見出し画像

教会は小さくてオーガニックがいい。【成人科クラス】

前回の記事に続いて。

「池袋エクレシア」は平日の夜、仕事を終えた社会人が聖書を中心に分かち合い、祈り合うオーガニックチャーチだということを前回書いた。
 オーガニックチャーチとは有機的(有機体のように、多くの部分が緊密な繋がりをもちながら全体を形作っている)教会の在り方の一つということが出来る。
 これは仕事の関係や、人間関係の躓きやらで、地域教会に行けないクリスチャンだったり、教会では奉仕で忙しい、礼拝以外で他のクリスチャンと交流したり学んだりするプログラムがない、という人たちの受け皿にもなっている。
 また教会に行くのは敷居が高いけれどカフェでの集まりなら行きやすいというクリスチャンではない人へのゲートウェイでもある。

 一方で私は従来の地域教会の重要性を十分認識しており、クリスチャンであれば可能な限り地域教会での信仰生活を大事にすべきだと考えている。
 ただ、前の記事でも少し触れたが、受動的な信仰、或いは習慣化し義務的な信仰になりやすい側面もあるため、それを何とか改善出来る術はないものかと常々祈り、考えていた。

 そんな中でコロナ禍に突入し、6月18日の記事に書いたように不思議な形でのオンラインバイブルスタディが豊かに用いられるようになり、

池袋エクレシアもオンラインで継続的に行われることとなった(現在は対面での集まりに戻っている。)。

 私が植えられている中央福音教会は、コロナ禍に突入しても礼拝堂に集まって礼拝を継続する決断をしたが、信徒が昼食の食卓を共に囲む愛餐会は中止、午後に行っていた第二礼拝も中止となった。午前の第一礼拝も信徒に対して来会を強要することは出来ないので、礼拝の録画配信を公式に導入。
 そして私が15年くらい続けている日曜学校の成人科クラスもZOOMでの配信を導入し、ハイブリッド型にして継続することにした。

ハイブリッドな成人科クラス

 コロナ禍がもたらしたこの変化によって、愛餐会の奉仕担当だった大ベテランの姉妹が、空いてしまった時間に成人科クラスに参加するようになり、同年代の仲の良い姉妹もそれに呼応するように一緒に参加するようになった。
 そして、毎週礼拝には出席しているものの、その前の時間に行っている成人科には起きるのがきついという中心的な信徒もそのアーカイブを見たい、と希望してきた。
 さらにはZOOMの同時配信には大阪に転居した姉妹が参加するようになり、他にも転居や転会で中央福音には来れなくなった方々、コロナ禍で教会からは足が遠のいた信徒の方々、教会のゴスペルミニストリーに関わってくれていた他教会の人たち、などがアーカイブを視聴するようになっていったのだ。

 この方式で毎週継続し続けて今に至っているのだが、このクラスで丁寧に聖書を組織的に毎週学び続けてことで、ベテランの姉妹たち、しばらく教会を離れていた人の信仰が受動的な信仰、或いは習慣化し義務的な信仰から、まさに有機的な信仰=生きて働かれる聖霊に満たされ導かれる信仰へ変えられたのだ。
 お互いが御言葉から教えられたこと、考えたことを分かち合えるようになり、お互いのこともより深く理解出来るようになりつつある。そして御言葉を慕い求める渇望がひとり一人に与えられるようになった。

 教会の構成員が多いと、長年共に信仰生活を送っていたとしても緊密な繋がりを持つことが難しい。それはべったりした関係ではなく、あくまでもイエス・キリストを頭とした有機的繋がりという意味でである。

 日本にはほとんど見られないが、アメリカ、南米、アフリカ、韓国などに多く見られるメガチャーチと呼ばれる規模になるとまずそういう繋がりを持つのは難しいと思う。難しいどころか牧師の偶像化と権力の集中、維持費の増大と不明瞭な会計による過度な献金の呼びかけ、性的・金銭的不祥事など、キリストのからだとしての本来のエクレシアの姿から乖離した問題が頻出している。

 前回の記事では地域教会からは独立した小さなオーガニックチャーチの事例、今回は地域教会の中でオーガニックな交わりが発生して祝福されている事例を紹介した。
 これらの経験、実際のキリスト教会の現況を鑑みて、イエス・キリストを頭とした少人数の有機的エクレシア(教会)がたくさん出来ることがクリスチャンの健全な成長に繋がり、宣教にも寄与するのではないかと考えるのだ。

 リバイバルが起こって地域教会にジャンジャン人が押し寄せ救われることを信じて求めている人たちがいる。
 その根拠として以下の御言葉があげられるのだが、

そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。

使徒行伝2章41節(口語訳)

聖霊に満たされて救われた3,000人の新クリスチャンと使徒や弟子たちがメガチャーチを建てたのかというとそうではない。リーダー的な信徒の家々に集まり、まさに小さなオーガニックチャーチを形成していったのだ。

 そもそも「リバイバル」とは人がたくさん救われることではなく、信仰の原点に立ち返りその信仰が再び燃え上がることである。
 ということは小さなオーガニックチャーチこそリバイバルのカギではないか。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?