足跡


薄暮 -玉-

「三日坊主」という言葉がある。

飽きっぽくて物事に継続して取り組むことができない人や、そのさまを表す四字熟語だが、一体どうして「坊主」なのだろうか。

調べてみれば、一念発起して寺に入ったは良いものの、厳しい修行や質素な食事に耐えられず三日で辞めてしまった、という逸話を見つけた。出所は確かでないが、この四字熟語をよく捉えた説明であると思う。

つまり、尊大な目標というのは、細かな苦悩を抜きにして立てられるものだということだ。

僕は、小さい頃に漫画家を志した時期があったが、ベネッセの特典で取り寄せた「漫画家キット」の説明書に「原案→ネーム→下書き→ペン入れ」と書かれているのを見てすぐに諦めた。厳密には、必死にネームまで描き終えたところで疲れてしまい、ボルテージも下がりきって三日そこらで辞めたのである。

これを「三日坊主」だったという笑い話で閉じず、なぜそれを継続できなかったのか、という誰もが抱えそうな問題についてもう少し考えてみる。

僕はただ漫画を描きたかった。頭の中に出現したイメージは、漫画を読み込んでいたからかコマ割りまで明瞭に表示されていたが、それをすぐさまGペンで書き始めることを「漫画キット」は拒んだ。そして、より完成度の高い作品を生み出す方法論として、先の手順をもって諭されたのである。

しかし、ネームなんか描いているうちに、ある意味で脳内イメージは紙面にコピーされていくが、下書きに取り掛かる頃にはもともとイメージしていたものが何だかもっと別のものだった気がしてならない、といった事態に陥る。

このストレスは耐え難いもので、昼寝から目覚めて身体を起こしたが、枕代わりにしていた腕が痺れて思うように動かせないときの煩わしさに近い。この面倒極まりない作業によって、漫画家という淡い夢を見送った人も多いのではないか。

おそらく、この「漫画キット」に耐えうる根気を持っていた人、もしくはそんな方法論に縛られずにスルスルとただ物を作り続けた人が、漫画家になっていると思う。

後者は例外的に扱うこととして、前者について考えてみる。思えば、「根気」はどんなコミュニティでも常に肝要とされてきた能力である。あえて能力と言ったのは、そのまま「根気」は能力だと考えているからだ。

たとえば夏休みに課せられた日記も、始まって数日は平気で書き留めておけたが、気がつくと八月後半に差し掛かっており、そういえば日記はどこにやったっけと焦り出すパターンを毎年繰り返した。

最近も、なまった身体を引き締めようと早朝からジョギングをして公園で腕立て・腹筋・背筋をするルーティンを作ってみたが、ひとたび楽曲制作が始まってしまえば、ああそんな時期もあったねと深夜に煙草をふかす始末である。

一口に「根気」と言っても、それを毎日毎時間使っていられるはずがない。生きていくためにこなすべきタスクが幾つもあるからだ。少なくとも僕の周りには、目標に突き進む分ほかが疎かな人か、生活のあらゆる行動をうまく手を抜きながら過ごしている人しか見られない。

大きな目標を立てても、それを達成するための「根気」の発揮帯を絞ることができないから頓挫すると考えられる。

しかし、こうして長々と継続できない理由を弁明したところで、何になるだろうか。こう言いながらも僕は、あくまで「継続」が人生において重要な要素だと考えている。

なぜなら、「継続」それ自体が豊かな人生を担保するからである。効力はさておき神社に参って願掛けするように、読む人がいるか分からないのに日記を書いたり、老齢の自分など想像もできないくせに丁寧な歯磨きに勤しんでいる時間、僕は確かに幸せだと感じる。同じように多くの人が、継続を求めては頓挫し、また一念発起しているのではないか。

では、その目標にまつわる細かな苦悩を、どうやって解決するべきだろう。
まず、「慣習化」は有効だと思う。目標のことは一旦忘れて、その第一歩を踏んでしまうのである。遥か先のゴールを意識しすぎると、よほど生活に余裕がない限り足が止まってしまう。

たとえば、十文字日記をやってみたらどうだろう。日記を書いていて気づいたが、実はその日の核となる出来事は十文字、多くても二十文字で表記することが可能である。

道端の犬に噛まれて流血した日があったら、「犬、流血」とだけ書けば良い。そのキーワードさえあれば記憶の引き出しは開くし、何より短くまとめるという作業は直感的で、疲れた夜にちょうどいい。書き忘れた日があってもたった十文字だから取り返せる。翌日の日中に書けばいい。

もう一つ考えたのは、「継続せざるを得ない戦法」である。

最近、友人の紹介でミニトマトの栽培を始めた。ベランダで、小さなプランターに植えて育てている。

畑をやるとなるとハードルが高いが、今回お願いした「五段農園」というところはネットで苗を注文できて、かつプランターや堆肥土も送ってもらえた。

植える時期が遅いのもあってすでに苗には実が成りかけており、これが可愛い。お世話するにも水をあげるくらいしかないので、そういえばミニトマトはどこにやったっけなどという事態には陥りようがない。

何より、命を預かっているような気になって、そのための一瞬の「根気」さえ発揮できなかったらこの命はどうなるのか、という考えに変わってくる。

かの坊主も、いきなり寺に入ったりなんかしないで、家の廊下をちゃんと水拭きしてみるところから始めたら良かったのではないかと、お節介なことを思う。

そして、この方法論が正しいかは、これからの僕が身を以て示さなければならない。トマトの味を伝える日が楽しみである。

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夜半 -流-

「苗場君ってさ、明日死ぬって言われたらどうする?」

「変わりませんよ」

「変わらないって、どうすんの?」 

「ぼくにできるのは、ローキックと左フックしかないですから」

「それって、練習の話でしょ? というかさ、明日死ぬのに、そんなことするわけ」

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

これは『終末のフール』(集英社文庫)の一節。主人公が雑誌で見かけた、苗場というキックボクサーのインタビューの一部だ。饒舌で派手な俳優の質問に対して、苗場がぶっきらぼうに、かつ真剣に答えるというもの。

物語の舞台は、地球の滅亡が確定した世界。一度パニックに陥った世界も5年が経過し、小康状態になった。3年後の世界の終わりにむけて、人々は残された時間を過ごしている。

主人公はある日、地球の滅亡を知るまで通っていたジムの前を通りかかる。すると、そこには5年前と変わらずローキックを繰り出す苗場と、それをミットでうける会長の姿があった。反射的に主人公が思い出したのが、滅亡が発覚する前に読んだ冒頭のインタビューだった。

終わりゆく世界の中で、それとは無関係に生きているかのような二人。会長に話を聞くと、苗場は滅亡が決まったあともずっと、なんら変わることなくここで練習を続けているという。


僕は小さい頃、バスケに夢中だった。なにより、その頃は周りの雑音も誘惑も少なかった。

気づけば、世代ではそれなりの選手になった。実力的にはチームやリーグを選ばなければ、プロにもなれただろう。誘いもあった。しかし、結果的には別の道を選んだ。

振り返って、格好がつくように説明しようと思えば、なんとでも言える。震災による意識変容。他領域への興味関心。プロリーグ新設の真っ只中で収入の見通しが曖昧だったこと。

どれも嘘ではない。しかし本質は、才能がなかっただけという一言で片付くのだろう。実力と才能は似て非なるものだ。

地元に、ある後輩がいた。小中高と僕が全国の舞台で活躍していた頃、彼はベンチにすら入れず、二階席にいた。大学でも懲りずにプレイし続け、地方の下部リーグで無名のまま卒業した。ただひとつ、彼は僕よりバスケが好きだった。

バスケから離れて数年後のある日、SNSを眺めていると後輩が画面に現れた。あろうことかプロのユニフォームに袖を通して。

棒のようだった身体は筋トレと食事で何度も上書きされていて、シュート力やシュートのリリーススピードが向上し、ファンに愛されている姿がそこにはあった。成長がみられたのは、生まれ持った身体能力やセンスに左右されず、努力で上達させることが可能な部分ばかりだった。そこに賭けて、来る日もくるひも膨大な時間と熱量を注いで、本気で向き合ったことが分かる。

結局、これこそが才能なのだと思う。自分には、なかったもの。

競技人生において、幾度となく思い知る身体能力の限界や、努力では埋まらない実力の差。そして、他人の評価や身内の諭すような声。さらに、競技以外での人生の諸問題。

それらにさらされながらも、明日も明後日も自分の信念に基づいてやるべきことをやる気持ち。その強さ。何人たりとも寄せつけぬ、その人だけの内側の聖域。それが才能の正体なんだろう。強いから続けられるのではなく、続けるから強いのだ。


『終末のフール』に出会った頃の僕は、バスケに対する気持ちを失いけていた。そして、その理由を分からずにいた。自分の才能を露ほども疑ってはいなかった。

バスケ以外に費やした時間などそれまで無いに等しかった自分にとって、この競技に対する気持ちを失っていくことは、アイデンティティを失っていくことと同じ意味を持った。その焦燥感にとらわれて、自分の気持ちを確かめることを疎かにした。

拠り所を求めた結果、惰性でバスケを続けながら、旅や哲学に没頭した。それは、逃避に近かったように思う。そんな僕に、苗場の言葉は深々と突き刺さった。それから引退するまでの葛藤の最中、苗場は僕に問い続けた。

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」
「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

おかげで、自分の気持ちを真っ直ぐに見つめ続けることができた。そうやって考え抜いて選んだ道で、僕はより自分らしくあれる生き方と仲間と出逢うことになる。現在の僕のライフスタイルには、聖域がたしかにある。

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」
「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

この先も、自分に問い続けたい。

『終末のフール』を手に取った時期に読み漁った哲学書や古典の中には、愛読書が多数ある。しかし、人生の分岐点には、決まって苗場のローキックが会長のミットを打つ音がする。

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東雲 -成-

近所にあった馴染みの本屋が潰れた。
まだあの頃は漫画類にビニールの包装が施されていなかったから、よく友達と涼みがてら立ち読みしに行った。

コロナ禍に影響を受けた営業難というより、大型の書店やオンラインショッピング相手に競り負け、客足が緩やかに遠のいていった事が原因だろう。
かくいう僕も急を要する文房具類を購入したのが最後で、それすら何年前の事だったか覚えてすらいない。
吹き飛ばされてしまったのかと思うくらいの速さで解体され更地になったその場所は、思っていたよりずっと狭い土地だった事に気づく。

数週間ほど日が空き、またその本屋の前を通った時にはすでに基盤工事が始まっていて。
路面沿いに立てかけられた建設計画の知らせによればマンションを建築予定らしい。
僕は何となく腑に落ちなくて一瞬立ち止まったのだけれど、この時は特に気にしないように努めて再び歩き始めた。

それからさらに数ヶ月が経ち、現在の仕事の関係で自律神経が乱れやすい事もあってか不眠傾向に苛まれていた。
自分の体質と経験上、そんな時は白昼を1〜2時間散歩すると短くても深い眠りにつける事を知っていたから、憔悴した体にムチを打ってでも地元を徘徊する事に決めた。

辺りをくまなく観察しながら歩くと、冒頭の本屋から半径2km以内に3つも新築マンションが建築中であることがわかった。

「家はまだ足りないのだろうか?」 

あの時に感じた腑に落ちなかった何かの正体はこれだ。

僕の地元も当たり前に姿形を大きく変えてきた。
肉屋、魚屋、八百屋といった個人商店の9割は潰れたし、冒頭の本屋以外で思い出が多少なりとも詰まった商店も消えてしまってから久しい。
それ自体に感傷的になるほどナイーブではないし、淘汰という意味では避ける事の出来ない変化だったのだと納得している。
裏付けとして区役所の統計を見ると年々人口が増加傾向にあるようだから、数字上は概ね正しい経過を辿っていると言えるだろう。

ただ、空き地という空き地に新築の家屋を建てて行く事が都市開発の最適解なのだろうかと考えると釈然としない。
建物は人間が街に残す最大の足跡だと思う。
そしてその足跡がもたらす影響や、その影響を誰が拭うのかという問題について頭を使うべき当事者は今を生きる僕らだろう。

20世紀には国づくりの前提として環境問題を考える必要性が軽視されていた背景がある。
日本だけでなく他の工業先進国(欧米諸国等)も「地球は無限(資源)」だと思っていた。
その為、長期的なビジョンが不明確のままで現状をどんどん乱開発していった。つまるところ大量生産・大量消費・大量廃棄の社会だ。

しかし、環境問題を真剣に取り扱わないといよいよ人類全体の危機なのでは?という事が判明してくると、現在では環境先進国として代表的なスウェーデン等が「地球は有限」という前提に置き換え、法整備等も少しづつ行いながら環境問題との距離を縮めていったのである。

30年後、50年後の長期ビジョン年次を考えた時にそれぞれの社会はどうあるべきか、それぞれの時点でどのような社会的・経済的・生態学的条件が整っていれば、僕たちや次世代が安心して生活出来るかを逆算し、現状から将来へ向かうべき方向を精査していく手法に切り替えたのである。

国際比較調査グループISSPが2020年に「環境」をテーマとした調査を行い、その結果から日本人の環境問題に対する向き合い方などが報告されていたので一部抜粋したい。

「気候変動による世界的な気温の上昇」について問題意識を持っている人の割合が1500人弱中、1125人程度である事が分かり、これは全体の75%に値する。
環境問題に対する意識の高さが伺える一方で、「私だけが環境のために何かをしても、他の人も同じ事をしなければ大した意味がないと思う」人は全体の約60%に上り、特に30代の若い年代では70%前後が同意する結果となった。2010年に行われた前回の調査では、日本は加盟国36ヶ国の内3番目にこの割合が高く、その時も60%程度だったことから前回とあまり変化がない事が伺える。

この調査結果だけで何故日本人がこういう意識を持つ傾向にあるのかまでを解明する事は不可能だが、僕はこの日本人の立場をヒステリックに糾弾すべきではないと考える。

そもそも環境問題の基盤にあるものは経済活動である。
前述した通りの大量生産・乱開発に伴う膨大なエネルギーの消費が環境を破壊してきた。

さらには作られたモノたちが最後に行き着くのは我々同様に墓場である。
過剰に作られたモノたちを処分するのにだって勿論すさまじいエネルギーを消費しなければならない。

向こう見ずな流れを牽引してきたのは国であるからして、より大きな潮流を変えるならば民意に変化が現れるのを待つより、他の環境先進国に倣って法整備を行い国策としての早急な善処が渇求される。多分それが最も早い。

そのような文脈で、「私だけが〜」という考えはある意味正しいのかもしれない。

そうは言っても僕は「自分だけが行動を起こしても無駄」とも考えないし、とても飲み込めない。
誰でもトイレで用を足した後は流してから席を立つ。それは自分が片付けるべきだと分かっているからだ。
だから僕は自分の便を残すのはもちろん嫌だし、その便に対する責任を次の人に擦りつけるような事も当然したくはない。

僕はこの先、必要な物を必要な分だけ消費するよう今以上に心掛け実践していくつもりだ。

新築一戸建てもいらないし、車もいらない。高校生の時から衣類は下着や靴等を除いて基本的に古着で買い揃えているし、今後もそうするつもりだ。
街での移動も徐々に自転車へ切り替えていく。

おまけに可能な限り生産にもチャレンジしていく。自分で作れるものが増えるという事は、その分買う物が減らせるという事だ。となれば間接的に企業が大量に作り大量に廃棄するその連鎖から降りる事が出来る。

「豊かさ」を考えた時、僕は何を残せるのかについて考えている。いや、熟慮せず無自覚に残してしまう可能性についてもだ。

足跡を辿れば、何がどこから来たのかが分かる。消える足跡もあるが、消えずに深く残ったものは歴史となって語り継がれたりもする。

次世代の人々がいつか僕らの足跡を辿る時、それが犯人探しのためではなく未来へ繋がる軌跡を見つけるためであって欲しいと願う。

好むと好まざるとに関わらず、今まさに僕らはその命運を握っている。

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