ゆけばゆくほど

薄暮 -流-


大人の価値基準は、いかなるときもゆるがない。
そんなふうに思っていた時期があった。
しかし、大人になった僕は、笑ってしまうほどそうでもない。

知識や経験が増えていく過程で、自分の中の価値基準が更新されてきた過去があるからだろう。
更新されてきたということは、絶対はないということでもある。
この絶対はないという教訓が「分からない」と手を繋いでいる。
それが、ゆらぎの正体。

人生は寄る辺のない航海だ。
行き先を照らしてくれる光がないのは、とても心細い。
贅沢は言わない。
岬の灯台ほど確かなものでなくていいから、せめて手元を照らす灯があれば。
記憶の中にある灯を、今、探してみようと思う。


フィリピンの高山都市バギオ。
そこに、キドラットタヒミックというアジアを代表する映画監督が住んでいる。
白髪を後頭部で束ねて、立派な白い髭をたくわえ、一挙手一投足に心の平穏が宿っている初老の男。

出会いは、僕がバギオに移住してすぐ迷い込んだ不思議な建物だった。
そこで曼荼羅アートの展示会が行われていた。
こんなところに密教の教えが根付いているのかと驚いて、ひまそうな爺さんに概要を尋ねた。
その爺さんが、キドラットタヒミックその人だった。


彼が創作の話になると、決まっていうことがある。

「価値基準は土地にある。我々だけにあるものではないんだよ。木が決める。森が決める。鳥が、野良猫が決める」

「心や思想の拠り所を自然に置くんですね。日本にも似ている信仰があります」

僕がそう返すと、キドラットは優しく笑いながら首を振った。

「信仰や拠り所というようなものではなく、私たちは最初から自然のひと欠片だよ。私たちはそもそも別れてなどいないんだ。」

これがキドラットの思想であることに間違いはない。しかし、このとき僕は自然が直接語りかけてきたような印象を受けた。
自然と一体となり、万物に神経を繋げようと日々を生きるキドラットを媒体として。

今、世界の話題の中心である感染症について、キドラットは何を思うだろう。遠く離れた東京のコンクリートの建物の中で思いを馳せる。


話は変わり、去年の暮れに広島の尾道にいく機会があった。
千光寺という山の中腹に建つ寺に続く坂の途中に、Logという複合施設がある。
昭和に建造されたアパートをインドが誇るスタジオ・ムンバイの長、ビジョイジョイン氏がリノベーションした施設だ。


滞在一日目、Logの雰囲気に僕は捉えどころのなさを感じていた。
建築やモノづくりには、作り手の思想やロジックが全面に現れることが多い。
しかし、Logにはそういう作り手の自意識の匂いがあまり感じられない。
言い換えると、建物を通してビジョイ氏のこうあるべきだという主張がない。


その違和感は、彼のインタビュー記事を読むことで取り払われた。
「地域の素材を使い、手仕事を尊重し、自然との調和を第一に考える」
「建てるのではなく、その土地に寄り添い愛でることで自然に立ち上がるものがある」
彼は設計において、土地を、光を、風を読んでいるにすぎず、そこから浮かび上がる人の所業であり、具現化のいち手段が建築と呼ばれるものになるだけだと、語っていた。

Logはその価値基準で全てが貫かれている。だからこそ、建物から彼の自己顕示欲を感じないのだろう。
空間が外にある自然に無理なく溢れ出し、自然が内側の空間にしずかに流れこむ。
自然が語りかけてくる「あるべき姿」を出現させるという哲学だけが、美学として存在していた。

Logの滞在中、私の脳裏には何度も何年も会っていないキドラットの顔が浮かんだ。
キドラットとビジョイ。アプローチは違えど、彼らは同じ眼差しを世界に向けているような気がしてならない。


余談になるが、よく日常で聴いているシンガーソングライターのLucaさんとLogで偶然居合わせた。
彼女が夜の独演会で朗読してくれた、山尾三省の『夢起こし』という詩が、染み込むように僕に入ってきた。
偶然か必然か、詩の内容がLogで感じていたキドラットやビジョイ氏の価値基準に共振したからだ。

わたくしは ここで夢をおこす
どんな夢かというと
大地が人知れず夢みている夢がある
その夢を起こす
大地には 何億兆とも知れぬいきものの意識が
そこに帰って行った深い夢がある

人生は寄る辺のない航海だ。
真っ暗な航海を続ける僕の手元にひとつ、小さな明かりが灯った。

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夜半 -玉-


水の人、風の人、という考え方があるらしい。精霊のような響きが心地よいが、要はアイデアを入浴中に思いつく人と、歩行中に思いつく人という意味である。

自分はどちらかというと、風の人である。シャワーを浴びていても、次は身体を洗おうとか石鹸を買い足そうとか余計なことを考えてしまうが、散歩は目的がないぶん思考に集中しやすい。

ところが、風の人には弱点があって、それは気温である。歩いていても「寒い」としか感じられず、帰ってきて原稿に向かったところで「寒かった」と呟いて終わる。僕は本日中の執筆不可能を悟り(なぜなら寒いから)、風呂の扉を開けて、時折震えたりしながらせっせと狭い浴槽を磨いた。

風呂から炊き上がったとの通知を受け、シャカリキ乾布摩擦のごとく服を脱ぎ捨てて湯船を覗けば、そこには白銀に輝く壁面を透かすように湯が揺蕩うているではないか。

いつものように熟年バリスタの手捌きでシャワーを捻り、水が湯に変わるまで声出し腿上げをして待機するはずだったが、桶から香る熱湯の魅惑に当てられて、僕は思わず風呂桶を手にとってそれを思い切り掬い上げた。

ジョバーン!僕は頭上から湯を浴びた。嬉しくって、何度も何度も湯を浴びた。

心なしか身体が温まるまでシャワー程の時間を要さない。そんなことにいちいち感動して、椅子に座りながら、もう一度改めて頭上から湯を浴びるとき、何かを思い出した。それは、浴槽の湯を桶で掬うという行為を初めて教授してくれた、祖母のことであった。

それから僕は、祖母に当時教わったように、風呂桶に貯めた湯に頭部を突っ込んでシャンプーを流したり、立った状態で肩から湯を掛けることによって効率的にボディソープを洗い落としたりした。

そしてそれは同時に、最近の自己認識や気分のモードを洗い流し、文字通り裸になる、ということでもあったように思う。脳の記憶をリセットして、身体の記憶を呼び起こす。

僕はそれを、「自然体」として認識している。

「自然体」だとか「ありのまま」だとかいう言葉が文化領域、教育分野まで再使用され始めた昨今、その素晴らしさについて否定する人は多くないだろう。無論、僕は肯定しており、それをテーマとした曲を作るほどである。

しかし、果たしてそれはどうやって起こるのだろうか。人の振る舞いすべてを取り扱うのは難しいから、選択や決断、という如何にも人間性を問われそうなタイミングにおける「ありのまま」を考えてみる。

僕は、突発性マクドナルド症候群である。体調や立地条件などを理由に、普段それほどマックを食べる機会はないくせ、二月に一度どうしようもなく食べたくなる。これは、つまるところ刷り込みである。

もちろん甘味料や化学調味料的なものによる依存、という風に科学を以ってして説明することも可能だが、例えマックが有機栽培のレタスと大豆ミートをグルテンフリーのバンズで挟んで、セットが茹でじゃがと昆布茶になっても、僕は二月に一度それを頼むだろう。そしてそんな日は来ないだろう。

僕はマックの味だけでなく、両親に手を引かれて入った記憶や、金のない時期にチキンクリスプ3つと無料の水を頼んで「ミズ ¥0」と記載されたレシートを受け取る瞬間の店員の顔を求めて、代金を支払うのである。

それは、脳内の記憶というより、二十幾年の歴史を持つこの身体に、鍼に打たれたような目に見えない点である。その点を無意識下で結んでいった線の先に、僕の選択と決断がある。決断と聞けばいかにも点の所業に思えるが、実のところ線だ。

昨年、”Climate Live Japan”という気候変動問題について音楽を通して世界に訴えるイベントに出演した。この出演に至ったのも、僕を含めたメンバーがそれぞれ気候問題に関して少なからず興味を持っていたからである。

しかし、ひとりの人間が気候問題に興味を持ったとて、それを実行性のある行動に移すまでには時間がかかる。端的に言えば面倒くさい。そして、この態度自体が気候問題に対して真剣に向き合う人々の邪魔になることを按じて、僕は「興味を持った」という瞬間瞬間を胸の奥にしまい込んでいた。

そこに、「私達から気候変動の現状を皆さんに説明させてください」と言ってくれたのが、先のイベントを主催する団体の方々である。イギリスの高校生とブライアン・メイの出会いから始まった運動であるため若者が多く、僕がお話しした人はみな、彼らの世代ではなく彼らの子ども世代の世界について真剣に語った。

彼らにはもう線ができているのだ、と思った。皮肉ではなしに、それは若者の特権と言えるかもしれない。僕がチマチマと鍼を打つ間に、彼らはもう駆け出していたのである。

このお誘いに対して、初めて僕は「自然と」引き受けようと思った。これは、若者の熱に打たれたとか、環境問題という如何にも現代らしいテーマに理性が惹かれた、ということではなく。無数にあった疑問点が、声を掛けてもらったおかげでようやく線になった、ということである。

運命、自然、ありのまま、それに基づく選択や決断は多く聞かれるが、これらは神が僕たちに与えた感覚ではなく、自身で切り拓いてゆくものである。そして、それは何も詩的な意味に限らず、実際に切り拓けるのである。

誰かの点と繋がったときに、線になるようにあらかじめ点を打っておく。それはまさに学習であり、経験である。僕は、いつか「ありのまま」の自分が決断した何かが、進んでいきそうな方向を予想しながら、今のうちに点を打っておこう。「自然体」というものを、長い期間をかけて形成してゆこう。

さすれば、いつか風呂桶から溢れ落ちる湯を浴びるように、それを思い出すはずだから。

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東雲 -成-

昨年末。
公開とほぼ時を同じくして劇場まで足を運び、とある映画を観に行った。

青年期には映画製作を大学で専攻していた姉の影響もあり、小遣いをほとんど映画代に溶かしてしまうくらいに、最寄りの映画館に通った。

とは言えその頃に観た映画のことはほとんど記憶に残ってすらいないから、全く誇れたことでもないのだけれど。

「なれのはて」というタイトルを冠したそのドキュメンタリー映画の予告編を見た時、"ああこれは僕のための映画だ "、 と電気が走り、即座に中央、真ん中の一番良い席を予約した。

舞台はフィリピン。主人公は4人の邦人男性。
異国へ移り住むも、困窮を極めて衰弱してゆく中年男たちの7年間に密着した作品である。

この情報だけを見てわざわざ劇場に足を運ぶのは、何かしらフィリピンに所縁のある人間に限られるに違いない。

空席だらけの場内を想像していたが、いざ着いてみると9割以上の席が既に埋まっていた。
それにしても 異常なほど初老男性が多い。皆んな揃って綿がパンパンに詰まったグレーや茶色のジャケットを着ている。

「なるほど、都内のピン中が集まっているのか」

と謎が解けたのは暗転した後で、その面白おかしさと、しばらく振りの映画館ということもあり、冗長な映画広告にすら高揚を覚えた。

映画が始まると、状況説明などは特にないまま登場人物の1人がスクリーンに映し出された。
僕にとっては大変懐かしい風景と共に、街中を走る中古の日本車が吐き出す黒煙が迫ってくるような錯覚があった。欲望と悲哀がススまみれになった、あの空気が映っている。

主人公4人に繋がりはなく、4つの異なるストーリーを代わる代わるひたすらに見せられてゆく。

但し、異なる彼らの人生にはいくつか共通点があった。
最も尾を引いて僕の心にシミを残したのは、いずれもかつては日本に家庭があったという事だ。
日本にいた頃の職業は警察官、証券会社勤め、長距離バスの運転手。ヤクザであったという男を除けば、普遍的な範疇に収まる日常がそこにあったというのは容易に想像がつく。

しかし、皆、フィリピンへたどり着いた。
ある者は家族と別れた後に、またある者は捨て置いた後・・・とも取れるような語り口だったのが更に印象の影を深めた。

密着の初期には全員が口を揃えてフィリピンの美点を朗らかに語った。

「気楽でいいよこっちは。みんな明るくてね」

そう言う彼らが暮らすのは、ローカルと言えども貧困層しか選ばない、いや、選べない集合住宅だ。

1人の男は脳梗塞で倒れた後、全財産を失ってしまった。そんな彼を哀れに思った近場に住む商店のオーナーが彼を引き取り、陽も射さない独房のような部屋を与えた。

彼は足を自由に動かせないため、その狭い部屋で用を足していた。
近所の心優しい淑女が1回につき20ペソ(約50円)で彼の体を洗い、屎尿を片付け、飯を運んだ。

彼は商店のオーナーを友達と呼び、まだ調子の良さげな時には彼を尋ねた。会話らしい会話は特にない。
当然、言葉もほとんど知らないらしかった。それでも、一生懸命に孤独を埋めるその背中が痛いほど寂しかった。

またある男は、ジプニーと呼ばれる乗り合いタクシーの呼び込みを違法と知りながらやっていて、収入はフィリピン人の平均を遥かに下回っていた。

彼にはフィリピンで拵えた新しい家庭があり、子供達を養っていかなければならなかった。
頭を抱えた末にストリートフード屋を始めるも、モバイル屋台一式が突如盗まれてしまう。

そんな彼も取材中、日本に住む元家族の事を聞かれると目の奥だけはどこか遠くを向いてこう言った。

「なるべく考えないようにしているんだ」

冒頭で彼らから感じ取れたいくばくかの多幸感はもはや蜃気楼ですらなく、むせ返るような気まずさがジリジリと音を立てる。

不幸中の幸いというべきか、スタッフの全面的な協力によって彼は日本に残した娘と繋がる事が出来た。

20年振りだという会話は当然ぎこちがない。お互いに忘れてしまった互いの特徴を必死に思い出そうとしているのが伝わる。

「もうみんなして、お父さんは死んでしまったと思ってたんよ」

そう言われた彼は、気恥ずかしそうに困りながら笑っていた。

ここで挙げていない残りの2人に関しても、言わずもがな超個性派である。

結末までを全て書いてしまいたいが、字数の関係と、これを見て実際に劇場まで行こうと思った人が1人はいるだろうから、無粋なことは避けたい。

さて、タイトルの「なれのはて」。

本来は道楽者の行末。どうしようもなく落ちぶれた終いの姿、という意味である。

しかしながら僕はこの映画を見終わった後で、製作陣がその意図でこのタイトルを選んだわけではないだろうと思った。

彼らが没落していくまでの様に焦点が当たっているようで、むしろ「何がそうさせたのか」という構造的な問いを7年の歳月をかけて追いかけていたのではないか。

きっと男たちは、膨張し、ますます複雑になった社会に建てられた外堀を這い上がれなかった。

その外堀は、頑張れる人たちと頑張れない人たちとを分断した。

「社会人」という概念は日本にしか存在しないと聞いたことがある。

機械的に訳せばこの国で社会に属するのは社会人というカテゴリにのみ限定される、という意味だ。

では子供や、はみ出た者たちは社会に属さないのだろうか。彼らの意見は傾聴するに値しない、戯言なのか?

それすらも模範的な社会人は、「タセキシコウ」と響きだけは良い言葉を借りてなじるのだろうか?
親が殺されたという他人相手すら責めてきそうな、人の毛皮を被った化物に東京ではたまに出くわす。てめえの未熟な共感力をまずは省みろよ。

機会の平等化は、科学技術の発展に伴って加速度的に進むだろう。

そしてそれはあらゆる不平等や困難を解決すると同時に、頑張れない理由、その外堀を埋めてゆく。

いわゆる社会人的に「頑張れないダメなヤツ」とどう共生していくのか、という解答例をどこの誰も出していない。

クソほどどうでも良いマイクロビジネスのローンチツイートは大量のインプを稼ぐのに、"社会人を辞めたい"という悲痛な叫びはペシミスティックな戯言として関心も集めず消えてゆく。或いは、その発言者すらも。

僕はバッドエンドの映画が好きなのだが、他人の不幸がたまらなく尊いからというわけでは決してない。

それは余韻を必ず残す。思考の隙間と言い換えても良い。皆んな幸せなら僕も大賛成だが、この世は不条理と共にあるし、だからこそ儚い。

大多数が一瞬でもより多くの時を幸せでありたいと願うけれど、幸せの母数が増える事で反対に不幸せな人たちの境遇に関心が無くなってしまうくらいなら、僕はバッドエンドを抱きしめていたいとすら思う。

そんな事を考えさせられた。
気付けば新しい年を迎え、成人の日がやってきた。

10年前の事を思い出す。

成人式の日、僕は長い鬱が明けた後で頑張ってスラックスだけは履けたのだが、ネクタイをとても結べる気がしなかったので成人の集いには参加しなかった。

いや、その前に成人を迎えるという意味がよく分からなかったのだ。子供と大人、それを分つのはただの言葉だと信じていた。

友人からの着信が鳴り止まらなかったので、たまらず電源を落とした。

スラックスにスニーカー、厚手のフーディーという装いでママチャリを目的もなく漕ぎ続ける旅に出た。

その日はちょうど満月で、自宅から20kmほどは漕いだというところでばったり狸に出くわした。

それが狸だと分かるまでに数秒を要し、不意に会釈をした。すると、狸はとっさに踵をかえして闇へ消えた。

僕はよりにもよって成人の日に、人間と挨拶すら交わさず、唯一出会った獣に頭を垂れた。

思い出してはにやけ、朝方の川越街道をふらふらと逆行した。



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