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ことばについて、ねちっこく考えるのが好き

わたしは大学院生なので、非常勤の出勤日以外は、研究の作業をしていることが多い。

一言で研究の作業といっても、いろいろある。

文献を読むとか、実際に集めているデータを分析するとか、考えたことをまとめるとか、その他もろもろ。

中には気乗りしなくてなかなか進まない作業もあれば、時間を忘れて熱中できるものもある。

そして、気が乗るかどうかは作業の種類だけじゃなく、タイミングにもよる。

何かを読む方が楽しいと思うときもあれば、データを分析する方が楽しいこともある。そのときどきの自分によって打ち込める作業が違うわけだ。

でも、だいたい一貫してこの作業は捗るなというものがある。

それが、用語の意味や定義を考えること。

自分がなんとなーく使っていることばについて、改めて考える作業。

この言い方とこの言い方は一体何が違うのか。なんでこの文献ではこの単語を使っていて、あっちの文献では別の単語なのか。そして、自分はどれを使うか。

一見とても面倒くさいのだが、考え始めると意外とおもしろかったりする。

それぞれの文献での定義、その文献の研究背景、その単語自体の辞書的な意味やニュアンス、一般的なイメージ、検索のヒット数などなど。

ひとつの単語についていろいろな情報を集めて整理して、それを自分の研究とも照らし合わせながら、自分なりの使い方を考えていく。

こういう作業をしていると、気がついたらめちゃくちゃ時間が経っている。

昨日も、「書記言語」と「書字言語」の違いについて図書館でずっと考えていた。


思えば、わたしはことばについてねちねち考えるのが好きだ。

職場でぽろっと「マットは『しく』けど油は『ひく』だよね」みたいな、ことばに関する話題が出ると、延々となんでだろう…と考えている。

自分が書いた文章を校正してもらった時に漢字や表現の違いを指摘されると、実は嬉々としてその違いを調べて楽しんでいたりする。

逆に自分が誰かの文章を手直しするときは、あぁでもないこうでもないと、バチッとはまることば探しの旅に出る。

そういや大学時代は言語学のゼミにいたし、卒論も、「コーパス」という言語の使用例の膨大なデータとにらめっこしながら書いたっけ。

中高時代も、英語の語源や日本語との違いについて調べたり考えたりするのが好きだった。

自分でもめんどくせぇことしてんな…と思うけど、不思議とそれが楽しいのだ。

なんというか、ことばに関しては変態的なオタクでありたいと思っている…笑


ことばなんて身のまわりにあふれすぎて、好きだということすら意識していなかった。

でも、ことばのことを考えるのが好きだったと改めて気がついて、自分の過去から今に至るまでがつながった気がして、なんだかスッキリした。

一貫して好きだったものは、実は身近なところにあったのだ。

こうして好きなものを再発見できたのは嬉しい。せっかく気づいた「好き」。思う存分極めていきたいと思う。

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