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わたしを全肯定、あなたを全肯定

朝目覚めて、仕事のメールで落ち込んだ。
どんなに最善を尽くしたつもりでも、どこかで取りこぼしてしまう時がある。その度に、自分の爪の甘さに嫌気が刺す。向いていないのだろうかと思う。でも、8年も続けているのだから、向いていってくれと思う。少なくともわたしは向き合っているのだから。なにを言ってるやら。

好きなこと仕事にしていいね。とよく言われる。でも、好きなことと楽しいことはちがう。好きでやっていても、楽しくないことがほとんどだ。くるしいのに眠たいのにのめり込んで終われないとき、タイムアップで完成、と自分の中で折り合いをつけたときの、不安に混じり合う安堵感。本当にこれでよいのだろうかという焦り。そういうことを人はいいねと言っているのだろうか。でも、好きなのだ。「楽しくないけど、好き」はある。

救いを求めて、猫をじっとみる。やわらかい毛に触れる。頬を寄せると、にゃあと鳴く。触れても名前を呼んでもよく鳴く猫で、その度にありがとう、ありがとうと思う。
これほどまでに、全肯定してくれる存在が他にあるだろうか。全肯定できる存在があるだろうか。動物というものは、生きているだけであたたかい。

バスで、本を読む。
「がんばればぜんぶのことが報われる、なんてことは言えないけれど、がんばれなんてもう言ってはいけない世間になってるらしいけれど、それでもがんばれがんばれ、見てるから、がんばれがんばれって思ってしまう」
川上未映子さんの文章に泣きそうになる。
ああ、がんばります。がんばりますよまだまだ。と言い聞かせる。
そして本当は、人にがんばれなんて、言わせてしまってはいけないのだと思う。
がんばっている人にがんばれだなんて、言う側にも限界があるものな。

調子がいいと、独立しようかしら!とまで思うのに、調子がわるいと、誰かのペットになりたいとまで思う。心というものは、生きていたら何度でも揺らぐね。

だけど、今、帰り道。
タスクをこなすようになんとかやりとげて、ちゃんとあやまって、反省もたくさんしたから、もう次に進まなくてはと思えている。

そんなふうにして、別に絶望的ではないけれど、慢性的にしんどい日がつづいて、なんとか生きる今日がまた終わり、その繰り返しでいいのだ。

日記は暗くなりがちでよくないな。これはでも、忘れたくない記憶だから、と自分に言い聞かせて。

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