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本当のことなどは、どうでもいいのだけど

夜、YouTubeでいろいろなアーティストたちのライブ映像を観ていた。ビール片手におつまみを食べて、ひたすらに音楽を聴く。もしくはそれが映画だったりもする。そういう夜がよくある。

その日は、音楽フェスに行った次の日で、きっと音楽にあてられたのだとも思うけど、画面の中で歌う、フジファブリックの志村を見て泣いた。『茜色の夕日』を聴いて泣いた。amazarashiで泣いた。竹原ピストルで泣いた。とにかく泣いた。

音楽を聴いて泣いた。でもきっかけは、フェスの帰り道に、友達のYちゃんと話した、「未だに思い出すだけで胸がぎゅっとしめつけられる恋ってある?」という会話のことを、思い出したからだったと思う。

わたしにとっては、中学生の頃のそれはもう大好きだった、友達から恋人へ、手も繋げない距離のまま、また友達に戻ったN。
高校生になって学校が別になっても、家に勉強を教えにきてくれてそのままソファで寝てしまった寝顔を見たり、彼がだいすきだったBUMP OF CHICKENのCDや伊坂幸太郎の本を貸してくれたり、公園で話したり、一緒にバスケをしたりした。
そして、20歳になる前に突然亡くなった。

結構近い距離にいると思っていたのに、それはふたりの間だけの話で、親にも会ったことがなかったわたしは、BUMPの曲の流れるお葬式では故人と仲の良かった友人たちが座る席にも行けず、長い焼香の列に並ぶしかなかったのが悲しくてたまらなかったこと。返せなかった伊坂幸太郎の本をずっと持っていること。

そんなことが一気に思い出されたのに、Yちゃんにはひとつも言えなかった。未だに引きずっているからとかではなく、亡くなったのだよな、という思いが懐かしくほんわりと頭を漂って、なんとなく、言うのをやめた。帰り道、後悔した。ああ、言えばよかった。本当にまぶしい、それはすてきな思い出だったのに。

そんなことを思い出したのは、志村が29歳で亡くなったことを意識して、ああ来年わたしはその歳になるのだなということを考えて、そして、20歳になれなかったNを思い出したからだろう。
20代を過ごしていたら、どんな本の話を、どんな音楽の話を一緒にしていたのか。そんなことは考えても仕方のないことだけど、くやしさと、むなしさと、未だに思い出したい人であったことに感謝をする。

志村は本当にたくさんの人の心の中にいて、何か特別な、とても大切な想いをあらゆる人の心に残していったけど、Nはきっとそれほどまで多くの人の心には残っていなくて、わたしだって普段は忘れて。でも、そうやってふいに思い出す。それは、数年前に亡くなった友達のIも同じで。

亡くなった人のことを人に話すのには勇気がいる。近いと思っていたのはわたしだけだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれないし、そんなことはわからないけど、そして関係性など本当はどうでもいいけど。本当のことなどは、どうでもいいのだけど。
それなのに、Nの貸してくれていた本を捨てられずに持っていて、IがLINEのアイコンにしてそのままになっている、わたしの描いたイラストをときどき見返してしまう。そうでもしないと、彼らとの関係がなくなってしまうような気がして。

そんなことを考えて、音楽を聴いて、泣いた夜のこと。

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