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京都と舞妓と月とちょうちん

おおきに、おおきにー
舞妓ちゃんの京言葉が頭からはなれない。

舞妓ちゃんが同席してくれるような、京都らしいごはん食べの会にお呼ばれしてきたのだ。

人通りの少ない祇園町、ひっそりと並ぶ黒い格子の町屋、軒先のちょうちんは赤く、ぼぅと月が浮かぶ。通りは静かで、歩くだけでもわたしなどにはもったいない、身分不相応という気がしてくる。
Googleマップで調べたその場所は、一見客不可とはっきりと記されていた。

仕事とはいえ、はじめてだらけのお茶屋さんでの立居振る舞いは緊張でしかないのに、舞妓ちゃんやおかみさんの所作の美しさや、京言葉の懐っこさには思わずうっとりしてしまう。

ねぇさんおおきに、堪忍ね、よろしおす、そうどすえ、うれしいわぁ、気づけばわたしもつられて京言葉を話している。おおきに、おおきに。自然と背筋が伸びて、食事をする手がいつもより心持ちしなやかに動く。

夜深くなると、舞妓ちゃんもくつろぎはじめたようで、ほんのすこし素顔が見えてくる。『舞妓さんちのまかないさん』という漫画の話になり、プリンの取り合いをするような寮の風景は本当にあるのだそうだ。好きな人に会いたくて夜の町へ抜け出す話、銭湯でサウナに入り、結えた髪がほどけて慌てた話、なくした花簪をみんなで大捜索したら、花瓶に生けてあった話。どれをとってもドラマに溢れていて、そうだよな、舞妓ちゃんだって女の子なんだよなぁ。と、微笑ましい。

漏れ聞こえる三味線の音に、「これはね、もらい音っていうんやで」と教えてもらう。
辞書にはのっていないけど、芸妓さんが本当に使っている言葉なんだとか。もらいね、なんて美しい響きなんだろう。

高揚した気持ちで帰宅し、寝る前に『プルーストを読む生活』をひらいて、数ページだけ読み進める。ふぅと一息、今日も帰ってきたなぁという気持ちになる。そういえば、「本へおかえりなさい」と書かれた枝折があったな。今日もただいま。

僕はいつまでも飽きもせずもっと向こうが見たい。
今は見えていないものがいつか見えるようになる余地を持っていたい。
一貫性なんていらないので、中途半端にいつだって心変わりする可能性に開かれていたい。
それはとても難しい。

ープルーストを読む生活より


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