしたのです。抵抗する容子と私で揉み合いになりました。その仲裁にママが入って一旦は治まりました。それ以来、容子と連絡することもサンボクラブに行くこともなくなりました。

部屋の真ん中にテーブルが無造作に置かれた取調室はテレビで観るものより、やや開放的で明るい感じでした。部屋には取調べ担当と書記担当と私の3人です。連行しに来た中年のスキンヘッドはここにはいません。若い方が書記をしています。お笑い芸人の中川家の弟そっくりな担当からの尋問はこんな感じです。「社長、あんたなぁ、容子の手ェ握って捻ったやろ。あん?被害届でとんねん」私は捻ったのではなく撮影を中止させようとスマホを取り上げようとしただけだと抵抗しました。「なるほどなぁ、ほんなら証拠の動画提出されとんねん。見るか?」有形力の行使という言葉があるそうです。故意に人の身体に力が加わった時点で暴行罪が成立すると説明されました。つまり手を握ってスマホを取り上げようとした行為はれっきとした暴行罪に当たると主張してきます。もうこうなったら降参するしかないです。私は男女の痴話喧嘩と思っていましたが、時代が違います。今は民事でも警察は介入してきます。「社長、ここだけの話やねんけどな。あんた運が悪すぎるわ。悪いことは言わん示談した方がええ。おれも男やからわかるけど。しゃーない。示談しかないな」

容子は法外な和解金を要求してきました。要求に応じれば被害届は取り下げると弁護士を通じて通知してきました。一難去ってまた一難。まさかの解任で無職になるわ、想定外の住民税、新人の借金の肩代わり、そして法外な和解金。もうこれで終わってくれー!と祈る気持ちで和解に応じました。

第10話 私が解任された理由

ここまで正直に暴露すると、典型的なバカ後継者と世間には映るでしょう。否定はしませんが、そんな不摂生な日常が直接的な解任の理由につながったのではありません。そもそも、私は毎晩飲みに行くほど社交的ではありません。自分の部屋でジャズを奏でる音色と真空管アンプを眺めながらお酒を飲む方が楽しいと思うタイプです。

父が私を解任した最大の理由は離婚だと思っています。離婚と解任に因果関係はないはずです。社会通念上から判断しても夫婦のことは会社は関係ないのです。しかし所有と経営と家族が一体のファミリービジネスでは離婚はファミリーからの脱落でもあります。とりわけ父にとって、直系男子の離婚は墓守の観点からも許せなかったのだと思います。

私は物心ついた頃から父と私の間に目に見えない大きな壁を意識していました。

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