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息子とのこんな日があったことを忘れたくない

小学生の作文以来、朝家を出てから帰るまでの出来事を全部紹介するような文章なんて書かずにきた気がするけれど、この日ばかりは時系列で全てを取りこぼすことなく書き連ねたいと感じるような、そんな一日だった。

2歳3ヶ月の息子と一緒におでかけをした。夫が休日出勤で家にいなかったので、友達のAちゃんとその息子Bくん(3歳半くらい)を誘って、室内の遊び場に繰り出したのだ。

何度も行ったことのある遊び場。家族3人だけで行ったこともあったけど、基本的に他に友達家族を誘って行くことが多い。
午前中1時間半くらい遊んで、施設内のカフェでお昼ご飯を食べて、午後もうひと遊びする。14時半くらいには、子どもが疲れて眠くなるので解散……というのがよくある流れだ。

夫が一緒にいるときでさえ、大変なことはいっぱいある。たとえば、お昼を食べにタイミングよくカフェに誘導すること(できない)。カフェが少し混んでいるとき、呼ばれるまで機嫌よくいてもらうこと(できない)。注文したメニューをちゃんと食べてもらうこと(できない)。そろそろお家帰るよ~と言って帰ること(できない)。

普段からこんな感じなのに、いくら友達と一緒とはいえ、わたし一人で息子を連れて遊びに行って、無事に帰ってこれるのだろうか?と不安でしかなかった。

だけどそんな不安は、当日の息子の一挙一動により消え去った。代わりに「え、グズらずに待てるの?」「え、そこ協力してくれるの?」と、驚きと感動に塗り替えられていったのだ。
前はできなかった遊具で遊べるようになった、というようなわかりやすい変化ではない。だけど、普段だったらグズるだろう、そろそろ抱っこと言うだろう、飽きて別の場所に行きたいと怒るだろう、そうしたあらゆるシーンで息子は見事わたしの予想を覆していったのだ。不安で真っ黒だったオセロが、途中からどんどん白になっていくような高揚感だった。
帰り道ママチャリを漕ぎながら、疲れ果てて口をぽかんと開けた寝顔を後ろに乗せて、わたしは一日のあらゆるシーンを一つずつ回想した。息子の成長した側面や、わたしの知らなかった彼の姿を見れたことを思い出し、嬉しくて、感動して、ちょっと泣いた。

この日見た息子は、家族3人で過ごしているときと、保育園で過ごしているときの、ちょうど中間の姿だったんだと思う。
ママと一緒にはいるけれど、お家ではないし、すぐに抱っこしてくれるパパはいない。保育園ほどの集団生活ではないけれど、ちょっと上のお兄ちゃんのお友達がいる。
そんな状況で見せる息子の言動は、普段わたしが見ているそれとは違い、適度にちゃんと「よそゆき」だった。

ランチの席で、一人食べ終えて飽きてしまったとき、いつもだったら泣いて怒って「あっちあっち」と、別の場所に行きたがる。でも、このときは怒ったりせずに、椅子の周りで遊んでいた。途中からB君も参加して、一緒にふざけあっていた。
決してお行儀がいいわけではなかったけれど、感情を爆発させずに、自分なりに工夫して暇つぶししたことを、偉かったなと心底思う。

トランポリンの遊具で遊びたいと言うものの、そこには長蛇の列ができていたとき。絶対に待っている間に飽きて、離脱するだろうなと思っていた。でも、床に貼ってある足跡のシールの上に足を重ねるのを楽しんだり、しゃがみこんでトランポリンの裏側を覗き、バネがたくさん使われているのを発見して観察したりして、結局最後まで機嫌よく待った。
トランポリンを使えるのは一組1分30秒と決まっていたけれど、そのタイマーが鳴ったら、ちゃんとすんなり降りたのも偉かった。

途中、室内があまりにも暑いので、アイスを食べに外に出ようということになったものの、Bくんが頑として部屋から出たがらなかったとき。Aちゃんに、先に外行ってていいよ~と言われたので、わたしは息子と外に出て、外から室内への大きなガラス窓をとんとん叩いて、こちらの存在をBくんに気づいてもらい、外に気を逸らせようと試みた。息子に「一緒にBくんのこと呼んでみよっか、せーの!」と言うと、息子も拙い発音ながら「Bくーん!」と呼んだ。

もともと発語が遅い息子で、保育園で他のお友達が息子の名前を呼んでくれるなか、息子がお友達の名前を発することは一切ない。だから、このときも特に期待はしていなかった。
だけど、息子は懸命にBくんの名前を呼んだ(「アイスー!アイスー!」と、アイスを叫ぶ回数のほうが多かったが笑)。 息子なりに「Bくん、一緒にアイス食べよう」と言いたかったのだろう。

ただ、Bくんの心を動かすにはわたしたちは無力で、一旦部屋に引き返すことに。息子に「Bくんお外行きたくないんだね。そうだ、息子くんの救急車貸してあげたら元気になるかな? 貸してあげる?」と声をかけた。息子の超お気に入りトミカの救急車を持参していたので、それを息子に手渡した。
すると、息子はそれを持ってBくんのところに戻り、自分の宝物を貸してあげた。結局、Bくんの心を動かしたのは救急車ではなく、Aちゃんの声かけだったのだけど(さすが母親…!)、わたしはBくんを励ますために協力してくれた息子の行動に感激した。

ちなみにこのとき、外に出たり部屋に戻ったりするたびに、靴を脱ぎ履きしなければならなかったが、息子は嫌がらずにやってくれた。
普段、保育園から帰るときには、なかなか靴を履いてくれない息子。わたしは毎日苦労しているので、この日も靴の脱ぎ履きのたびに、わたしの心には黒いオセロが出現したのだけど、息子はそれをあざやかに翻していった。
本当は自分で靴を履けるのに(保育園では履いてるらしい)、わたしの前では甘えん坊を発動して絶対に自分では履かない。でも、わたしがカフェでトレイを持っていて両手が塞がっていたとき、「ママ今手伝えないから自分でお靴履いてくれる?」と言ったら、普通に履いていた(笑) できるんかい!と心の中でツッコミながらも、ちゃんと状況を判断して自分のことを自分でした息子に感動して胸がいっぱいになった。

ああ、忘れたくないな……と思う。この日の息子の行動一つ一つと、そのときわたしが感じた驚きと喜びを。いや、本当はこの日の朝から晩までの全てを覚えておきたい。できるなら全録画しておきたかったくらいだ。

遅刻しないようにとハラハラしながら仕度をした朝の時間も、自転車で行くのは初めてでちょっとドキドキしていたことも、川沿いをひたすら走る道のりが気持ちよかったことも、電車、消防車、救急車、モノレールと、大好きなのりものを道中にたくさん見れて盛り上がったことも。
ずっと「よそゆき」モードでいい子に過ごしていたけれど、最後は疲れて眠くて機嫌が悪くなり、全力抵抗する息子を自転車に乗せるのにAちゃんに手伝ってもらったことも、ギャン泣き息子を乗せて帰宅中、信号待ちで停まっていたパトカーを見ていたら、お巡りさんがパトランプを光らせてくれたことも。
帰り道の薄曇りの夕焼けも、口をぽかんと開けた無防備な寝顔も、いつの間にかサイズがぴったりになったヘルメットも、少しでも長くお昼寝させるために遠回りして帰宅したことも。

全部が愛おしくて、大事で、忘れたくない。
本当は、そんな瞬間を毎日生み出せたら素敵だけれど、わたしの時間と心の余裕的に難しい。保育園から帰ってきてリラックスしてる息子に、この日のような行動や新鮮さを求めるのも難しい。
だから、ときどきでいい。ときどきでいいから、こうして息子と一対一でしっかり向き合う日を用意して、普段見られない・気づかない一面を発見したい。そして、その一つ一つに驚いて感動したい。全録画はできなくても、そんな愛おしい瞬間に心のシャッターを押して、かけがえのないアルバムが少しずつ増えていったら幸せだ。



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