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出不精と猫は相性が良すぎる

なんだかとてもやる気が出ないという日がときどきではなく、かなりの頻度である。むかしから学校もサボりがちだったし、わりとずっとやる気がない。

すきなことをしごとにしているから、まだノリにのった日に多めにやることでカバーしているけれど、そうでなければほんとうにどうしようもない奴になっているのではないか。

などと書いている今だって、本来ならしごとをしているはずの時間に猫と転がっている。はあリモートワークさいこう、だけどこの遅れをカバーするのは明日のわたし。明日の自分に期待するのはやめようと思いながら、いつだって明日できると言い聞かせつづけてギリギリにならないと火がつかない。

そんなわけで今晩、しごとの付き合いでパーティなるものに行くのがとてもめんどうくさい。これはどれだけたのしみな予定であっても必ず付きまとう感情、めんどうくさい。ああめんどうくさい、やれめんどうくさい。めんどうくさいに「う」をつけるのさえめんどくさい。準備も歩くのもなにを話すだろうかと考えるのも全部めんどくさい。だいすきなともだちであっても、なのだ。そのくせ行ってしまえば大抵の場合ご機嫌で帰ってくる。なんなら、ああもっと人と関わっても良いかもしれないとまで思う。

大勢いる場ではうまく話せないし、気をつかってとてもつかれるけれど、それにもまさるなにかがあって。あなたともう一度会えたらうれしいだろうなという人は世の中にたくさんいるという、あたりまえのことに毎回気づかされる。でもわたしは普段は人と会わないような生活を好むのだけれど。それは臆病でとても気楽。

わたしはわたしで楽に生きたいけれど、人と接するたのしみを覚えてしまうとやっぱりどこかで誰かとつながりたいと思ってしまう。だからもっと、人とうまく話せればいいのになぁといつもおもう。おもう。おもうのだ。だからわたしは今日も、なんだかんだとぎりぎりになったら、むくりと起き上がり家を飛び出すのだろう。

猫がとなりであくびをした。にゃあともふひゃあともつかぬふしぎな鳴き方をしながら大きく口をあけて。人があくびをするときにふわ〜あっと言う感覚とおなじなんだろうかな。約束の時間まで、わたしももうすこしねむろう。

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